ハンカチと鉄の味⑦

 六月の前期の中間考査を終えた。

 テストを終えたら日曜日は気晴らしに遊びに行こうと雅世と約束を交わしていた。

 土曜の部活を終えて自宅に戻った僕は、晩ご飯を食べた後に自室のベランダに出て外の景色を眺めようとした。だけど、外は濃霧に覆われていて星空は見えなかった。

 遠くで霧笛が鳴る。充実した高校生活を送れていると自覚できるようになった僕でも、霧笛を耳にするとやっぱり寂しい気持ちになる。

 窓を閉めていても微かに聞こえる霧笛を、雅世も聞いているだろうか。

 彼女と付き合う前は、いつも初恋の彼女のことを考えていた。だけど、今の僕は彼女のことを考える時間は本当に少なくなった。ゼロとは言えないけど、星の光のように小さい。

 肌寒くて窓を閉めた。

 僕は机に座って代数幾何の教科書を開いた。自分でも分からないけど、代数幾何に大して苦手意識が芽生えた。二年になっても数学だけは誰にも負けたくないし、一年時に各クラスから理系志望の生徒が集まったクラスだから、今まで以上に理数系科目の平均点は高くなるはずだ。少しでも理解しづらい箇所があった問題は入念に解いて理解を深めておく必要があると考えていた。

 窓をすり抜けるように、救急車のサイレンの音が聞こえた。

 そのサイレンに呼応するように、どこかの家の犬が遠吠えをしていた。

 明日は心置きなく雅世と遊ぶために、僕は集中して教科書に向かいなおした。


 日曜の朝は快晴だった。

 眠っているうちに、立ち込めていた霧は姿を消したようだ。なんだか天が僕らに味方をしてくれているように思えて、顔をほころばせながら服を着替えた。

 自宅を出た僕は、彼女の自宅近くの公園に向かう。

 僕は雅世と会える期待感と雅に代わっている不安感を胸に、見慣れた景色の中を歩

く。

 ――今日こそ雅世と出かけられますように。

 そう何度も空に向かって想いを放った。テストを頑張ったんだ、今日こそ雅世に会えるご褒美を欲しがったって天罰はくだらないはずだ。

 約束の公園に足を踏み入れる。僕は少し湿り気が残った木のベンチに腰を下ろした。

 腕時計に視線を落とすと、時計の針は一○時を示していた。

 再び時計に視線を落とすと、先ほどから三○分が経過していた。僕は心の中でため息をついて、ベンチから立ち上がった。

 この公園から彼女の自宅へ向かう道を何度通っただろうか。今では目を瞑っていても、彼女の家の門までたどり着けそうな気がした。

 また雅世と街に出かけることは叶わそうだから、せめて雅と景色の良いところに足を運ぼうと、気持ちを前向きに切り替える。

 インターホンを押す。なんだか空虚な音のように聞こえた。一五秒すると、いつものように雅が出てくるだろうから、僕は黙って待つ。だけど、今日は三○秒が経過しても玄関ドアの向こうに雅の気配はしなかった。

 もう一度インターホンを鳴らした。だけど、何も音は返ってこなかった。

 ――家族で出かけたのかな?

 僕は玄関フードを閉めて、彼女の自宅を後にした。

 二階の窓に目を向けるとカーテンは閉められたままだった。しばらく見ていたけどカーテンは微動だにしなかった。

 なんだか胸が痛む。自分が思った以上に僕はショックを受けたのかもしれない。

 ――雅に嫌われたのだろうか。

 雅に求められた日以来、中間考査に向けて雅世とは会う約束はしなかったから、彼女の自宅にも行っていない。あの日の翌週、僕が来なかったから雅は僕に嫌われたと思っているのかもしれないし、僕を避けている可能性もありそうだ。

 そう考えると、黙って僕が帰るまで部屋で待っていたのかもしれない。

 根拠はないけど、僕はそうだろうと考えながらトボトボと自宅に向かった。

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