〔1〕 内清外濁とは誰が為に

PM12:16


ふと時計に目をやると、とっくに昼休憩に入る時間だった。「愛妻弁当」と言う名の冷えた白米と、冷凍食品を持ってデスクを離れる。

自分のデスクで食べる気にもなれず、かと言って食堂に行く気にもなれず、トイレで食うのもなんだか惨めだ。

さて、どこで食べようかと途方に暮れていると、同僚の声が聞こえると同時に、背中を勢いよく叩かれた。


「よっ」

「何だよ、痛いなあ」


相手のニヤニヤしたふざけ顔を見ていると、ふとこちらも口角が上がっていることに気付く。

高校からの付き合いというのもあって、お互いの加減はよく分かっていた。


「何だよも何も、今から飯?一緒に食べようぜ」

「分かったから、その手どけてくれないか」


いつの間にか肩に回された腕に重みを感じつつも、とりあえずテラスまで足を運ぶことにする。狭い渡り廊下で押しつ押されつを繰り返し、女性社員に笑われながらベンチまで辿り着いた。


「なあ、あいつどう思う?」

「あいつって誰だよ」


午前中、彼が〈会議室B〉の前をニヤけながら覗き見して行った事をふと思い出し、面接を受けに来たあの学生の事を話してみる。


「ほら、今日お前会議室覗いて行っただろ、その時居た奴だよ」

「……なんか一人でずっと喋ってた奴なら、見たけど」

「そいつだよ」


本当に一人で喋っていただけだった。

いつしかこちらが面接を受けているような錯覚に陥ってしまう、見事な話術だった。カウンセラーとしての腕前は上出来だろう。優秀さだけで言えばその場で「採用」と叫びたいほどの人材だ。


「そいつが、何なんだよ」

「お前から見てどう思う、採用にしていいと思うか」


そうだ。そこが一番の悩みどころなのだ。

優秀なのは優秀だ。変わりはない。だがあの落ち着き払った態度がどうにも鼻に付く。人生の全てを知り尽くし、人類全てを俯瞰で見ているような顔だ。


まだ21歳だと言うのに、その口ぶりや身振り、話し方、価値観はまるで100年生きた老人のように確立されていて、強固としていて、自分よりもよっぽど大人びている。


「不採用にするような理由でもあるのか?」

「いや、特にない。態度が腹立つぐらいだ」

「あんな態度で不採用にしてたらうちは大赤字だよ、大赤字」


〈大事な事なので2回言いました〉、と白米を口に運びながら言う。


「お前は人事部なんだし、好きなように決めたら良いんじゃないか、不採用にしたいんだったらそれで」


もごもご、と口に入った料理を咀嚼しながら話しているため、何を言っているのかよく聞き取れない。外の車が通る音も相まって、声が掻き消され揉み消され、取り敢えず相槌を打っておくしかなかった。


「……分かった、採用通知出しとく」

「名前は何て言うんだ、そいつ」


ポケットからスマートフォンを取り出しメールを打ち込み始めると、一つ質問が飛んで来る。


「板倉 ていって言うらしい」

「『てい』ってなんだ、そりゃあ」


当然の疑問だ。本人も「ややこしい名前で、すみません」とあの無表情のまま謝ってきた。

親が馬鹿げている、といった印象だった。己の子供に「諦める」という漢字を使うとは、どうも読めない。自分の子供にどう育って欲しいと思っていたのか、甚だ疑問だ。


「漢字はどうやって書くんだ」

「『諦める』の、『める』を取って、音読みで、てい


「変な名前が来ることは想定してたんだが、斜め上だったな」

「だろうな」


そういえば、名前の由来が何だったか聞き忘れた。他の質問と答えに気を取られ過ぎた。

雑談がてら聞いておけばよかったな、と小さな後悔が湧く。


「親はどんな思いで付けたのかね」

「さあ……」


諦めが肝心、と言う事を教えたかったのだろうか。それとも、「私はもうお前のことを諦めた」と、自分の身勝手な気持ちで付けたのだろうか。

俗に言うキラキラネームよりも酷いような気がする。


小学校、中学校に上がれば虐められることぐらい想定できなかったのだろうか。

いや、虐められていたかどうかは分からないが、可能性は多分ゼロではない。

こんな名前が浮かなかったら何が浮くんだ。


「ちなみにそいつ、見た目はどうだったよ」


見た目。

「覗きに来た時に見たんじゃないか」と言おうとしたが、あの扉の作りでは壁に遮られて見えない、と言う事を思い直し1人合点が行った。


何というか、顔立ちそのものは綺麗だった。

それこそ、いつだったかの恋愛ドラマに出ていた、若手俳優に似ている顔だった。


無表情のままだといささか怖い印象を与えるが、笑顔を見せれば、きっと道行く女性も振り向くほどの耽美な顔が生まれるだろう、と思った。


「悪くない」

「何で上からなんだよ」


「悪くないのは、悪くない。そのままだ、逆に良すぎて腹が立つ」

「理不尽だなあ」


本当に、そのままだ。

「悪くない」という表現では収まることがない出立なのは確かだが、他に表現する単語が思い浮かばない。

「イケメン」とか「男前」とかの二面でくくれるような雰囲気ではなかった。


全体的にミステリアスと言うか、何を考えているのか分からないと言うか、独特な感じだった。

頭が良さそうで、でも馬鹿そうで、センスが良さそうで、でもなんかダサそうで、女を喰いまくってそうで、でも童貞っぽさも若干あったような気がして、兎にも角にも、何が何だかさっぱりな、人物だ。


「そいつが入ってきたら3日で立場逆転だな、今のお前の成績じゃあ」

「何とか一週間は持つようにするよ」


軽く肩をすくめ、乾いた笑いを残して梅干しの種を吐き出した。

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