双子星に恋するように⑤
冬休みに入って三日目だった。部活はお昼すぎに終わり、僕は紀夫に誘われて柳町に向かうことになった。
「岡野たちは誘わなくていいの?」
「ああ、いいんだ」
部活が終わった後、街に遊びに行く時はたいてい岡野たちを誘うのに、声をかけていないことを聞いて、僕は彼の企みを察した。
予想通り、柳町のスケートリンクに着くと伊藤さんと雅世が待っていた。冬休みに入る前、僕は雅世と会う約束を交わすことができていなかったから、今日ばかりは紀夫の配慮が心底嬉しかった。
僕らはスケート靴を借りてリンクに出る。この街の子は小学校の頃から体育の授業でスケートを滑るから、上手い下手は別にして、たいてい皆滑ることができる。高校からスケートの授業がなくなって、僕らは久々のスケートを楽しむ。
しばらく経つと、伊藤さんと雅世は離れてしまった。僕は紀夫に言う。
「今日は小山さんまで呼んでくれて、ありがと」
「いいって、気にするな。沙希がよ、スケート行くなら小山さんも呼びたいって言っ
たんだ」
「そっか」
「それより、お前ら最近上手くいってないの? 学校でもなんだかぎこちない雰囲気
だしさ」
「上手くいってないとかじゃないんだ。彼女、週末に風邪をひいて、ここのところ学校以外で会える機会がなかったんだ」
本当は会っているけど、対面しているのは雅世が切り離した雅だ。いくら紀夫相手でも、彼女が抱えている事情は口にできない。
「まあ、それならいいけどさ。沙希と二人でちょっと心配してたんだぜ」
「うん、心配かけてごめん」
「なんも、なんも」
「紀夫は伊藤さんと上手くいってそうだね」
「そりゃそうさー。もうチュッチュチュッチュするくらい仲良しさ。お前はどうよ?小山さんとキスした?」
僕は首を横に振る。
「まあ、俺の方が一歩先に大人に近づいたな」
そう言って、彼は豪快に笑う。キスで大人に近づけるのなら苦労しないよ、と言いたかったけど、僕はその言葉を飲み込んだ。
急に紀夫が駆けだした。彼が向かう先に視線を向けると、伊藤さんが転んでいた。紀夫は転んだ伊藤さんが起き上がるのを手伝った。そして、彼女の手を引いて滑りだしたから、一緒に滑っていた雅世は一人置いてけぼりを食らっていた。僕はスピードを上げて彼女に追いつく。
追いついた僕を見て、彼女はほほ笑んで言う。
「久々だね」
「そだね、中学以来だね」
「違うよ、スケートじゃないよ。こうして賢治くんと休日に遊んでいるのが久しぶりだなーと思って言ったの」
彼女が切り離した雅にモデルをやってと言われた日から冬休みの間まで、僕は彼女に遊びに行こうと切り出せなかった。また誘っても、日曜日に会えるのは雅じゃないかと思うと気軽に切り出せなかった。彼女も週末になると元父親が現れることが分かっているのか、僕に何も言ってこなかった。
だから、こうして二人並んで風に当たることができるだけで頬が緩みそうだ。
僕も紀夫を真似て、彼女の手をとってスピードを上げる。わーわー、わーわー言うかと思ったけど、意外にも彼女は笑っていた。
スケートを楽しんだ後、僕らは何度か訪問したことがある北大通の喫茶店に入った。この四人でここに来るもの完全に定番化しているし、北大通の落ち着いた大人が集うような場所に僕らも座ることを許されているような気がして、嬉しかった。
マスターが「久しぶりだね」と言ってくれたことも、また嬉しかった。
そして、いつものようにお店を出たところで二人と別れ、彼女と並んで幣舞橋方面に向かう二人の背中を見守る。今日はクリスマスだから、きっと二人はクリスマスプレゼントでも交換するのかな、と思った。
腕時計に目を落とす。間もなく一六時だ。
このままバスに乗るのがもったいなくて、僕は彼女に言う。
「ねえ、まなぼっとのバス停まで行かない?」
「いいよ」
僕はほほ笑んで、彼女の手を握る。手袋越しだけど、彼女の手の感触が伝わってきて、彼女の存在の温かみを感じる。
幣舞橋を渡りながら、僕は尋ねる。
「ねえ」
「うん」
「なぜ、もう一人の君が生まれたの?」
とても訊きにくいことだけど、僕はもっと彼女のことを理解したかった。もしかしたら、彼女を今まで以上に知ることが僕にできることを見つけるヒントだと思ったのかもしれない。
「うん」
彼女は頷いたまま黙る。言葉を飲み込もうかどうか迷っているようだった。
秋の像の前を通り過ぎた辺りだった。
「賢治くんはもう分かっていると思うけど、あの人の元夫、私にとって元父親が原因で交代人格が現れることは言ったよね」
僕は頷く。
僕の手を握った彼女の手に力が入るのが分かった。
「私、小さい頃、父から暴力を受けていたの。お酒に酔う度に、私を殴った。医者によると、その恐怖心が積み重なり限界を越えた時に交代人格が私の代わりに表に出たらしい。父から物理的に離れられない私を、精神面だけでも遠ざけようとしたんだろうって言われた」
彼女は僕を見て笑う。僕が理解できない心の傷を抱えているのに、辛い話を聞かせた僕を逆に慰める様な笑顔だった。
逆に僕の心は空のように暗くなる。必死で彼女にかけてあげる言葉を頭の中から探す。でも僕の頭の中には今の彼女の心境に相応しい言葉なんてなかった。
空を見上げる。青が群青に変わりゆく空に薄らと輝く星が見える。なんの星か分からないけど、あの星は僕に何かを伝えようとしているように煌いていた。
出世坂にさしかかる。葉を落とした並木と雪が積もった出世坂は、とても寂しい。緑の葉が息吹くエネルギーに満ちた出世坂が表だとしたら、今僕らが上ろうとうしている坂は裏の世界に存在する坂のようだ。
僕らは寂しげな階段を上る。
階段を上った僕らは、雪で覆われたぬさまい公園に入り幣舞橋を臨める手すりに腕を乗せて、空を見上げる。暗くなる空に夕焼けの名残がある薄暮の時間だった。頭上に広がる空は、まさに雅世を表しているように見えた。
僕は言う。
「ここで雅世ちゃんに想いを告げた時に、一緒に夕日を見たいって言ったね」
「うん、覚えてる」
「いつの夕日がいいと思う?」
突拍子もなく話し始めた夕日の話題が不自然だったのか、彼女は首を傾げる。それでも彼女はほほ笑んで僕の質問に答えてくれる。
「夕日が綺麗に見えるのは、秋か冬らしいよ」
「秋と冬はよく晴れるから、夕日を見れる日が多そうだね」
「うん、そだね」
こんなことを話すために、ここに来たわけじゃない。
夕日の名残が空から消え、群青が空を染る。街や橋に灯っているオレンジ色の街頭は、ほんの少しだけ寒さを和らいでくれているように感じる。
「僕の気持ちは変わらないよ。雅世ちゃんにもう一人の君がいても、この先も君と一緒にいたい。ここで並んで夕日を見たい。前に言ったように、僕はこの先もずっと雅世ちゃんの味方だよ。だから、雅世ちゃんともう一人の君を僕は大事に想っている。高校生の僕にできることは多くはないかもしれないけど、この想いだけは確かだから」
自分で言って恥ずかしくなるようなことを言ったけど、氷点下の空気が頬の火照りを奪ってくれて助かる。
彼女の口から白い息が漏れ、僕に向かって笑う。
「賢治くんは優しいね」
そう言って、彼女は僕に身を寄せる。
「私ね、本当は不安だったんだ。賢治くんが本当の私を知ったら失望するだろうと思っていた。だから、私の中に切り離した私がいることを知られたくなかった」
「怖かったんだね」
「うん。秋頃から賢治くんとの約束を守れなくなって、私どうすればよいか分からなくなった。あの男と会うと、もう一人の私が表にでることを制御できなくて。金曜になると、いつも来ないで来ないでと願っていた。でも私のことなんかお構いなしに、あの人はあの男が来ることを拒否しないの。ごめん、愚痴ってしまって」
僕は首を横に振る。
「いいよ、気にしないで。心に溜まったモヤモヤを言えずにいたんだ。言える時は全部吐き出した方がいい」
「ありがと」
苦しんで、悲しんでいる彼女を知って僕も傷つく。
僕は夢ではなく幸せを選んだ。だから、どんなに傷ついても幸せを目指して日々を生きていきたい。
「寒くなってきたし、そろそろ帰ろっか」
僕は彼女の手を握って歩きだす。
空を見上げて吐き出した白い息の向こうに、僕らを見守るようにポラリスが煌めいていた。
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