今も僕は星の煌めきに手を伸ばす⑨

 休み時間になると、小山さんと話すことが僕の日常に加わった。

 一限から五限の全ての休み時間で会話をしているわけではないけど、たいてい彼女と話している。僕から話しかけることもあるけど、たいてい彼女から話しかけてきてくれた。優しい猫のような彼女の声に僕が応える。いつの間にか、お互い自然とクラスの目は気にならなくなっていた。もしかしたら、奥村が言った「お似合いだ」という言葉を真に受けたのは、僕らではなくクラスみんなだったかもしれない。

 けれど、みんなが期待している未来にはならないだろう。小山さんはちょうどよい話し相手ができた程度にしか思っていないだろうし、僕の心の中にはまだ彼女がいる。

 心の中でそう思う一方、話す度に僕らはお互い似ていることが分かり、親近感が増していた。

 例えば、僕も小山さんも桜ヶ岡に住んでいる。僕は一丁目で小山さんは六丁目だ。そして、お互い本が好きで猫派だということ。また、年下の兄弟がいること。数学が得意なこと。けっこうあったけど、他にもまだあるかもしれない。

 先日の部活が終わった後、岡野に「お前、いつの間に小山さんと仲良くなったの」と訊かれた。僕は席替えしてからと答えると、彼にわき腹を小突かれた。彼にとってH組のナンバーワンは和田さんだけど、密かに岡野ランクナンバーツーの小山さんも狙っていたらしい。先に越されたことが悔しかったらしく、今後は和田さん一筋で生きると言っていた。

 六月は霧が月の半分も観測されるようになる。霧の日は視界が悪くなるのと、自転車のブレーキが効きにくくなって坂道の下りが怖くなるけど、たいていの高校生はチャリ通を貫く。僕もその一人だった。

 霧の日は遠くから聞こえる霧笛の音に、訳もなく悲しくなる。見通しがない未来に向かって、どこかにいる彼女の名前を心の中で叫ぶ僕のように思えた。だから霧笛を耳にすると、決まって彼女の顔を思い出す。それでも、僕が覚えているのは中学二年生の時の彼女で、高校生になった彼女の顔にまだアップデートできていない。

 そんな日を繰り返すうちに六月は終わり、七月中旬に控える学校祭の準備が本格化しはじめた。

 僕らの学校は仮装パレードで市内を練り歩くことが恒例になっているから、全てのクラスは例外なく仮装テーマに沿った衣装と山車だしを作らなければいけない。 

 僕らのクラスは、シンデレラの仮装をすることになり、山車はカボチャの馬車に決まった。クラスの役割は三つに分かれた。女子生徒が仮装の衣装を作り、男子の半分は小道具、そして残りは山車だった。僕は山車の班になり、グラウンドと校舎の間に設けられたテントの中の作業スペースで毎日山車制作作業に追われた。

 夏になると二○度を超える日が増え、僕らは暑い暑いと口にしながら作業をこなした。全国から見ると二○度を超えたくらいの温度は涼しいと感じるかもしれないけど、真夏日になる日が一○年に数えるくらいしかない地元っ子にとっては、二○度を超えると、それは真夏の暑さだ。

 外で作業を進めていたとある日、数人の女子生徒が山車班の男子生徒の寸法を測定しに来た。その中には小山さんもいて、偶然か分からないけど僕の寸法は小山さんが測ることになった。肩や腰、足にメジャーを当てられくすぐったかった。僕はこの時点で自分がどんな衣装を着ることになるのかは知らなかったけど、男子の九割が着る予定の小人の衣装になるだろうと予想していた。


 なんとか学校祭当日までに山車を作り終えることができ、無事に北洋祭を迎えることができた。マジでギリギリだった。

 一週間前に作業進行度合いを考えると、間に合わない見込みだった。結構凝り性な生徒が集まったせいか、細部までこだわるデザインになったためだ。山車班の生徒はみんな部活にも入っていたことも進捗に影響した。僕らは体育会系の意地を見せ、部活の練習がない日は見回りの先生に帰れと言われるまで残って作業を進めた。暗い中、懐中電灯で灯りを点し作業を進めた。そんな甲斐もあり、無事に山車を間に合わせることができた山車班は、自然と結束力が強まっていたし、学校祭準備が始まるまでほとんど話したことがないクラスメイトとも仲良くなった。


 仮装パレードは北洋祭初日に組み込まれている。

 パレード当日になって知ったことだが、僕はなぜかシンデレラの妹であるアナスタシアに知らないうちに割り振られていた。ちなみに、姉のドリゼアは紀夫だった。女子生徒の大半は魔法使いの格好をしていた。きっとシンデレラに意地悪をする役はやりたくなかったから、僕と紀夫に役を回したのだろう。

 僕と紀夫は納得いかない表情で教室で着替え、そして女子生徒に纏わりつかれ化粧をさせられた。僕は化粧をしてくれた女子生徒に僕と紀夫が女装なのと訊くと、単純に面白いからと言った。もう一人は、紀夫はごっつくて目立つからドリゼアに、僕は女装が似合いそうだからアナスタシアに選んだと言った。彼女たちは仕上げに僕と紀夫に口紅を塗った。

 僕と紀夫は着替え終わり、みんなの前に出ると思い切り笑われた。主に紀夫が笑われていて、僕は女装が似合っているということで魔女の格好をした女子達にポカポカと叩かれた。

 僕と紀夫は開き直り、ドリゼアとアナスタシアらしくパレード中は思い切り騒いで北大通きたおおどおりを練り歩いた。シンデレラの母の格好をした和田さんが大人しく控えめに歩いていたから、二人で手を引っ張りシンデレラの周りを駆け巡ることに巻き込んだ。強引な僕らに最初は驚いていた和田さんも、次第に思い切り笑ってシンデレラの回りを駆け巡ってくれた。きっと岡野が見ていたら、俺と代われと言ったに違いない。


 初日で疲れた僕は残り二日間を大人しく過ごした。

 最終日は山車の解体をしながら、キャンプファイヤーを眺めた。集団で踊っている生徒がいれば、男女ペアで踊っている生徒もいた。僕は彼女とこの時間を一緒に過ごすことができたら、どんなに幸せだろうと考えながら遠くに揺らめく炎を眺めて学校祭の終わりを迎えた。

 学校祭が終わると、生徒の心は夏休みまっしぐらになる。

 終業式の日、担任の菅野先生が席替えをすると言った。僕は窓側の一番前の席が気に入っていたので、この席から離れることを考えると名残惜しかった。お気に入りの席というよりも、小山さんと離れてしまうことに対し霧笛を聞いた時のような気持ちになる。

 今回も廊下側の一番前に座る生徒がじゃんけんで勝ったから、廊下側に座る生徒からくじを引くことになった。

 くじの順番が回ってくるまで時間があったためか、小山さんが話しかけてきた。

「窓側の席から離れるの残念だね」

「そだね。こういう時こそ先生が言った残り物には福がある、と信じたいね」

「うん」

 頷く彼女の表情は、本当に悲しそうだった。その表情を目にして、僕はどういう言葉をかけてあげればよいのか分からなかった。

 そんな表情を変えてあげたくて、僕は言う。

「ねえ、二回連続で同じ席になる確率っていくつだと思う?」

「えっ、同じ席になる確率?」

「そう。例えば、小山さん一人が一学期末の席替えでも、また同じ席になる確率」

「え~、いくつだろ」

 彼女は目だけを天井に向けた。一生懸命、頭の中で何かを考えている様子だった。やがて彼女は口を開く。

「これってさ、三年生になって確率統計を習ってからじゃないと解けないんじゃ?」

「そうかもね」

「答えを知らないで、私に問題だしたの?」

「そうだよ」

「もう」

 彼女は笑って、ゆっくりとした正拳突きを僕の右腕にぶつかる。

 本当は計算方法を知っていた。僕は間違って数学の参考書を三年生分まで買ってしまったので、確率統計も少しは勉強していた。僕の目的は確率統計の話をするのではなく、悲しそうに見えた小山さんを笑顔にすることだから成功と言っていいだろう。

 そして、すぐに僕の番が回ってきた。教卓の上にあるくじを引く。席に戻って紙を開くと、31と書かれていた。菅野先生は席に割り振った数字を紙で隠して見えないようにしているから、全員が引き終わらないと移動先が分からない。

「何番だった?」

「31」

「私は6だった。次はどこの席になるのかな」

 彼女は何を想っているのだろう。優しい猫のような声を聞いても、僕には分からな

い。

「よーし、みんなくじ引いたよなー。じゃあ、オープンするぞ」

 菅野先生は黒板に書いた席の配置に被せていた紙をとる。途端に歓喜と驚嘆の声が教室中を飛び交う。僕はみんなが騒ぐ中、黒板を見て引いた数字を探した。僕の番号は窓側から二列目の後から三番目の席だった。窓側から離れるのは残念だけど、外の景色が見える席だからそんなに悪くはないだろう、と思った。

 だけど、次の席の場所よりも小山さんの位置が気になる。ようやく気軽に会話ができる仲になったのに、席替えで離れてしまったらと思うと少し息苦しさを覚えた。

 彼女の番号は分かっているから黒板を見た方が早いけど、僕は小山さんに尋ねる。

「どこになったの?」

「あそこだよ」

 彼女が指差したのは、教室の真ん中あたりだった。何列目の何番目とか具体的に言ってほしかったけど、僕の新しい席の辺りだと分かって少し胸がほんわりとした。

 荷物を持って新しい席に向かう。ホームルームが終わると部活だから、教科書は机に入れずにリュックにしまった。誰かが僕の右腕をポンポンと叩く。右を振り向くと小山さんがニコニコしていた。

「今度は隣だね」

 霧も雲もない夏の近づきを感じる真っ青な空のような透き通る笑顔だった。北国の青空のような笑顔は、根拠はないけど僕だけに向けられた特別な笑顔のように見えた。

 彼女の笑顔を目にして、見えない手に心臓をつかまれたような錯覚に陥いる。

 ――僕は小山さんに恋をしているのだろうか?

 今、僕の体の中で感じる苦しみに似た感覚は初めてだった。言葉では表現できない

感覚に僕は戸惑う。

 自分でも分からない苦しさが消えないまま、ホームルームが始まった。先生は明日

から始まる夏休みの過ごし方を話す。

 小山さんの笑顔も今日で見納めだ、と思うと切なくなる。

 ――僕は小山さんが好きなのだろうか?

 手を伸ばせば届く距離にいる小山さん、手は届かないけど一○年以上も僕の心の中にいる彼女。初恋の相手に一〇年も強い想いを抱いている高校生は日本に僕だけではないだろうか。抱き続けている想いをプラスのエネルギーに変換できているなら、何も悩むことはないかもしれない。今の僕のように、初恋という名の片想いをいつまでも胸に抱き続け、高校生になっても一歩を踏み出せずにいる僕は、濃霧で進む方向を見失った孤独な船のようだ。

 紀夫と岡野にこのことを話したら、間違いなく小山さんだろと言うだろう。それでも僕は小山さんと恋をすることに踏み出せない。小山さんに恋することで僕の中の彼女を失うような気がして、とても怖いんだ。

 僕は心の中で、小さくため息をつく。

 菅野先生が夏休み中の注意事項を話す。そして、最後にこう言った。

「みんな、くれぐれも怪我だけはするなよ」

 昔、夏休みにはしゃいで大怪我をした生徒がいたのかもしれない。そうだとしても菅野先生は優しい。心からみんなを気遣っているのだろう。

 ホームルームが終わり、生徒は一斉に席を立つ。リュックを背負った小山さんに僕は訊く。

「美術部は夏休みも活動はあるの?」

「あるけど、ほとんどないかな。羽球部は?」

「週四回練習だよ」

 夏休みに入る前に、三階で使われていない教室の壁を取り壊し、大きな多目的教室が出来上がった。多目的教室という名称だけど、実質卓球部の練習場だ。卓球部が体育館を使わなくなったため、体育館で練習する部活の練習日は一日増えた。

「そっか。夏休みの宿題……」

 僕は言いかけた言葉を飲み込んで、口を噤む。

「宿題?」

「ううん、宿題がたくさん出たね」

「ちょっと大変だね」

「そうだね」

「夏休みが終わったら、すぐに期末試験だし、けっこう勉強に力を入れないといけないね」

 話したいことはこんなことじゃないことは分かっていた。だけど、僕は。

 教室の入り口で紀夫が「先に行ってるぞ」と言って出て行った。

 小山さんは少し悲しげな目をして言う。

「じゃあ、今度は夏休み明けだね」

 僕も悲しげに「そだね」と言った。

 そうして、僕らは手を振って別れ、僕は購買に向かった紀夫たちを追いかけた。

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