第3話 雑貨屋の女店主ベベル

 翌日。ライアスとフライアは街の雑貨屋を訪れていた。


 精錬した粗銅や防腐処理をした皮を引き取ってくれる馴染みの店で、兄妹が生計を立てる上で無くてはならない場所だ。雑貨屋でありながら喫茶店としても営まれており、ライアスたちは決まってこの店で朝食をとる。

 店内に入るや否やカウンターにいた店主が快活な声を上げた。


「あーら、いらっしゃい! 二人とも昨日は大丈夫だった?」


 ベベルは人好きのする性格の女店主だ。

 若い頃から看板娘として陽気であけっぴろげな性格をしていたらしい。年を重ねても親から引き継いだ店を切り盛りし、常連客を和ませている。


「連中、随分派手にやらかしてくれたみたいだし、こっちも身動き取れてなかったから心配してたのよ」


 連中というのは野盗のことだろう。

 自分たち兄妹を気に掛けてくれていたことを内心嬉しく思いながら、ライアスはぶっきらぼうに返事をした。


「ああ、なんとか。ただ、家の中は荒らされたな」


 それを聞いたベベルが、ふうとため息を吐く。


「やっぱり。あなたたちがいる都の南側はまだ安全なほうって思ってたけど。もうそっちの方まで手が回り出してるのね」


 旬な話題だからか、カウンターに居た初老の男性客が口を挟んできた。


「野盗の巣窟があるって噂の西側の住宅地域はもうひと通り漁られたっていうからな。みんなして少しでも都の近くへ、ってバタバタしてる状態だ。連中は見張りが行き届かないところならどこらでも狙ってくるさ」


 そうして会話がされている間、フライアはパンパンに膨れた鞄から淡々と納品物を取り出していた。鉱石や毛皮が次々とカウンターに並べられていく。


「あらあら、几帳面に全部持ってるのね。フライアちゃん、重かったでしょう?」

「はい……」


 フライアはようやく少し萎んだ鞄をキュッと抱きかかえた。

 ライアスがやれやれと肩をすくめながら言葉を添える。


「俺たちのなけなしの財産だからな。家に置いてたら取られてたとこだった」

「そうよねえ。私でよければ荷物番くらい引き受けるよ。……って、そう、朝食よね! 座って。いつものでいい?」


 言われて兄妹はカウンターの椅子に腰掛けた。


「ああ、頼む」

「お願いします」


 昨日の殺伐とした状況から一転、慣れ親しんだ和やかな雰囲気に二人がほっとひと息つく。




 ベベルは五分と経たないうちに二人分の食事を用意してきてくれた。柔らかなオムレツに肉厚のハム、自家製ジャムのパン。食べ慣れたいつもの朝食だ。


「どうぞ。それにしても、面倒な世の中になったわね。あなたたちも親がいない中で、ずっと二人きりよね」


 ライアスはハムに噛り付きながらこくりと頷いた。


「そうだな。気付けば随分経ってたとは思う」

「ほんとね。もういい年にもなってるんだし、互いの道を歩んでもいいんじゃない? って時々思うけど、今の状況だったら下手に離れないほうが安心よね」


 ……兄妹は自分たちの秘密をベベルに明かしてはいない。理性を切り分けられた《独りの兄妹》であること。それぞれが相手の身体に憑依できること―――


 ベベルには数年に渡って世話になっているが、自分たちの特殊な境遇を伝えることで下手に意識されたくないと思っているうちに、正体を明かす機会をすっかり失ってしまった。

 ライアスは口についた葡萄ジャムをペロリと舐め取ると、当たり障りない返答をした。


「……そうだな。お互いに安心して寝ていられないだろうな」


 ベベルは朝食を頬張る兄妹を見てふふっと微笑み、言葉を続けた。


「そうね。でも、あなたたちだって何か行動に出てもいい頃なんじゃない? 今日も鉱石や皮を持ってきてくれたけど、一生二人きりで生きていくわけでもないんでしょう?」


 その言葉に兄妹はピタと食事の手を止める。


「うーん……」

「もう五年……六年だっけ? こうしてお店に来てくれるようになって、生活のためにってお手伝いもしてくれて。充分に下積み期間は過ごしたと思うの。もちろん今も頼りにしてるけど、だからってあなたたちをここに縛りつける理由もないし。もっと広く世界を見たらって思うの」


 兄妹が顔を見合わせる。


「……広い世界?」


 少し戸惑うようにライアスが言った。


「そう。私もよく知らないけど、シェラタンなんて東の大陸でも一番端っこ。穀倉地帯で各都に食べ物を供給できることが取り柄なだけの貧しい都よ。だからこうして野盗にも簡単に脅かされちゃうの」


 納得しながらも、ともすればほぼ取り柄がないといった表現にライアスは首を傾げた。


「……食べ物を供給するという大事な役割を果たしてるんじゃないのか?」


 ベベルは高らかに笑い、その疑問に応じた。


「それは……! そうなんだけど。でもわかるでしょ、野盗にいいようにされてるって。他の都はこうはなっていないのよ。野盗なんかが我が物顔で街を荒らしに来るなんてことがないの。ちゃんと自衛する仕組みができているから」


 野盗の襲来が日常的になっていた兄妹はキョトンとして再び顔を見合わせた。


「ほら、知らないでしょう? 知らないって本当にもったいないことだと思うの。こんな田舎で育ったら無理もないんだけど……あなたたちはまだまだこれからだもの。ちょっとずつでいいの。何か新しいことに取り組んでみたらって思うの」


 ライアスとフライアは先日、二十歳になった。そんな兄妹の可能性を、ベベルは広げようとしてくれているのかもしれない。


 しかし《独りの兄妹》という特殊な状況下にある二人にとって、それは冒険だ。ずっと面倒を見てくれていたベベルにそう促されたことで、ライアスは少なからず動揺していた。


「んー……急に言われてもな」


 そんなライアスの脇腹をフライアが小突き、呟くように口にする。


「でも、自警団……」


 言われてハッとする。ライアスは昨晩話したばかりのことを、ベベルとのやり取りの中ですっかり忘れていた。


「あ、ああ、そうだった。世界がどうっていう話とは違うだろうけど、昨日自警団に入るかどうしようかって話してたんだ。まぁ、その。新しいことって言えばそんなことを……」


 するとベベルはパッと表情を明るくした。


「そうそう! 違ってないわ、そういう話よ。野盗に困ってるから、自分のために、人のためにって思ってくれたんでしょ。よかった。ライアス君からそのことを聞けて」


 その反応にライアスは少し驚き、また嬉しい気持ちになった。


「そ、そうか?」

「それはそうよ。実直にモンスターに向かって武器が振れるんだから。それにあなた、嬉しいのか不機嫌なのかわからないことが多いもの。今みたいに言ってくれたほうが人には伝わるのよ」


 そこまでを話し、ベベルはフライアに視線を向ける。


「フライアちゃんだって困ってるんじゃない? もう少しはっきりと表現したほうがいいわよ」


 ライアスはチラリと妹に視線を送る。


「……。たぶん、フライアは大丈夫だと思う」


 ――何せ自分自身の心だ。


 フライアは苦笑いのような表情を浮かべながら、合図でもするように兄と視線を交わした。

 いつものことだ、と胸の内で納得しながら、兄妹は戸惑ってもいた。ベベルに対して何時いつ、どのように自分たちの境遇を説明すればいいのか判断がつかない。


 そんな心中を察することができるはずもなく、ベベルはニコリと笑って兄妹を勇気づけた。


「フフ、ならいいわ。それなら早速行ってきて。自警団もようやく本腰を入れはじめて、近いうちに王都からも応援が来るそうよ。学べることもあると思うし、ちょうどいい機会じゃないかしら?」


 また応援が来る、という言葉にライアスがやや不安そうな声を上げる。


「え、そうなのか? あんまり見ず知らずの人ばかりの中に入るのも慣れてないんだけどな」

「何事も経験よ。ほら、いってらっしゃい。今日のはもうおごりでいいから。あと、不要の荷物があるなら言って。預かるから」


 そう言ってベベルは兄妹たちの空いた食器を片付けはじめた。


「わ、わかったよ。そこまでしてくれちまうのかよ」


 立ち上がったライアスに続き、フライアがペコリと頭を下げる。


「あ、あの、ベベルさん。ありがとうございます」

 兄妹はそのまま背中を押されるようにして店を後にする。持ってきた鞄と残りの荷物も預かってくれた。


 ライアスは半ば呆れたように手を頭の後ろに回し、しみじみと口にする。


「ベベルさん、結構気にしてくれてたんだな。まるで姉というか、母親というか……」

「ずっとお世話してくれていたから」

「こうなるとあれだな。俺たちのこの正体を言ってないことが足枷になってくるよな」

「うん……」




 それからしばらく黙々と歩き、ふと、ライアスがぽつりと呟いた。


「……そうだよな。もう俺たちも二十歳だったか。それで《妹》と片時も離れずに過ごしてたら不思議にも思われるか。俺たちにとっては当たり前であっても」


 フライアが顔を上げる。


「……二人でひとつ、だもん」

「難しいよな。本当はこの街に骨を埋めたいって思ってて、ベベルさんのように受け入れてくれる人もいるのに、『他人と違うから』って壁を作ってるのは自分たちだもんな」


 フライアはまた俯いてしまった。まさに兄の言う通り、ぐうの音も出ない、といった様子だ。


「……だからベベルさんは行動に出ることを求めてた、と。境遇を隠しているようで俺たち、しっかり見られてたのかもな」


 野盗の被害による騒がしさと、その情報収集による賑わいで、街の至る所がざわざわと騒めいている。

 それらを小耳にはさみながら、兄妹は街の北側にある自警団の本部へと向かった。

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