今も僕は星の煌めきに手を伸ばす⑦
僕は新しい席が気にいった。校舎は丘陵地帯の窪んだ位置に建っているから教室の窓から大した景色は見えないけど、窓側は気分が晴れる。晴れの日は陽の光が気持ちちがいいし、窓を開ければ風が入ってくる。休み時間は外を眺めて時間をつぶすこともできるし、遅刻してくる生徒の様子も眺めることができた。
昼休みは紀夫の席でお弁当を食べるのが習慣だった。席替えをしてから、
お昼休みが半分ほど経過し、お弁当を食べ終えた頃だった。岡野が教室に入ってきて、僕らを図書室に誘う。
紀夫は弁当箱を
「俺はいいや。俺は大さんとパンを買ってくるからよ、二人で行ってくれ」
大丸はハンドボール部に属しているからよく食べるし、二人ともお弁当だけでは足りなくて、最近はよく弁当を食べ終えた後に購買でパンを買って食べている。
だから僕は岡野と二人で図書室に向かう。
以前図書室に行くことを話してから、僕と岡野は何度か図書室に足を運んだ。狙い通り、和田さんは図書室の本を借りていた。だけど、彼女が借りている本のジャンルは多岐にわたっていたため、好きな本の傾向を読めずにいた。だから、岡野は手あたり次第気になった本を借りて読むことを繰り返していた。
当初は完全に下心丸出しで図書室に通っていたが、最近岡野は本の面白さに目覚めたらしく、純粋に彼が興味を持った本を借りていた。
図書室に入り、小説コーナーに向かう。
しばらく本を物色していると、岡野が僕に寄ってきて小声で言う。
「三代、この本面白そうじゃね?」
彼が表紙を僕に見せる。彼が手にしていた本は、燃えよ剣、というタイトルがついていた。読んだことはないけど、著者の名前は知っていた。歴史小説家として有名な著者の小説だし、父の本棚にも何冊か並んでいたのを見かけたことがある。
「面白そうだね」
僕も小声で言う。
そう言うと、彼は笑って貸出カウンターに向かった。僕は
図書室を出た僕らは、借りた本を片手に教室に向かう。図書室に通い出して分かったことだけど、本を借りる男子生徒はごく少数派だということだ。僕は中学生の時から本を読むことが習慣だった。父に買ってもらった吉川英治の小説を没頭するように読んだから、活字を読むことは好きだった。
図書室を出て、本をめくりながら岡野は言う。
「なんかさ、すっかり本にはまったなー」
「そうだね、最初は和田さん目的で図書室に通って本を借りていたのに、いつの間に
か本が目的で通うようになったね」
「そうなんだよ。おかげで最近寝不足だよ」
「借りなければいいじゃん」
「そうだけどさ、本を読まないと落ち着かないんだよ」
「完全に本の虫だね」
「だな」
図書室の廊下はいつも静かだ。図書室の隣は美術室で、昼休みには何人かの生徒がキャンバスに向かって絵を描いている。曇りの日、この廊下は寂しく感じるけど、僕は静かなこの廊下が不思議と気に入っていた。
僕は尋ねる。
「本の楽しみが見つかったから、和田さんはもういいの?」
「そんなわけないじゃん。本は面白いけど、やっぱり和田さんと仲良くなりたい」
「そっか。岡野が借りた本は、その後和田さん借りたかな?」
「あっ、やべっ。チェックし忘れていた」
「いいじゃん、読書という楽しみに目覚めたんだし」
「それとこれは別だ」
読書の楽しみに目覚めただけで十分じゃないか。小説を読むことは、大きく受験に寄与しないかもしれない。せいぜい、現代文の読解問題に強くなる程度だ。けれど、本を読む習慣を身につけることは並大抵のパワーではできない。僕らが大学生になり社会に出た時に、きっと役立つ習慣だと僕は考えている。
「ところでさ、三代は何借りた?」
「江戸川乱歩」
「どんな本?」
「推理小説。
「へー、推理小説ね。三代の他に誰が借りてた?」
「何人か借りてたけど、覚えていない」
「重要な所だろ」
「重要か?」
「そうだよ、和田さんが借りてたかもしれないじゃん」
「もし和田さんが借りてたらどうするの?」
「三代が和田さんに話しかけるんだよ」
「どうしてさ」
「俺のため」
自分でやれ、と言いたかったけど、僕は言葉を飲み込む。岡野のためではないけど、和田さんと一度話してみたいと思ったことはある。彼女と本について話してみたかった。だけど、彼女と話すきっかけが思いつかない。岡野のようにフランクで他の教室にも気兼ねなく行ける性格じゃないと、やっぱり難しい。
「気持ちは分かるけどさ、話しかけづらいよ」
岡野は軽くため息をつく。
「三代さ、せっかくかっこよくなったのに活かさないともったいないぜ」
僕と紀夫はハードな練習で一気に痩せた。痩せたおかげで、男女問わず先輩たちからもかっこよくなったとよく言われる。
「外見が変わっても、中身は変わっていないからね」
恋愛に対し消極的だから、僕は彼女との繋がりを作れなかったんだ。同じ高校に通うことでしか彼女との繋がりを取り戻せないと思っていた僕は、他の方法を模索することすらしていない。していないというようりも、僕のノウハウでは思いつかない。
僕は絶望に打ちひしがれたまま前に進めずにいる。
だから、僕の心は今もまだ後悔の色で染まったままなんだ。
☆
高校受験の合格発表が行われた数日後のことだった。
授業から帰宅すると母は電話中だった。「うちは北洋なの」と時折聞こえる高校名
から、僕と同じ年代の子供を持つ親との電話だということが想像できた。
電話を終えた母に僕は言う。
「ただいま」
「おかえり。そうそう、美奈ちゃん
「そう」
分かっていた。彼女の学力からすれば、天変地異でも起きない限り合格以外の結果は出ない。
母から彼女の合格を聞かされる前から、僕は彼女と同じ高校に通えないと分かっていた。僕が絶望を突き付けられたのは、中学三年生の二学期の定期試験の結果が出た時だった。
僕が通っていた中学校は相対評価だったから、テストの点がどんなに良くても、自分より上位に生徒が多くいれば5はもらえない。僕のクラスは平均点が高く、学年でも常にクラス平均順位で一位か二位をとるようなクラスだった。
僕は得意の数学以外で5をとることはできなかった。
テストが返却される度に、僕はこのクラスになったことに対し、やり場のない怒りを覚えた。
定期試験後の進路指導で、担任の先生から江稜から志望校を変えることを勧められた。要は僕の内申点ではミラクルが起きない限り受からないということだ。
僕が隣のクラスだったら、数学以外の科目も余裕で5が取れたのに、と何度も思った。なぜ相対評価なのかと評価制度に不満を抱いた。僕はクラスで一○位だった。九位までの友達は、みんな江稜高校に進学した。僕を境にして、それ以外の生徒は江稜以外の高校に進学した。
結局は、僕はボーダーラインを越える力がなかっただけだ。それなのに僕は、置かれた環境のせいにして、自分の非力さから目を背けた。他のクラスメートよりも努力が足りなかっただけなのに、その事実を受け入れることから逃げた。
受験する高校を変えざるをえなかった時点で、僕は彼女と同じ高校に通う目標を叶えることができなくなった。それはつまり、彼女との再会を果たす唯一の道を絶たれたことと同義だった。
その日の夜、僕はベランダでしばらくポラリスを眺めていた。
彼女と同じ高校へ通うことが絶たれたことを思い出す。僕はポラリスに向かってそっと手を伸ばし、そして声を殺して泣いた。
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