ポラリスの夢と小さな幸せ②
夏休みが終わる頃あたりから、秋が夏の背中を押し始めたように街にちょろちょろと顔を出すようになる。最高気温が二○度を下回る日が増え、霧の発生頻度も少なくなる。ちょろっと顔を覗かせて足早に去ってゆくこの街の夏は、きっと控え目な性格なのかもしれない。そんな季節の変わり目を感じながら、新学期が始まる。
冷たい水をかけられて眠りから起こされたように、休みボケを頭から追い出した僕らは、以前と変わらず再び勉学と部活動に勤しむ。変わった点と言えば、明らかに内地に行ってきましたと言わんばかりに真っ黒に焼けた顔で通学する生徒、そして一学期に比べて明らかに仲良くなっている男女が数人ほどいることだった。紀夫もその数人に入ってもおかしくはなかったけど、彼は教室で伊藤さんと親密な雰囲気で話すことはしなかった。そこが紀夫らしかったし、それも彼の良いところだと思っている。
僕はと言えば、一学期と変わらず小山さんとよく会話をしていた。一学期の終わりに席替えをして、僕らは前後の位置関係から左右の位置関係に変わったから、厳密には以前よりも話しやすくなったかもしれない。それに、授業中も視界の片隅に小山さんの横顔が目に入るので、授業中でもほんわかとした気分になることがたまにある。
北洋祭を経てクラスメートの幅も広がり、お昼ごはんは紀夫と大丸に加えて小沢も加わって食べるようになった。小沢は卓球部に入っていて、よく放課後の教室で着替えている姿を目にしたことがったから、顔だけは知っていた。
六月の全道大会を終えた羽球部は二年生を幹部とする新体制に移行して二カ月が過ぎようとしていた。高校からバドミントンを始めた紀夫と岡野、僕は冬に開催される新人大会に向けて練習に打ち込んでいた。入部から四カ月も過ぎると僕らのプレースタイルの方向性が固まりつつあった。固まりつつあったというよりも、顧問の先生に各々が目指すプレースタイルを言い渡された。体格の良い紀夫は意外にも守備型、岡野はオールラウンド、僕は攻撃型だった。岡野は身長が高くないものの、筋力と体力があるから攻撃も守備もこなすタイプに合っていると思ったけど、僕と紀夫は逆なんじゃないかと思った。疑問に思った僕は顧問の先生に訊いてみると、紀夫は瞬発力よりも持久力があるから守備型、僕は瞬発力があるから攻撃型だと言われた。一応個人の資質を見て決めたことを知って僕はモチベーションが上がるのを感じた。
夏休みの終わりに、僕は小山さんに「二人で遊びに行かない」と誘った。その時は考えが及んでいなかったけど、夏休みが終わると前期末テストが待ち構えていた。だから僕は学校が始まると小山さんに「一緒に勉強しよう」と提案した。彼女は間髪入れずにオッケーしてくれた。
ちょうど期末テストを翌週に控えた日曜日、小山さんとぬさまい公園で待ち合わせをしたけど、家の最寄のバス停に停車したバスにちょうど小山さんが乗っていた。バスの後に座っていた小山さんは僕が乗車してくる姿を見かけると名前を呼んでくれた。
彼女の隣に僕が座ると、小山さんは安心したように言う。
「一緒のバスで良かった」
「そだね。このバスを逃すと、待ち合わせ時間に間に合わないしね」
「でも、よく考えたら私と三代くん、目的地が同じだったら乗るバス同じだよね」
「うん、そう思う」
本当は違う。僕の最寄りのバス停では違う路線のバスも停まるため、そちらに乗っても今日の目的地にはたどり着ける。
そんなことを話しているうちに、バスは生涯学習センター前で停まった。僕らはそのバス停で降り、市立図書館に向かう。図書館は開館してからそれほど時間が経過していなかったから、僕たちが座るスペースは十分にあった。
僕と小山さんは事前に相談し、今日は英語と数学、そして国語の三科目を一緒に勉強することに決めていた。僕は英語が苦手で、国語と数学や小山さんも僕も同じくらいの学力だ。とりあえず、僕らは英語から始めることにした。
友達と一緒に勉強をすることは初めてだった。しかも、学校でもない場所でだ。図書館は静かで、時折子供の声が響き渡るくらいで、静かな森の中でノートを広げている気分になる。隣には学校と同じく真剣な眼差しでノートに何かを書き込んでいる小山さんがいる。
それなのに僕は、もし隣に座っているのが小山さんではなく彼女だったらと考えてしまう。頭の中で幼馴染の彼女が、長い髪を耳にかけながら真剣な表情で本を読む。そんな光景に憧れる。だけど、目を開くと僕の隣にいるのは彼女ではなく小山さんだ。小山さんが勉強に付き合ってくれているのに、つい幼馴染の彼女を想像する自分に嫌気がさす。本当に失礼な自分だ。
――小山さんに彼女の姿を重ねるなんて……。
心の中でため息をつく。深いため息だった。
僕は気分転換をするために立ち上がる。勉強に行き詰った時の気分転換とは違う。つい彼女のことを想像してしまう自分をこの場所から消すためだ。歩きながら本を探したけど、行き着いたのは数学の本が並ぶ棚だった。僕は微分積分の本を手にとり、席に戻ってそよ風が本をめくるようにページをめくる。本来であれば三年時に習う範囲だ。一年生の僕には難しいかもしれないけど、二次関数や連立方程式を解くことにミスはなくなったから、こうやって新しい領域を勉強している方が気がまぎれた。
僕がテスト勉強をやってないことに気付いた小山さんは、僕が読んでいる本を覗き
こみ、小声で言う。
「終わったの?」
僕は頷いたけど、彼女は僕のノートをまじまじと見た。
「英語のグラマーが、まだ終わってないじゃん」
「グラマーって暗記ばかりで面白くない。家に帰ってからでもできるよ」
「そうだけどさ、微分積分は期末と関係ないじゃん」
僕のノートを覗きこんだ時、小山さんの髪の香りが鼻腔に届き、たんぽぽの綿毛のようなふんわりとした気分になる。
「そだね~」
「そだね~、じゃないよ」
小山さんは僕のわき腹を小突く。
「さっ、気持ちリセットして再スタートしよ」
そして、僕らは再びノートにペンを走らせた。
こうやって彼女とじゃれあう間柄になれるなんて全く想像していなかった。横で真剣な表情でノートに書きこんでいる小山さんの横顔が視界に入るだけで、僕は自然とほほ笑んでしまう。そして、時々髪をかき上げ左耳にかける仕草が目に入る度に、僕の胸はざわついた。
二五分ほど経過した時だった。彼女はノートを閉じて背伸びした。猫の背伸びのようにしなやかな伸びだ。
「どうしたの?」
「終わった」
どうやら僕の行動にやる気をなくしたわけではなさそうだ。
柱に掛っている時計に目を向けると、あと五分で一三時だった。
「終わったなら、ごはん食べようよ。お腹空いてない?」
「うん、空いたよ。僕もちょうど終わった」
「じゃあ、片付けよう」
彼女は頷いて、ノート類をリュックにしまった。僕もノートをリュックにしまう。
図書館を出ると、真夏に戻ったような暑さだった。真夏といっても僕らの街は真夏でもせいぜい二五度には達しない。内地の人たちからすると、とても涼しい気温のように思えるかもしれないけど、この地域で十何年も住んでいる僕らからすれば一年の中でもっとも高い気温だから汗が体から滲み出てくる。
僕は辺りを見回す。生涯学習センターの近くに高校生が入れるような飲食店は見当たらなさそうで、目に入ったのはそば屋さんだけだった。
――う~ん、おそば屋さんじゃなあ。
高校の学食のように、気軽に入れて食べれるお店がほしいなと思う。
時間稼ぎのために僕は尋ねる。
「小山さん、何食べたい?」
彼女は首を傾げて考える。だけど、すぐに口を開く。流れ星が僕たちに姿を見せる刹那のようだ。
「なんでもいいよ」
僕は心の中でため息をつく。女の子が言う「なんでもいいよ」は、本当はなんでもよくはない。そう岡野が言っていたことを思い出す。僕は質問の仕方を間違えたな、と思った。学校の外で女の子と二人で食事をするのは初めてだから、こういう時に学食があると本当に助かる。もし学食がやっていたとしても、小山さんを学食に誘うとわき腹を小突かれそうだ。いったい皆、どこでお昼ごはんを食べているのだろう?僕は眉間に皺が寄るのを必死でこらえた。
そして、取り繕うように言う。
「Mooで探してみない?」
僕の提案に小山さんは首を縦に振った。
こうして僕らは出世坂を下りてMooに向かった。
夏休みの終わりに、紀夫に誘われて伊藤さんと小山さんと四人で街で遊んだ日を思い出す。あの時と違うのは、小山さんと二人きりだということだ。
もし女の子と二人で街に出かける時は、僕の隣にいるのは初恋の彼女であってほしいと願っていた。けれど、実際に僕の隣を歩くのは、初恋の彼女ではない違う子だ。
Mooの中にあるお店を見て回ったけど、これといったお店がなかったので僕らはパン屋でパンを買うことにした。
Mooの外に出て釧路川を臨めるベンチに座り、膝の上にパンを並べた。先日のお礼にパン代は出すと小山さんは言ったけど、会計は各々ですることにしてもらった。譲歩してもらうのに少々苦労して、彼女の少し強情な一面を知ることができた。
僕はこっそり買ったハスカップジュースを小山さんに渡すと、彼女は優しい猫のような声で「ありがと」と言った。
ベンチに座って並んでパンをかじる。川と海の香りが混ざって風にのってくるけど、あまり気にはならなかった。風は午前中にフル回転させた頭を冷やしてくれるようでむしろ気持ちよかった。
小山さんは一見大人しそうに見えるけど、よく話す子だった。早くもなく遅くもないリズムで発せられる声を聞いていると、なんだか気持ちが落ち着いた。僕らはバイオリズムか何かが合っているのかもしれない。
僕は心の中にいる彼女と決別することを考えなければいけないタイミングに差し掛かっているのだろう。福寿草に春を告げる春の陽の光のような暖かな雰囲気を持った小山さんに、僕と手を繋いでほしい、と言うべきか決める時なんだ。
「どうしたの?」
彼女の言葉で、いつの間にか小山さんの横顔を眺めていた自分に気づかされる。
「ううん、何でもない」
僕は誤魔化すように、空を見上げる。見えない空気の力を羽に受け、人間のことなんか気にしない様子で空を飛ぶカモメが目に入る。人はいつの時代も鳥のように空を飛ぶことを夢見るけど、成長し知識を身につけるほど、人間は道具や機械を使い更に空気の力を借りないと空を飛べないことを知る。成長すればするほど、人は理想よりも現実ばかりを見るようになる。
一方で僕は理想ばかりを追い求めていた。いつどこで会えるか分からない彼女のことばかりを考え、そして再会を強く願っていた。それなのに僕は、公衆電話まで足を運び彼女の自宅に電話をかけることすらしてない。彼女の母親は僕のことを知っているから、僕が電話をしても取り次いでくれるだろうし、単に急に僕から電話がかかってきたことに対し彼女が驚く程度だ。にも関わらず、僕は行動に移せていない。
心底彼女のことが好きなら、なりふり構わず行動に移せたはずだ。
結局、僕は臆病なだけだ。
きっと自分が傷つくことに怖がっているだけなんだ。
だから、自分で会いに行こうとせず、天が彼女との巡り合わせを演出してくれることを期待しているんだ。
そんな臆病な僕と、期末テスト前の大切な休日を一緒に過ごしてくれる小山さんの存在は、天が僕に差し出した救いの手なのかもしれない。
羽を広げるカモメに吹きかけるように、ふっと空に向かって息をした。
僕は言う。
「食べ終わったら、まなぼっとに戻らない? 三階にアートギャラリーがあるんだ。帰る前にちょっと見ていかない?」
「えっ、いいの」
大きな声で言う彼女は、とても嬉しそうだった。
「そんなに驚かなくても」
「まさか三代くんの口から、アートギャラリーを見ようなんて出るとは思わなかったから。実は図書館に行った時から気になっていたんだ」
通常であればアートギャラリーに足を運ぼうとは考えない。テスト勉強に付き合ってくれた小山さんへのお礼になればと思って口にしてみた。
食べ終えた僕らは、くずかごにゴミを投げベンチを後にした。
風を感じながら幣舞橋を渡り、生涯学習センターに戻った。そして、一時間ほどアートギャラリーの美術を見て歩いた。
一人では関心が持てないアートも、小山さんが一緒だとどのアートも不思議と色鮮やかで趣があるように見えた。
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