第一話 今も僕は星の煌めきに手を伸ばす
今も僕は星の煌めきに手を伸ばす①
街を吹き抜ける風に含まれる草木の香りが濃くなってきた頃だった。
体育館で開催された一年生に対する部活紹介イベントが終わり、教室に戻ってきた僕らのクラスは、高揚感を体育館から持ち帰ったようにそわそわした空気が満ちていた。ある生徒は、どこからかもらってきた入部届けの紙を周りの席に配っていた。クラスの人数分持ってきたのだろうか、僕にも入部届けの用紙が回ってきた。
僕は運動部に入るか、それとも帰宅部になるか用紙を眺めながら考えていた。
運動は嫌いではない。小学一年生からスイミングスクールに通い始め、中学にあがるのと同時にスクールを卒業した後も自主的に水泳は続けていた。だけど、中学三年生の夏に中耳炎を
肩に大きな手が乗り、紀夫の声がした。
「おい、三代」
僕は振り向く。
「部活は選んだかい?」
「まだだよ」
「それなら俺と一緒に
「羽球部?」
「バドミントン部のことだよ」
「バドミントンはやったことないよ」
「俺だってそうだよ。中学までサッカー部だったからさ」
「サッカー部には入らないの?」
「もうキーパーはやりたくない。それに、キーパーじゃあまり
僕と紀夫は事情は違えど、少しぽっちゃり気味男子だ。太っている訳ではないけど、顔が少しふっくらしている。
「お前は何か運動していたのか?」
「うん、中学まで水泳をやっていた」
僕は運動は嫌いではないが好きでもない。水泳だって自宅近くに室内プールの施設があった環境だったことと、親に勧められて始めただけだ。
「なら、ちょうどいいじゃん。水泳部は無いしさ、俺と一緒にバドミントンやってさ痩せようぜ」
「そんなに痩せたいの?」
「痩せたいに決まっているじゃん」
「どうしてさ?」
「痩せているほうが、かっこいいからに決まってるっしょ。痩せたらモテるぜ。な。だから俺と羽球部に入ろうぜ」
どうやら彼にとって痩せていることは正義らしい。
――バドミントンか。
特にやりたい運動はないし、紀夫のように誘ってくれる友達と一緒に入る部活も悪くないかもと思った。
「分かった、入るよ」
「おしっ。じゃあ、決まり。今日さっそく見学に行こうぜ」
紀夫は入部届けの紙を僕の机に置いて、満面の笑みで教室を出て行った。机の上に入部届けの用紙が二枚になる。ちょっと突っ走ってしまう彼の勢いに僕は苦笑いした。
その日の放課後、僕は紀夫と一緒に体育館に向かった。
今日の体育館の割り当ては羽球部と卓球部だった。それぞれの部が体育館を半分ずつ使う形だ。だから、体育館で練習する部は使える曜日が割り当てられている。翌日はバレーボール部とバスケ部が使うらしい。
羽球部が練習を行う場所には学生服姿の男子生徒が二人立っていた。僕らの他にも見学する一年生がいることを知った僕は、ゆっくりと息を吐いた。
先に見学に来ていた二人のうち一人が僕らに向かって手を上げた。
「おう紀夫」
「早かったな」
「ホームルームが早めに終わってさ。あと俺も一人友達誘った」
彼はそう言って笑う。
紀夫と話していた彼は岡野と言った。紀夫と同じ中学出身で僕らの隣のクラスのG組だった。そして、岡野が連れてきた友達は野田という名前だった。岡野は切れ目で短髪でちょっと怖そうだけど、話すと面白いやつだった。野田は真面目で穏やかな感じの男子だ。紀夫が岡野を羽球部に誘ったらしい。きっと僕を誘った後にでも、G組に駆け込んで岡野を説得したのだろう。そんな光景が目に浮かぶ。
体育館ではネットを準備している生徒の中に、ピンク色のジャージを着ている男子生徒が一人だけいた。
僕が通う高校は、学年によってジャージの色が異なる。ちなみに、僕の学年のジャージはピンクだ。桜のような淡いピンクではなく、赤に近いピンクで嫌がる男子生徒は多かった。
彼はネットの準備を終えると、僕らに向かって真っすぐ歩いてきた。
「あれっ、紀夫じゃん」
「おう、浜田」
紀夫は顔が広い。数日でクラスの全員と友達になったのではないだろうかと思えるくらい、クラスの男子のほぼ全員と話していた。
僕は彼の能動的な姿勢が羨ましかった。羨ましいと思ったことを認識しても、僕は彼のように自分から行動を起こせる人間になれる気がしなくて、胸に針が刺さったような痛みを覚える。そんな些細なことで、僕はまた自分が嫌になる。
浜田は僕に顔を向けて言う。
「確か、三代だよな」
「うん、そうだよ」
「三代も入るのか? それとも見学だけ?」
「入るつもりだけど」
「まじで。今年の一年は俺だけかと思ったけど、思ったより増えそうで嬉しいな」
僕は彼に尋ねる。
「浜田はもう入部しているの?」
「ああ、入学式の翌日から練習に参加してるんだ。俺、中学からバドミントンをやっててさ、その時の先輩が北洋にいるんだ。だから入学前から先輩に入部を勧められていたんだ」
彼のように中高一貫して同じスポーツを続ける生徒が大半だ。僕らのように、中学までやっていたスポーツから別のスポーツに切り替える生徒は多くはない。部活に入ることは、いずれレギュラー争いに絡むことになる。そうなると入学前から始めている生徒にアドバンテージがあることは目に見えているし、彼らも高校に入って更に成長するだろう。そうなると、ビギナーの僕らと中学で築いたアドバンテージはずっと埋まらない気がする。だから、僕は正直高校から新たなスポーツを始めることに
――中学から競技を始めた連中よりたくさん練習して、抜かせばいいんだよ。
きっと紀夫だったら、笑ってこう言いそうだ。
自分の思考に嫌気がさす。いつからだろう、僕はこんなにもネガティブになってしまったのは。
水泳は自分の意志で始めたわけではないけど、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライと一通り泳げるようになった頃、いつか全道で一番になれるんだと、星の光のようにまっすぐ自分が目指す場所を見据えていた時期もあった。
なのに、僕は始める前から……。
浜田は先輩に呼ばれる。
「練習始まるまで、そこらへんに座ってていいから。準備がまだあるから行くね」
彼は笑って、呼ばれた先輩の元へ駆けて行った。
浜田はバドミントンより柔道の方が似合いそうな体格をしている。バドミントンは激しいスポーツではあるけど、中学から続けていても痩せないタイプもいるのだろう。僕は紀夫の横顔を見る。彼が頭の中で描く自分の理想像に近づけるのか、なんだか心配だった。
羽球部の練習が始まるまで僕らの他に見学希望者は現れなかった。
僕らは四人で一時間ほど練習を見学した。部員はざっと見て二○人にも満たない。各学年、四~六人といったところだ。
学校指定のジャージを着ないで練習している先輩もいたけど、雰囲気や周りの接し方から三年生なのか二年生なのかは大体想像できた。
部活の練習に打ち込む先輩方の表情は凛々しかったし、とても生き生きとしていた。僕は中学時代、一人で黙々と泳ぐことしかしなかった。クラブに属して大会に出るわけでもなく、何か目的があったわけでもなかった。ただ、小学生の時の高いモチベーションがかすかに残っていて、惰性で水泳を続けていようなものだった。だから、みんなで汗を流して羽を追いかける姿に自分を重ねるだけで、胸の鼓動が速くなった。今の僕には無心で何かに打ち込むことが必要なのかもしれない。そうすることで、僕は少しずつ彼女の呪縛から抜け出すことができるきっかけを掴めそうな気がした。
今日見学に参加した僕らは四人とも羽球部に入部届けを提出し、翌日からさっそく練習に参加することになった。
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