今も僕は星の煌めきに手を伸ばす④

 ゴールデンウィーク後の月曜の昼休みだった。

 学食でカツカレーを食べながら岡野は言う。

「二人はさ、クラスで誰が一番可愛いと思う?」

 紀夫は蓮華いっぱいにすくったチャーハンを口に運んで言う。

「やっぱ、伊藤さんじゃね」

 僕らの高校は市立だから、釧路市内でも数少ない学食を有する学校だった。市内の大部分の高校は道立だから学食はないらしい。紀夫と僕は週に一回は学食に行こうと約束をしていた。この日は学食に向かう途中にたまたま岡野と会い、彼も一緒に食事することになった。

 僕はエスカロップをスプーンですくいながら二人のやりとりを聞いていた。

「どこがいいの?」

「ちょっとぽっちゃりしていて、りんごのようなほっぺをしていて可愛いじゃん」

「あー、確かに紀夫好みかも。分からなくもないな」

「岡野は誰よ?」

 紀夫の質問に岡野は即答する。

「やっぱ、和田さんでしょ。色白で知的でどこかミステリアス。それに、結構胸もある」

 岡野は隣のクラスだ。にも関わらず、H組の女子生徒で誰が一番可愛いのかという話に難なくついてくる。ついてくるというよりも、岡野が言いだした話題だし、僕と紀夫よりもH組の女子生徒の名前と顔を覚えている様子だった。

「三代はどうよ」

「特にいないかな」

 本音だった。

「なんだよ、それ。入学してから一ケ月も経つんだし、一人くらいはいるだろ」

 僕はまだクラスの女子を知らない。クラスには彼女の印象に勝る女子はいなかったし、街中の女の子を集め対面したとしても、僕の一番は彼女から変わることはない。

 僕は考えるふりをしてから言う。

「僕も和田さんかな」

 嘘ではない。いつも休み時間に何の本を読んでいる彼女は、どこかミステリアスで透き通った綺麗な空気を纏っていた。僕も読書が好きだから、彼女が読んでいる本が気になったことがあった。

「やっぱそうだろ~」

 H組というカテゴリーに限定するのであれば、本当は和田さんよりも別の人を挙げたかった。紀夫が挙げた伊藤さんと仲がよい女子生徒がいるのだが、僕は彼女の名前を知らない。その女子生徒は、どこか彼女の雰囲気に似ていたけど、彼女のように長くて絹のような長い髪の毛ではなく、肩のちょっと上あたりで切りそろえられたくらいの長さだし、目の大きさも彼女の方が大きかった。

 中学の時も、恋愛やタイプの子、可愛いと思う子などの話題はあったけど、高校になると割合が増すように感じる。東京の超進学校とかは九割以上勉強の話をしているのだろう。それに比べ、僕らは田舎でのんびりしているから、大体は女の子にまつわる話かゲームやテレビ番組の話題が多い。

 僕は疑問を口にする。

「どうして岡野はそんなにH組の女子に詳しいの?」

「たまに休み時間にH組に遊びに行っているんだよ。本田っているだろ、あいつ俺と同じ中学で仲良かったから、借りてるゲームのことを聞きに行っているんだ。それにG組はH組に比べて可愛い女子はいないからな」

 僕はあたりを見回す。僕らに視線を向けている人がいなかったので、鼻から息をすーっとはいた。

 休み時間、たまに岡野のような声がするのは空耳ではなかったようだ。それに、中学でも高校でも自分の学年の女の子に詳しいやつがいるが、それが岡野とは思わなかった。どれくらい他のクラスに出入りしているのか分からないけど、何組のあの子が可愛いとか、何組のどの子も可愛いとか、スラスラと言いそうだ。

 チャーハンの皿を空にした紀夫は、今日の部活に向けて追加で購入してきたカレーそばを口に運んでいた。

 岡野が呆れ気味に言う。

「チャーハン食べたばかりだろ、よく食えるな?」

「練習がハードだからさ、食っておかないとすぐ腹減るんだよ」

 入学時から比べると、紀夫の頬はずいぶんとけた。それは僕も同様だった。それもそうだろう。羽球部のハードな練習をこなし、毎日自転車通学をしているだけで、かなりのエネルギー消費につながる。エネルギーが有り余る一〇代半ばの僕ら男子高校生の体力をもってしても、部活と自転車通学で消費するエネルギー量は想像を超えている。その証拠に、先日H組の担任である菅野先生に、僕と紀夫は「ずいぶん痩せて二人とも男前になったな」と言われた。褒められるのは嬉しかったけど、できれば彼女に言われたかった。

 カツカレーの余韻を流し込むように水を飲む岡野に、僕は言う。

「岡野は女子をよく見てるね」

 僕は心から感心していた。違う学校にいて目に見えない彼女ばかりにを考え、近くにいる女子に目を向けようとしない僕とは違い、岡野は大人だと感じていた。

「当たり前さ。高校生活を謳歌しなかったらもったいない。あ~、なんか和田さんと仲良くなる方法ないかなー」

 岡野は色白の女の子が好きなようだから、僕は頭に思い浮かんだ子を言ってみる。

「羽球部の林さんじゃダメなの?」

 僕はエスカロップを食べ終えて、水を飲み干す。

「なんで林さんなんだよ」

 林さんは僕らと同じ一年生の羽球部の女子だ。僕らが見学をした翌日に見学にきて入部した子だ。

「林さんも色白じゃん」

「色白だけじゃダメなんだよ。俺はそんなに単純じゃない。それに、林さんは浜田が好きなタイプだろうな」

「そうなの?」

「俺の見立てではな。なぜなら、二人は同じ中学出身で、しかも中学時代から羽球部だったんだ。浜田は間違いなく林さんを好きだし、林さんも浜田が好きだ。あの二人の間に付け入る余地はないんだよ」

「よく分かるね」

「見ていれば、分かるよ」

 僕は人の恋愛にうとい。これも彼女だけを想い続けてきた影響なのかもしれない。

「じゃあさ、和田さんに直接話しかけてはどうなの?」

「俺がH組にドカドカ入り込んで、いきなり和田さんに話しかけたら、彼女びっくりするじゃんかよ」

「いつも本田と話すために、休み時間になると違和感なくH組に入り込んでいるじゃん。あとは話しかけるだけじゃん」

「それが、むずいんだって」

「岡野ならできぞうだけど」

「俺って意外とシャイなんだよ」

 僕は和田さんの姿を思い浮かべる。いつも和田さんを見ているわけじゃないけど、休み時間の彼女はたいてい本を読んでいる。自分の本かどうかは分からないけど、もしかしたら借りた本かもしれない。

「じゃあさ、今度図書室に行ってみない?」

「なんでさ?」

「和田さんってさ、いつも休み時間に本を読んでいるんだ。もしかしたら、学校の図書室から本を借りているかもしれない。それで……」

 僕が話している途中で、岡野は僕の肩を急に叩いた。周りの生徒が振り向くくらい、強く叩かれた。だから、僕は口にしようとしていた言葉を、思わず飲みこんでしまう。

「三代、お前頭いい」

「えっ」

「そうだ、そうだよ。図書室だったら和田さんに会えるかもしれないし、それに彼女が本を借りているとしたら好みの本も分かるかもしれない。好きなジャンルが分かれば、彼女がまだ借りてない本を先に俺が読んで名前を覚えてもらえるかも」

 岡野は僕が言おうとしてないことまで口にした。岡野の学力は知らないけど、彼からは頭の回転の速さを感じる。本当に頭がいいってのは、きっと彼のようなタイプを言うのだろう。

 カレーそばの汁まで飲み干した紀夫が、不思議そうな表情で岡野に尋ねる。

「なんで本を先に読めば名前を覚えてもらえるのさ?」

 紀夫は岡野の狙いが全く理解できないようだった。

 僕は単に図書室だったら和田さんに会えるのでは、と思って図書室に行って偶然の出会いを装うことだけを言ったつもりだったけど、岡野の狙いはすぐに読めた。僕も本を読むから図書室の貸出ルールを利用して、自分を印象付ける手段は想像しやすい。

「始めの一歩は、まず和田さんがよく読んでいる本のジャンルを知ることだ」

 紀夫が深く頷く。

「次は、和田さんが読んでいるジャンルで彼女がまだ借りていない本を俺がとにかく借りる」

「それで?」

「そうすれば、貸出カードに俺の名前が記載されるだろ」

「うんうん」

「ここまで言っても分かんないかな~」

「うん、分からんね」

「考えてみ。和田さんが色々な本を借りるたびに、貸出カードの欄に俺の名前があったらどうよ、私より先に多くの本を読んでる岡野って人、どんな人なんだろうと興味でると思わない?」

 貸し出しカードには、学年とクラスと名前を記載する。和田さんが借りる本に、とにかく1年G組岡野啓太と記載があれば何者だ? と気になるロジックだ。

「あ~、そういうこと。それより、岡野、お前本を読むっけ?」

「俺は今日から読書家になるの」

 彼は訳の分からないガッツポーズをとる。だけど、彼の目は部活の練習中より熱がこもっているような目で、力強く輝いていた。


 教室に戻ると、窓際の一番後ろの席でカーテンから漏れる陽にあたりながら本を読む和田さんの姿が目に入った。学食で岡野と和田さんの話をしたからだろうか、無意識に彼女に視線が向いてしまう。立ち止まって彼女をじっくり見るわけにもいかないから、僕は彼女の姿を目に焼き付けた。

 僕は席に戻って、しばらく目を閉じた。

 彼女は元々穏やかな空気を纏っているように見えるから、春の陽の中にいると、その柔らかな空気がいつも以上に温かく柔らかな空気に感じる。そして、余計に彼女の白さが際立つ。色白なところは彼女に似ている。

 僕は目を開けた。

 そして、心の中でため息をつく。

 ――和田さんに彼女との共通要素を探すのはよくない。

 時々僕は見かけた女の子に、彼女の要素がどれくらいあるのかを考えてしまう。どれだけ共通要素があるのかが、僕が人を好きになるバロメーターかのように探ってしまう。本当に悪い癖だ。

 だけど、仕方がないじゃないか。僕の中にあるスタンダードが彼女なのだから。彼女の要素が僕が惹かれる要素であるし、心に植えつけられた刻印のように消すこともできない。僕はこの基準を抱えたまま生きていくしかないんだ。

 なんだか教室の喧騒が遠くに離れて行ってしまうように、静かになっていく。

 僕はまどろみの中にいるように、そっと目を閉じた。

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