第1話 最貧の都シェラタン

 静かな雨が降りしきる中、警鐘が今日も打ち鳴らされる。


 緑の都シェラタン。その小さな都はのどかな穀倉地帯でありながら、そこは今野盗がのさばる無法地帯になりつつあった。


 統治者の庇護がない田舎の小都市には、群れを成した賊の蛮行をとどめる術がない。自警団による必死の警護もむなしく、住民たちは日々の糧を奪われ、時として命を落とすこともあった。


 警鐘を耳にした住民たちは家に籠もり、災いが降りかからないよう祈りつつ身を震わせる。運悪く出先で野盗と遭遇した者は逃げ惑い、または正面切って抵抗を試みるも、徒党を組んだ賊を相手に結局はどうすることもできなかった。

 諦めて金品を差し出すか、もしくは命乞いをするかだ。




「くっそ……。迂闊だった。雨だけならまだしも、野盗まで……」


 中心街から南へ、独りで走る青年がいた。

 剣士風の様相だが、金属のプレートを当てた革鎧を纏う以外には腰に付けた剣一振りのみ。盾も持っていない。


 野盗から見れば格好の的であろう、その青年――、ライアスは警鐘が鳴らされたその時、咄嗟に入れる安全な建物がなく、野盗との鉢合わせに気をつけながら帰る最中だった。


 少しでも雨から視界を確保し、同時に気配も消そうとその金髪の髪を覆うようにフードを被る。

 ふと前方を見ると人影が複数見えた。


(危ないっ! 右に!)


 ライアスの脳裏にそんな声が呟く。右を確認すれば建物同士の隙間に人ひとり通れる路地があり、そこに放置された樽の陰に身を伏せた。


 幸い五、六人はいたであろう男たちはそれに気づかず通り過ぎていった。息を殺していたライアスは体勢を立て直すと表の通りの気配を窺う。

 すると、声が聞こえたのは反対からだった。


「うわあっ! だれ……か……っ!」


 路地の奥からだった。慌てて向き直るとやがてその声は雨の音にかき消されるように小さくなっていく。


「ちくしょう……、調子乗りやがって……」

(……行く、の?)


 こんな我が物顔で人を弄ぶ野盗が憎い、と唸るような声でライアスが呟く。だが、同時に今度はそれを抑えようとする声が脳裏から聞こえてきた。


(たくさん、いなければいいけど……)


 不安そうに、たどたどしく発せられるその言葉にライアスは迷うように固まった。雨脚は衰えることなく、徐々にフードから頭へと浸み込んでくる。


「……数がいなけりゃ、やってやる……!」


 脳裏から来る不安を払うように、ライアスはそう言って足音を忍ばせて路地の奥へと進んだ。




「や、やめろ! やめてくれ! 命だけは……」


 路地裏に向かう小路の中程、逃げ遅れた老爺が降伏の意思を示す。

 その鼻面にナイフの切っ先が突きつけられ、腰を抜かした老爺はストンと尻餅をついた。


「へっへ……そんな年で命乞いかい? いいぜえ、命だけは救ってやるよ」


 そう言うや否や、粗野な顔つきの男は老爺の顎を無慈悲に蹴り上げた。


「さぁ、命の代わりに何をくれるんかね? お?」


 気を失ってピクリとも動かない老爺の懐がまさぐられる。


「……小銭が少しと、煙草と。あとは薬が幾つか。……けっ! こんなんじゃ酒代にもなりゃしねえっての!」


 野盗は足を使って老爺を転がし、これ以上盗れるものはないと判断すると踵を返した。


「……悪く思うなよ。俺だってこんなことやりたくてやってんじゃねえ。この都で干されて野盗に身を落とすしかなかったんだ」


 そう呟いて前を向いた時、男は思わず息を呑んだ。

 暗がりに人影が一つ。その強い眼差しが野盗を睨みつけている。


「……っ‼ なっ、お、お前は……ぐはぁっ‼」


 無骨な形状の鉄棒が振り下ろされ、殴り倒された男の横面が地面に打ちつけられた。あまりの勢い這いつくばり、起き上がることすらままならない。

 逃げようと慌てて四つん這いになる男の背中を、青年らしき人物の影が覆う。鉄の棒がまた容赦なく打ち下ろされ、絶叫が上がった。


 野盗は激痛に身を捩らせ仰向けになる。力強くもどこか感情に乏しい目が、ジッと見下ろしていた。


「や、やめてくれ……! わ、悪かった、盗んだも……っ‼」


 言い切るより前に、青年――、ライアスが再度鉄の棒を打ち下ろす。容赦ない苛烈な打撃が一発、二発……さらにもう一発。


「ぎあああぁっ‼ や、やめっ……て……ぎゃぁっ‼」


 やがて気を失った男の傍らに鉄の棒が放り捨てられ、ガランと音を立てた。

 あざだらけになったその顔を覗き込んだライアスは、男の金品をおもむろに奪い取った。それを傍に倒れていた老人の懐に突っ込み、それからその一部を自らのポケットに入れる。


 そのまま去ろうとしたが、なおも目を覚まさない老爺の身体を揺すった。軽く「うう……」と唸る声は聞こえたが、その目は開かない。

 少しして、何かの気配を感じ取って後ろを振り返る。


「おーい! そこに誰かいるのか? 自警団だ、安心しろー!」


 その声を聞くや、ライアスは足早に反対側へと足早に立ち去った。




 街の郊外、その広野にぽつんと建てられた木造りの小屋。その見慣れた住処に向かって歩きながら、ライアスは短くため息を吐いた。


「本当に懲りねえ連中だよなあ。たまたま都で出くわしたからぶん殴ってやったけど」

(殺して、ないよね?)

「たぶん、な。刃物は使わなかったし。……それよりあの爺さんの方が心配だ」


 そう話すライアスの傍らに人の姿はない。

 

 こうしたはライアスからすれば日常的なのだが、傍目には独り言を言っているように見えるだろう。


(自警団、よね。最後、聞こえたの)


 そう問いかける少女の声にはやや気まずそうな響きが含まれている。


「……たぶんな、そこまで覚えてない。今思えば逃げなくてもよかったかもしれないけどな。でも……」

(私たち……)


 そこまでを話し、ライアスたちは口をつぐんだ。


 自分たちの能力、そして境遇。他人にとって理解しがたいそれをあまり知られないように、ひっそりと過ごしてきた。それは今にはじまったことではなく、もはや慣れてしまったことだ。


「それより俺たちの家は? また荒らされたりしてないか?」

(この辺り、まだ来てないみたい。だから……)


 ふとライアスが足を止める。


「嫌な予感がするよな……」


 そう呟いた途端、ガサガサと草を踏む慌ただしい足音が聞こえてきた。

 進行方向側、その薄闇の向こうから走り寄る三つの人影が見える。隠れる場所を見繕ってはみるも既に間に合いそうにない。


「おっとぉ? 獲物がこんなところにもいらぁ。おーい、兄ちゃん! 悪いことは言わねえからよぉ……!」


 脅しをかける野盗にライアスも腰から剣を抜く。だが、いたって真剣な構えとは裏腹に、野盗たちからは笑い声が聞こえた。


「はっはっは! この状況で喧嘩売ろうってのかチビ!」

「黙れ」


 そこまで体格に違いはないが、三人を前に前傾姿勢で構えるとやはり威圧感がある。それでも、ライアスは表情を変えずに一蹴した。


 いい度胸だ、とばかりにカチャ、という音を出しながら野盗たちも各々武器を構える。


「じゃあ、遠慮なく金とついでにお前の命も……!」

「ふんっ!」


 野盗たちはフェイントをかけるようにライアスの前と側面から迫る。同時では対応が間に合わない。


 誰もがそう思った瞬間だった。


「んがあっ⁉」

 

 不意打ちを狙った野盗の目の前に突然、氷塊が現れて顔面に激突した。

 続けざま、正面からフェイントをかけていた野盗をなぎ払った後、すかさず氷塊で仰け反った男の身体に無骨な剣が振り下ろされる。


「ぐええっ!」


 気絶には十分な手応え。そう確信したライアスは何事もなかったかのようにまだ残る二人を睨みつけて剣を構える。

 思わぬ反撃に遭った野盗たちは目を丸くして固まった。


「なっ……⁉ なっ、おめえ! 何しやが…ッ⁉」


 叫声を上げ地面に突っ伏した仲間を前に、他の野盗が悲鳴に似た声を上げた。


(やっぱり、やるしかないの?)

「三人相手じゃあな、やらねえと俺らがやられちまうって」


 言うや否や、ライアスは予期せぬ反撃に狼狽えたらしい男の肩口にも剣を叩き込む。


 ギンッ……!


 ライアスと野盗の剣同士が交えて硬直した。


「いけっ! やれっ……!」


 剣を交える野盗が声を上げる。

 少しでも力を抜けば弾かれて体勢を崩される。動けずにいるライアス相手なら今度こそ隙を突けると思ってのことだろう。もう一人の野盗が突撃してきた。


 そこに――。


氷弾アイスバレット……!)


 次の瞬間、襲い来る野盗の胴体に白色の飛礫つぶてがいくつも叩き込まれた。

 それは拳大の氷の塊で、男の目にはその氷がどこから出てきたか、誰が唱えた魔法かも分からない。


「ぐぶっ……⁉ そんな……どこ、から? あ、があぁっ‼」


 驚愕する男へ、ライアスが体を当てて体勢を崩し、剣で振り払い、立て続けに氷塊でひるんだ野盗も切り払う。

 驚きと戸惑いの顔を浮かべたまま、男たちはバタバタッと地面に倒れた。


 咄嗟の反撃に、相手が気絶したか、死に至ったかは分からない。

 ライアスは倒れ伏した三人をぐるりと見渡すと、男らの懐やポケットをおもむろにまさぐった。盗品と思わしき僅かばかりの銅貨をジャラリと握り込む。


「……俺たちの物品は持ってなさそうだな」

(というより、そんなの、ないから)


 ライアスはそれもそうだな、と頷くと野盗の身体を跨いで進み、視線の先にある自宅へと向かった。

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