第2話 自分が二人いる

 ギィ、と軋んだ音を立てて扉が開かれる。ライアスはやや警戒しつつ室内を覗き込んだ。気配に注意しながらランプに火を灯す。


 簡素な山小屋のような室内。二つある木製のベッドに小さな釜戸、使い古された鉄鍋が灯りに浮かび上がる。床を照らすと食器類や道具類がいくつも散乱していた。いかにも乱暴に荒らされたという感じだ。


 そのまま裏手に回り、鉱石の加工や裁縫を行う作業場を確認したところで、ライアスと少女の声は深いため息をついた。


「予想通りだ。もういないみたいだし、とりあえず出てきても大丈夫だぞ」


 ライアスは誰もいない中でそう呼び掛けた。

 すると、その背中からスッと、その場にライアスとは別のもう一人の姿が現れる。

 



 人が人に憑りつき、そして現れる。

 六属性の魔法が存在するこの世界でも聞いたことがない、奇妙な術を持った兄妹。

 彼らはこれを《憑依》と呼んでいた。


 ライアスが部屋の様子を確認しながら、その少女に声をかける。


「……あいつらには砂利だらけの銅鉱は何の価値もないみたいだな。そっちの毛皮とかは大丈夫か、フライア?」


 フライアと呼ばれた少女は肩に掛けた鞄をドサリと机に置く。


「持ってたから、大丈夫」


 そう言って中身を確認しはじめた。

 パンパンに膨らんだその鞄から、いかにも野性味のある毛皮やゴツゴツした鉱石が取り出されていく。それは二人にとって極々貴重な品々だった。


「これが全財産」


 それから部屋の隅に隠してあった箱をガサゴソと探り、「隠しておいた食材も無事」と付け加えた。


「それと後は、さっき野盗から剥いだ小銭、と。あー、鞄に入れてある獣皮は防腐しただけか。これ、毛皮はまた干しとかねえと」


 ライアスはそう言うと獣皮を手に作業場へ向かい、フライアは食材を手にして釜戸の前に立った。野盗とのごたごたからようやくひと息ついて、《兄妹》の日常が再開される。


 やがて作業場から戻ったライアスがふと呟いた。


「……俺たち、あとどのくらいこんなことしてるんだろうな」


 食材を処理するフライアの表情がにわかに歪む。


「やめてよ。そんなふうに言うの……」


 そんなフライアの様子を気に留めることなく、両手を頭の後ろに組んだライアスが言う。


「今日、なんか街で聞いたよなぁ、誰かが来るって」

「王の都の人ね」

「ああ。確か、これまでいたのか? ってくらいの人数だったのを、まとまった数にして戦力を増やすとか。ずっと騒がれてた気がするけど、今になってやっと重い腰を上げたって感じだよな」


 シェラタンは大陸有数の穀倉地帯であるため、最近は王都が介入して保護する地域となった。だが、そもそも都と呼ばれるほど発達が進んでおらず、いつしか異常に増えた野盗の餌食にされたままだ。

 王都の助力が受けられる話が兄妹の耳に入るようになってもそれが続き、さっきのように自力で退治しなければならない始末だ。


「うん、どんどん、住民がいなくなっちゃうから」

「そう、野盗ばかりのこんな所には住めねえってな。まあ金があって簡単に引っ越せる奴もいるけど、大抵はできないよな。まともに見えてた奴まで、『乞食のマネして王都の世話になるんだぁ』なんて言ってたもんな」


 フライアが少し驚いた顔をした。兄は多くの場合、言われたことがあってもすぐに忘れてしまうのだ。


「……それ、覚えてたの?」

「んー……、何故か覚えてた。無性にぶん殴りたくなったから、身体が覚えてたんだろうな」


 それからしばらく沈黙が続き、調理の音だけが室内に響いた。


 ライアスとフライアは、何ともいたたまれない心地になった。裕福な住民らは自分たちよりも余程安全で、恵まれた環境下で過ごしているにも関わらず、いとも簡単にこの街を見捨ててしまう。無責任とも言えるその行為が無性に腹立たしかった。


 ライアスはふと妹の調理の手が止まっていることに気付いた。


「……大丈夫、か?」

「……うん。まだ、もう少しは」


 息を小さくひとつ吐いて、フライアが調理を再開する。

 やがて干し肉とクズ野菜を用いたスープが出来上がり、日持ちするライ麦パンと一緒に食卓に並んだ。空腹だった二人はそれを無言のままペロリと平らげ、満足気なため息を漏らす。




 しばしの間があって、フライアが呟くように言った。


「あと、もう一つあったよね? お話」

「ん? なんかまだあったっけ?」

 ライアスが無表情に妹を見やる。


 フライアは「やっぱりね」と肩をすくめる仕草をしてから鞄を探ると、しわくちゃになった一枚の紙切れを取り出した。それをおもむろにライアスに手渡す。


 その紙は街で配られる広告ビラで、宣伝文句は『自警団募集!皆で、王都と一緒に緑多き都シェラタンを守ろう!』となっている。フライアはベッドに腰かけると、ビラに目を通す兄をジッと見つめた。


「あー、そういえばあったなぁ。王都からまとまった数で人が来るのと一緒に、自警団も新しくするとか」


 うろ覚えな記憶を辿るようにライアスが声に出して振り返る。元々シェラタンは狩猟を生業なりわいとする者たちが都周辺の警護の任も兼ねていた。それで事が足りるほど穏やかな場所だった。


 だが、そこへ野盗が群れとなって襲来。モンスターとは異なる知恵をつけた彼らに狩猟団は対応に苦労し続けている。度重なる襲来で本業にも支障が出ている。モンスターが農村の近くで蔓延る機会が増え、猟師が対応に出向けば今度は隙を突いて野盗が群れで現れる。傷つき、負傷する彼らは疲弊し、ますます戦力は先細っていく。


 広告はまさに地獄のような悪循環に陥ったシェラタンを表している。今の警護では全く足りず、隣の都から力を借りてでも再編しなければならないことは誰もがわかっていた。


 フライアがおずおずと口を開く。


「相談、なんだけど……」


 ベッドの上で膝を抱え、囁くように小さく言った。不安そうな声でありながら、その眼差しには毅然としたものが浮かんでいる。

 そんな妹の目をライアスは無表情のまま、ただ真っ直ぐに見つめ返した。


「お前から提案するのも珍しいな。でも……そうだよな。そろそろ二人きりで殻に閉じこもっているのも、難しくなってきたよな」

「うん」

「俺たちは……《独りの兄妹》として、ずっと一緒にいなきゃならなかった」

「……うん」

「人として半人前でしかないことを、誰かに悟られることなく過ごしてきた」


 その「半人前」というのは、まさしく文字通り、半分でしかないという意味だった。


 一人では覚えられない、一人では人と会話できない、一人では表情を作れない、自制もできないし応答もできない。ある動作は兄が、ある機能は妹が、それぞれが役割を担当することで、兄妹ははじめて一人分のことがこなせる。


「ほんとは皆と一緒にいたいんだよな。でも、誰かと一緒にいればいるほど、自分たちが周りとちょっと違うって思えてきて、だんだんと窮屈になって……」


 兄の言葉にフライアは顔を伏せた。自然と涙が込み上げて、それを堪えようとして胸が詰まり、呼吸が浅くなった。

 ライアスは動じることなく言葉を続ける。


「結局受け入れてくれる相手は自分たちしかいないって、俺たちは二人して同じように考えてる」


 兄は妹に、妹は兄に。《独りの兄妹》である、自分自身に受け入れてもらうしかない。


「でも……でもさ、フライアから自警団のことを言いだしてくれたってことは、心の底から、変わりたいって思ってるんだよな? 殻を破りたいって、そう思ったんだよな?」


 膝に顔をうずめていたフライアが顔を上げた。こくりと頷き、返事をする。


「たぶん……。怖い、けど……」


 応じるようにライアスも頷いた。


「ああ、たぶん、俺も同じ。……明日、自警団のとこ、行ってみるか」


 そう言って立ち上がった。


「絶対に離れないようにしないとな」


 フライアはもう一度、さっきよりも深く頷いた。


「……約束ね」

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