双子星に恋するように⑨
春休みの間も僕は雅世と会えなかった。
正確には雅世には会えなかったけど、雅には会えたと言うべきだろう。修了式の日に雅世と街に出かける約束をしたけど、以前と同じく約束の場所に彼女が現れなかったから、彼女の自宅を訪れた。彼女の自宅を訪れて三回目から、彼女の母親は不在が続いた。きっと元夫とどこかに出かけているのだろうし、僕が訪問してくることも想定していたのだろう。それに、春休みだから交代人格が表れても学校の授業には影響しないから、雅世への配慮など微塵も考えずにいたのかもしれない。
雅世との距離が縮まらないように、雅との関係も変わらなかった。
僕が来れば拒まずに部屋に招いてくれたし、僕は相変わらず絵のモデルをするだけだった。少し変わったと言えば、彼女は絵を描いている最中、少し口数が増えた。それはきっと、僕に対し少しずつ心を開いてくれているのだとポジティブに捕らえてい
た。
春休みが残り二日になった日も、僕は雅世の部屋でポーズをとっていた。
四月に入るとさすがに春を感じられる日が続くので、そろそろコートの出番は終わりかなと考えていた。
「動かないでよ」
「少しくらい、いいじゃん」
「ダメ」
「雅は厳しいよ」
「嫌なら、来なければいいじゃん」
「僕が来なかったら一人で絵を描くことになるよ。それって、寂しいでしょ」
「ぜんぜん。私は元々独りだし、賢治に来てと頼んだわけじゃない」
「そうかもしれないけど」
彼女が言う通り、僕が勝手に押しかけているだけだ。だから何も文句は言えない。
再び部屋は鉛筆とスケッチブックの摩擦音だけになる。でも、この音は嫌いではない。僕と雅、二人の世界には欠かせない音だし、彼女が楽しいよと代弁しているような気もしていた。
だけど、一方で僕は自分の中に黒い感情が渦巻き始めていた。怒りや憎しみに似た感情だった。それは彼女の父親に対して湧き上がる感情だとはっきりと自覚している。
顔を見たことがないし、会った事も声を聞いたことすらない。そんな彼女の父親に対し憎しみに似た感情を抱くのはお門違いかもしれないけど、この湧き上がる感情に蓋をすることができずにいた。
今自分が怖い顔をしていないか気になった。
だから、僕は自分の顔をぴしゃりと叩く。
「急に何してんの?」
「ごめん」
「賢治って変だよ」
「驚かせてごめん」
僕はポーズを取り直す。彼女の父親のことを考えないように、窓の外に視線だけを向ける。
今日は清々しい青空だった。
僕は雅に言ったことはないけど、彼女を外に連れて行きたいと考えていた。冬の残り香を押し出そうとする春の息吹を感じてもらいたいと思っていた。空に響き渡る雲雀の鳴き声、少し埃っぽい匂いの道路、春を感じ取り土から顔を出す福寿草。こんなにも外の世界は素晴らしいんだよと伝えたいし、世界の広さを体感してもらいたいと心から思っている。
新学期が始まれば雅が雅世と入れ替わることはなくなるかもしれないから、僕の考えは実現しないかもしれない。それでも、もし新学期になっても彼女の父親がこの家に訪れ雅が表に出る日があれば、僕は行動に移そうと心に決めていた。
その日の夜、僕は自宅のベランダで星を眺めていた。
屋根がじゃまでポラリスは見えない。それでも屋根の上でポラリスが輝き続けていることは分かっている。
明後日から二年生になる。新入部員が入れば、僕は先輩になる。果たして僕はこの一年間で人として成長できただろうか。
幼稚園から抱き続けた初恋にはお別れしたつもりだ。夢ではなく幸せを選んだ。この決断に後悔はない。どちらを選んでも、僕にとって正解だったのだろう。きっと、選択から目を背けて選ぶことから逃げることが不正解だったのかもしれない、と今なら思える。
――自分の選択に自信を持とう。
こう思えることこそが、成長の証かもしれない。
根拠はないけど、勉強も雅世との関係も上手く行きそうな気がした。だから、明後日から始まる新学期に対する不安が僕の中から消えていた。
五分以上ベランダで星を眺めていたから、僕は身震いする。
やっぱりまだ夜は寒い。
僕は「頑張ろうね」と呟いて、そっと窓を閉じた。
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