ポラリスの夢と小さな幸せ④

 木々の葉の色が変わり始めた頃、僕らは競歩大会に臨んだ。

 男子は五○キロ、女子は四○キロに設定されたコースを早朝から歩く。競歩大会だから多くの生徒は歩くが、なぜか体育会系の部活は他の部に負けじと走る。羽球部の仮想ライバルは、同じ体育館で汗を流すバスケットボール部だった。

 期末テストが終わってから、僕は密かに自宅から海岸近くの小学校まで行って折り返すくらいの距離を一か月前から走っていた。部活でもランニングはあるけど、意外にも対抗意識が強いのだなと自分で思った。

 結果、僕はバスケ部全員よりも先にゴールした。だけど、一番早く学校に戻ったのはスピードスケート部の男子だった。

 競歩大会は土曜日に行われ、翌週の月曜日は振り替え休日となり、市内で僕らの高校だけが休みとなった。そして、紀夫から遊びに行こうと誘われていた。僕は日曜だけでは股関節の痛みが取れず、ぎこちなくしか動かない体にムチ打ち、待ち合わせ場所のぬさまい公園に向かった。

 紀夫は遊びに行くメンバーを僕に告げなかったが、きっと以前と同じだろうと思っていた。なぜなら、紀夫が示した集合時間にちょうどいいバスは白樺台から来るバスで、小山さんも利用するバスだ。自宅の最寄りでバスに乗ると、案の定僕を見つけた小山さんが後方の座席から手を振っていた。通常であれば集合時間の五分前にはぬさまい公園に到着するのだけど、ゆっくりしか歩けない僕のせいで集合時間を少し過ぎてしまった。

 公園に入ると、僕らの姿を見つけた紀夫が声をあげる。

「おーい、こっちこっち」

 遠くを見ると、紀夫の隣には伊藤さんが立っていた。僕はやっぱり、と思う。

 足首を捻挫して、いつもの速度で歩けない僕を見て紀夫は言う。

「ったく、なさけないな~。ハッスルしすぎなんだよ」

「でもバスケ部には勝っただろ」

「勝てたのはお前だけだったけどな」

 紀夫は僕と一緒に走ったけど、途中で走るのを止めた。きっと月曜に伊藤さんと遊びに行くことが決まっていたから、無理をしなかったのだろう。そのことを思うと、紀夫の脇腹を思い切り小突きたくなった。

「で、今日はどこに行くの? ボーリングはできないぜ」

「だろうと思った。心配すんなって、今日はカラオケとサティに行くだけだ」

 彼のプランに伊藤さんと小山さんはワクワク感満載の表情で拍手していた。高校生の体力をもってしても一日で疲れが消えなかった僕は、サティに行くだけで十分だよと言うことはできなかった。

 堂々と月曜日にカラオケ店に訪れる高校生を訝しげに見る店員を余所に、僕らは二時間の利用時間を伝える。僕は体の痛みを理由に二曲しか歌わなかった。紀夫は黒夢を存分に熱唱し、伊藤さんと小山さんは仲睦まじくデュエットをするかのように二人でハモって歌っていた。


 カラオケを満喫した僕らは、駅からバスに乗ってサティに向かった。平日のサティ

は想像通り混雑はしていなかったし、フードコートも一三時を回ったためか空席が目

立っていた。

 僕らは各々好きな食事を買いに向かう。僕は豚丼を買って席に戻ろうとすると、紀夫はラーメンとチャーハンをトレーに乗せ、学食での光景を彷彿とさせるようなチョイスをして、満面の笑みで歩いていた。小山さんはそば、伊藤さんはうどんを購入していた。

 豚丼を食べ終えた僕は、一人で六花亭に向かい、目に着いたお菓子を見つくろってフードコートに戻った。僕が買ってきたお菓子の量を見た紀夫は「買いすぎじゃないの」と言ったけど、僕からすると異常なほど多いわけではないし、みんなで食べるつもりで買った。それに、この後二時間くらいはフードコートに居座りそうだから、逆に足りなくなりそうだ。

 食べ終わった食器を下げた僕らは、僕が買ってきたお菓子を食べながら会話を楽しむ。

 一時間もすると飲み物がなくなり、紀夫と伊藤さんがお代わりを買いに席を立った。待ってましたと言わんばかりの勢いで、小山さんが言う。

「沙希ちゃんと紀夫くん、ついに付き合い始めたって」

「えっ、まじで。それは本当に良かった」

 紀夫がいつ告白したのかは知らないけど、期末テストの平均が七三点だったことは聞いていたので、どこかのタイミングで告白するとは思っていた。だけど、今朝から昼にかけての二人の様子で、恋愛に疎い僕でも二人の関係が変わったことは察することができた。僕は心の中でおめでとう、と言う。

 アイスコーヒーのカップを手にして戻った二人に小山さんは言う。

「紀夫くんが沙希に何って言ったのか知りたいな~」

 意表を突かれたのか、紀夫は「いや~」と言ってばかりだった。

 逃れようとする紀夫を余所に、小山さんの追及は続いた。結局、小山さんの押しに負けた紀夫は告白した日のことを、事細かに話した。

 飲んでいた烏龍茶がなくなって、お代わりを買って僕が戻ると、待ってましたと言わんばかりに紀夫が言う。

「で、二人はいつ付き合うのよ?」

 僕は思い切りむせ咳き込むと、小山さんが背中をさすってくれた。

「わ、私たちはそういう関係じゃないし、単に友達同士なだけだよね」

「ま、まあ、そだね」

 同意を求めるような顔を向けるので僕も頷いた。

 だけど、彼らの攻撃がそれで終わるわけもなく、僕と小山さんは受け流すだけで精一杯になる。まったく、彼氏・彼女ができると人はこんなにも勢いがでるものなのだろうか。僕はそっと首を傾げた。

「別に誤魔化さなくてもいいべさ」

「誤魔化してないって」

「いや、誤魔化してる。まあ、照れなくてもいいって。なんせ二人は、クラス全員の公認があるみたいなもんだべさ」

 ミッチェルの話でクラスみんなが拍手した授業が頭の中でリフレインする。

 その光景を振り払うように、僕は言う。

「それはミッチェルのせいだって」

 ステンドグラスを見上げて決意した日から、僕にとって小山さんは気になる存在に変わった。そして、僕のこの感情は彼女に抱き続けてきた初恋とはちょっと違うけど、同じ恋には変わりないのだろう。だから、僕は小山さんが好きなのかと聞かれれば、好きだと言える心構えをしているつもりだった。だけど、人間の心って難しいと思う。

 紀夫に突っ込まれて恥ずかしがる小山さんを横にして、僕が彼女を好きだと白状しても、彼女はきっと否定しそうな気がした。岡野が言った通り、僕が押せば小山さんは僕の想いを受けれいてくれる可能性が大きいとしても、今ではないと思った。だから僕は紀夫と伊藤さんのプッシュを徹底して受け流した。


 明日から通常通り授業なので、予定通り二時間ほどしてサティを出る。

 サティから紀夫の自宅方面に向かうバスがありそうだったけど、彼は伊藤さんを送るために駅に向かうと言った。

 駅に着くと、紀夫と伊藤さんは徒歩で帰ると言った。伊藤さんは米町だから、徒歩で帰れることは知っているけど、紀夫の家がある緑ヶ岡まで歩いても割りと駅から近いことを最近知った。

 僕と小山さんは二人を見送る。ようやく二人だけになれね、と言うように紀夫と伊藤さんは手を繋いで北大通を歩いていた。僕らは二人を祝福するような目で、次第に小さくなる姿を見守った。二人の姿が見えなくなるまで見守っていたかったのだろうか、小山さんもすぐにバスに乗ろうとは言わなかった。

 二人の姿を捉えられなくなってから、僕は彼女に尋ねる。

「まだお腹いっぱい?」

「うん、ちょっと食べすぎたかも」

「じゃあ、まなぼっとまで歩かない? バスの時間まで結構あるしさ」

「いいよ」

 紀夫と伊藤さんが歩いた軌跡を辿るように、僕らも北大通りを歩き出す。もしかしたら、紀夫たちと同じ道を歩くと彼らと同じ明るい未来にたどり着けると無意識のうちに期待したのかもしれない。

「三代くんは中学生の時、どんな高校生活を送りたいと考えていた?」

 僕は中学生の時の自分を想像する。改めて過去の自分がどんなことを考えていたのか思い出してみると、やっぱり僕は彼女と同じ高校に進むことばかりを考えていたと思う。そのために、運動よりも勉強に励んでいたのは確かだった。

「幼馴染の子と同じ高校に通うことばかりを考えていたかな。それ以外、特に考えていなかったと思う」

 紀夫や岡野にも言わなかったことが、氷の上を滑ったように出てきたことに自分でも驚いた。

「幼馴染の子とは同じ学校だったの?」

 僕は首を横に振る。

「その子とは違う学校だったよ。その子は小山さんと同じ付属中に通っていた」

「えー、誰? 私、知っているかも」

 僕は彼女の名前を小山さんに伝えたけど、小山さんは彼女を知らなかった。僕は少しほっとする。

「ねえ、どうして同じ高校に行きたかったの?」

「なんだろ、約束みたいなものかな。中学の時、たまたま会った時に同じ高校に行けたらいいね、みたいな話になったんだ」

 小山さんには本当のことを言わない方がよいと思った。それは単に彼女への執着を捨てられないでいた自分を露わにしたくなかっただけかもしれない。

「そうだったんだ」

 僕は話題を変えたくて訊く。

「小山さんは、どんな高校生活を思い描いていたの?」

 彼女は顔を上げる。あてもなく空を見ているようだ。

「私は高校に入学したら美術部に入りたかった。そして、絵をたくさん描くことを考えていたかな。それと、新しくできた友達と遊びに行ったり、恋愛もしたいなと考えていたよ」

「そうだったんだ。美術部にも入ったし、友達とも遊びに行ったりして、考えていたことはだいぶ実現できたんじゃない?」

「うん、改めて考えてみるとそだね」

 僕らはそんな風に思い描いていた高校生活について話し合った。僕の高校生活は思い描いていた生活から大きくかけ離れてしまい、傷ついた心を胸に辛い日々を送ってきた。それは一つの夢を諦めた先には、不幸しか待っていないと思っていた僕がいたからだ。

 だけど、今の僕は一つの夢を諦めたとしても別の夢を追いかけることが大事なんだと分かっている。だから、僕はこうして小山さんと並んで歩くんだ。

 北大通のバス停を通り過ぎ、僕らは幣舞橋を渡る。すっかり秋らしくなった風に乗ったカモメが気持ちよさそうに頭上を飛んでいく。

「まなぼっとの近くのバス停から乗ろうか」

 僕の提案に小山さんは頷いた。

 僕らは出世坂を上る。普段部活で散々走っているから、このくらいの階段を上っても息があがることはないけど、今は少しの息苦しさを感じた。僕は階段を上り終えると、一瞬立ち止まる。

 そして、僕の横を通り過ぎた小山さんの手首を掴んだ。

 僕の目には、驚いた小山さんの瞳が映る。

「ぬさまい公園に寄ろうよ」

 僕は強引かなと思ったけど、小山さんは拒まずに頷いた。

 東屋を通り抜け、幣舞橋が見渡せる柵の前で立ち止まる。僕と小山さんは柵に腕を置いて、幣舞橋を眺めた。

「幣舞橋の夕日を眺めたことはある?」

「旅行ガイドブックとかに載っている風景でしょ。私はないよ。三代君は?」

「僕もない。あるのは、ヒルトップから太平洋に沈む夕日は何度か見たくらい」

 ここでこうやって小山さんと並んで、この街の美しい夕日を眺めることができれば、とても幸せなことに違いない。

「一度は見てみたいよね」

「見れるよ」

「まあ、この街に住んでいればいつかは見れるか」

「そだね」

 僕は胃が縮こまるような窮屈さに襲われるけど、続けて言う。

「もし夕日を見るなら、僕は小山さんと一緒に見たいな」

 先ほど彼女の手首を捕まえた時と同じような表情を、彼女は僕に顔を向けた。

「こうして二人で並んで夕日を見たい」

 小山さんの口角が上がる。

「ねえ、小山さん。僕は分かったことが一つあるんだ」

「なに?」

 今までの僕に足りなかったのは勇気だ。幼馴染への執着を脱ぎ捨て違う誰かとともに人生を歩もうとする勇気だ。今だからはっきりと言えるかもしれない。決して僕の頭上にポラリスの光が届かなくても、冷たい夜空のどこかで美しく輝いてさえいればいいんだ。

 ゆっくりと空気を吸い込んで、ふーっと息をはきだした。

 喉に詰まり行き場を失いそうな言葉を、僕は力強く押し出した。

「僕は小山さんが好きだということ」

 僕の言葉を聞いた小山さんは一瞬驚いたような表情をして、柵に置いた腕に突っ伏

してしまった。

 初恋の彼女に伝えたかった好きという二文字を、僕は彼女とは違う女の子に伝えた。それも生まれて初めて声に出して言った。文字数にして二文字。たったの二文字だけど、これほどまで重たく、声に出して言うことに勇気がいる言葉は他にないのではないだろうか。

 僕は昂った気持ちを宥めようとするけれど、言うのが早すぎたのかもと思い、眩暈めまいに似たような揺らめきを感じる。

 ガスが街で滞留するように時間が流れなくなったようだ。一秒がとても長く感じる。小山さんになんと言えばよいのか分からなくて、僕はつい謝ってしまう。

「驚かせてごめん」

 彼女は突っ伏したまま「ううん」と首を横に振った。そして、顔をゆっくりと上げ、目じりを左手の甲で拭った。僕は初めて女の子を泣かせてしまい、体が硬直する。そして、肩から下げたバッグにハンカチを入れていないことを後悔した。

 動悸どうきが早まり、そして喉が渇いて気持ち悪い。言葉では言い表すことができない感覚に襲われている僕の胸を、小山さんはポンと叩いた。

 そして、優しい猫のような声で言う。

「もう、泣かせること言わないでよ」

「ごめん」

 また僕は、つい謝る。そして、魂が抜けたみたいに体に力が入らなくなる。体が崩れ落ちてしまいそうで、何とか足に力を入れた。

「ごめんなんて言わないでよ」

「だって、小山さんを泣かせてしまった」

「違うよ、これは嬉し涙だよ。もう」

「嬉し涙?」

 僕は繰り返す。

「うん、そうだよ」

 彼女はもう一度、手で涙を拭って笑った。

「ありがと、こんな私を好きになってくれて。三代くんに告白されて、凄く嬉しかった」

 その言葉は僕の中に落ちてきて、心の中に立ちこめていたガスを一瞬で吹き飛ばしてくれた。だけど、まだ少し息苦しい。

 僕らはしばらく見つめあって、そしてほほ笑んだ。

 黄色みを増した太陽に向かって、小山さんは背伸びをする。

「あ~、凄く緊張した」

「僕もだよ」

 僕らはもう一度向かい合って、ふふふと笑う。

 そして、僕はゆっくりと手を彼女の前に出した。不安定に揺れそうな声が出そうだったけど、タオルを絞るように喉から声を絞り出す。

「ねえ、お願い。もし迷惑じゃなかったら、僕と付き合ってほしい」

 僕は雪原で美しいダンスを踊るタンチョウ鶴のような求愛はできないから、こうして勇気を振り絞って口にした言葉を大事な人に届けるんだ。遠く遠く輝く恒星の光が、いつか僕らのもとに届くように、この大切な想いが君を照らし続けますようにと願う。

 風に晒された僕の手を包み込むように、彼女は僕の手をつかむ。

 彼女の手から伝わる温もりは、寒いこの街に訪れた春の陽気のような温もりだった。

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