今も僕は星の煌めきに手を伸ばす⑤

 彼女と初めて出会ったのは、幼稚園だった。

 僕は人見知りするタイプだったらしく、友達は多くなかった。それでも、同じ幼稚園に通う一年年上の近所のお兄ちゃんと背丈が近かった東くんとは仲が良かった。仲が良かったのはその二人くらいで、女の子と話をした記憶など皆無に等しかった。

 僕は生まれつき喘息持ちで、月に何度か病院に通っていた。

 幼稚園が終わって病院に向かうとある日だった。

 母と二人で病院に向かうと思っていたら、母は幼稚園の近くに停まっていた車に近づいた。助手席側の窓から手を振り、後部座席のドアを開けて母は車に乗り込む。車の色は覚えていない。

 車を運転席に座っていたのは、母の友人だった。そして、助手席には僕と同じ幼稚園の制服を着た女の子が座っていた。その子は見覚えがある子だったが名前は知らなかった。

 病院に行くのに、なぜこのような状況になっているのかが理解に苦しんだ。普段と違い、ずいぶん緊張した通院だったことを覚えている。そんな僕を気遣ったのか、助手席に座る女の子は、巣穴から顔を出すリスのように座席から顔を覗かせて僕にコーヒーゼリーをくれた。幼稚園児にとっては苦いゼリーだった。そんなゼリーをその子は美味しそうに食べていた。

 僕が今でも覚えているのは、苦いコーヒーゼリーを無理に美味しいと言ったこと、そして、ゼリーを手渡してくれた時の彼女の黒くて大きな目だった。

 彼女も生まれつき喘息持ちだったから、その後、僕と彼女は毎回のように彼女の母親の車で通院することになった。通院時だけでなく、幼稚園でも彼女と話すようになったらしいが、あまり覚えていない。彼女自身、あまり男の子と話すタイプではなかったためか、通院の日は僕と手を繋いで幼稚園を出ていく姿は先生たちに驚かれたらしい。

 彼女とは学区が違ったため、小学校からは別々の学校に通うことになった。時々病院で会い、ほんの少しだけ近況を話す程度だった。それでも、僕は彼女と会えることが何よりも楽しみだった。彼女の声はどんな音楽よりも安らぎを与えてくれて、そして彼女の笑顔はしばれる寒さの中でも心を瞬時に温めてくれた。

 高学年になるつれ、僕らはお互い喘息が治った。だから、僕たちが顔を合わせる機会は次第になくなった。

 それでも今日まで、彼女を忘れる日は一日たりともない。


     ☆


 自宅のベランダに座って、夜空を眺めていた。

 僕の家はヒルトップの近くだから、市内でも高台に位置する場所に建っている。父は津波の心配がない場所に家を建てたかったためこの場所にしたらしいけど、チャリ通している僕にとっては、毎日ひぶな坂を上らなければならないので、ちょっと大変だ。

 高台に建っているため、ベランダから太平洋を臨めた。天気が良い日は水平線まで見える。

 五月でも夜になると寒い。今日は紀夫と居残り練習をしたから余計に疲れていて、早く眠りにつきたかったけど、不思議と夜空を眺めたい気分だった。

 鉄紺の空に星が煌めく。冬の名残があるような空気を吸いながら見上げる星は、なぜだか余計に冷たく感じる。夜空に煌めく星々は恒星だから、本当は太陽のように高熱の星だし、中には太陽の何倍も大きい星もある。それでも、冷たく、寂しく輝いているように僕には見えた。

 僕は一瞬身震いする。そして、小さくくしゃみをした。静かな住宅街に、僕のくしゃみが響きわたる。

 どんなに暗い空でも、ポラリスは美しく気高く控えめに輝いている。そして、僕はその輝きを愛している。僕はポラリスを見上げて想うことはあっても、ポラリスが僕を見つけるとは限らないし、その光は僕を照らすのかは分からない。それでも、僕はその輝きを愛し続けることしかできない。

 いつか、ポラリスが輝いているだけでいいと思える日々が訪れるのだろうか。

 もう一度小さなくしゃみをして、僕は部屋に入って窓を閉めた。

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