ハンカチと鉄の味⑥

 月曜日、雅世は学校を休んだ。

 体調を崩した可能性もあるけど、僕は妙な胸のざわつきを覚えた。だからその日は、授業も部活も身が入らなく、身体だけが学校にあって意識はどこか空の遠くへ飛んでいったような感覚だった。

 火曜日、朝のホームルームが始まるまで紀夫と話をしていた。

 登校してきた誰かが教室のドアを入ってきた時だった。

 女子生徒が教室に入ってきた生徒に対して言う。

「体調大丈夫?」

「うん、大丈夫」

 返答したのは雅世だった。その声に反応するように僕は顔を向けた。

 彼女の姿を見て、僕は息を呑んだ。肩くらいまであった髪がショートカットになっていた。小林さんほどの短さではないけど、以前の髪の長さからすると、結構な長さを切った。

 クラスメイトが言う。

「髪切ったんだ」

「うん」

「似合っている」

「ありがと」

 僕は雅世に歩み寄ることができなかった。

「小山さん、雰囲気変わったな」

 紀夫が言った。

「う、うん」

「何驚いてるんだよ、髪切ったの知ってたんだじゃねーの?」

「いや、知らなかった」

「お前ら、最近大丈夫か?」

「ああ、大丈夫」

 僕は息が詰まりそうになりながらも、何とか言葉を返した。


 昼休みのチャイムが鳴った後だった。

 雅世が僕の手首を掴んで教室の外に引っ張り出す。一年生の頃にもあった光景だ。前と同じようにステンドグラスの吹き抜けの奥まったところで立ち止まる。

 僕は訊く。

「どうしたの?」

 雅世は俯き加減だった。言い出すべきか迷っているような表情に見えた。

 意を決したような目をして、僕に顔を真っ直ぐ向ける。

「ねえ、雅と寝たの?」

 僕は胸を拳で疲れたような感覚を覚える。

「寝てないよ」

「本当に?」

「本当だよ」

 僕は日曜日に起こった出来事を彼女に説明した。

「そうだったんだ」

 彼女は安心したように、ふうと息をついた。

「だけど、私の裸を見たでしょ」

「見てないと言ったら嘘になる。見たんじゃなくて、見えたんだよ」

「結局見たじゃん」

 彼女は僕のわき腹を小突く。

 でも、僕は一つの疑問を抱いた。以前、雅世は雅との間で記憶の共有は行われないと言っていた。その通り、僕が説明した経緯は全く知らない様子だった。

 僕は吹き抜けの手すりに腕を置いて、雅世に訊く。

「ねえ、雅との出来事をどうやって知ったの?」

 彼女も僕の横で腕を手すりに置いて、腕の上に顎を置いた。

「交代日誌」

「日誌?」

「雅は日誌をつけているんだ。私に向けた日誌で、彼女が表に出てきた時に何があったのかを日誌を読めば知ることができるんだ。今までは絵を描いた、それくらいしか描いてなかったけど、賢治くんと付き合ってからは賢治くんのことが日誌に出てくるようになったよ」

「じゃあ、僕が彼女の絵のモデルをしていることも知っていたんだ」

「うん、正直羨ましかった。私、もう一人の自分がどんな絵を描いているかスケッチブックを見たんだ。最初目にした瞬間、凄く驚いた」

「上半身裸の僕が描かれていたから?」

「うん。私も目にしたことがない賢治くんの身体が描かれているんだもん。彼女だけ、ずるいよ」

 彼女が口にしたずるいよ、は何を意味しているのだろう。嫉妬だろうか。もし嫉妬だったら、僕は少し嬉しい。

「なんか、自分の彼氏が他の女の子の前で服を脱いでいる場面を見たような感覚」

 自分の彼氏。その言葉の響きだけで、僕は雅世にとって特別な存在であることを自覚させてくれた。

「雅世ちゃんが望めば、いつだって脱ぐよ」

 肩を思い切り叩かれた。

「でも、雅の相手をしてくれて本当にありがとう。でも、もう無理に会いにこなくていいよ。彼女の相手は疲れない?」

「大丈夫だよ。僕が会いたくて雅に会っているんだ」

「どうして、そこまでするの?」

「だって、彼女のことも知らないと、雅世ちゃんの全てを知ることにならないから。僕は君の全てを受け止めたいんだ。だから、もう一人の君も放っておけないよ」

「優しいね。でも、賢治くんのその優しさは、私だけに向けてほしい」

 初めて彼女の願望を耳にした気がして、僕はつい「分かったよ」と言ってしまう。

 でも僕は、これからも雅世と雅を分け隔てなく接するつもりだった。

 この気持ちを察っしられないように、僕はステンドグラスに顔を向けた。

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