楽観的な箱

因幡寧

第1話

 11回目の起床。


 ひびの入ったケースが目に映る。その内側は蛍光色に光る液体で満たされていた。


「10回を超えるのは初めてでしょうか」


 壁一面に描かれた幾何学模様を見回しながらそう独り言ちる。

 不意に、嗅覚センサーがこの場が刺激臭でいっぱいになっていることを教えてくれた。部屋の中心にある棺桶がうまく機能していないのだろう。徐々に腐っていくのは仕方がないとしても、匂いを封じ込めることすらできていない。


 壁面に自らを表す幾何学模様を一つひっかいて描き、空気の洗浄を始めた。


 重苦しい音と共に電力がもっていかれる。すこしだけ意識が飛びそうになるものの、素早く最低限の機能だけを残し座り込むことでそれを回避した。


 ――瞬間的に時間が飛び、気が付いた時には一般的な機能が戻ってくる。


 立ち上がりながら嗅覚センサーの送ってくる結果を確認し、小さくうなずく。まだ空気洗浄機は生きているようだ。


 この小さな箱はどこまで行くのだろう。小窓から外を眺めながらそう思う。チラチラと瞬く星々の並びはもうすでにデータにないものになっている。


 ――宇宙葬。


 この部屋の真ん中にいるあの人を送るためにこの箱はある。私も、そのためにいる。だが現状は明らかに知識の中にある宇宙葬から逸脱していた。本来であればもうどこかのブラックホールにでも飛び込んでいるはずだ。


 ……棺桶に並ぶようにして床に圧縮された情報が刻み込まれている。私ではない私が刻み込んだもの。そこにはこの船を破壊した旨と、その理由が込められている。……中身を読みはした。その感情も理解できないとは言わない。けれど、その周囲に追加で刻まれた様々な情報が中心のそれを罵倒しているのを見ると、果たして彼女の選択は正しかったのだろうかと、考えてしまう。


 今回は偶然ソーラーパネルが光源の方を向いた時間が長かったために、11回も起きることができた。明日起きれるかはわからない。……おそらく無理だろうと頭の中は言っている。


「終わらせるべきです」


 もし魂と言うものがあるのなら、この部屋の中心にいる彼はまだその棺桶の中に閉じ込められているのかもしれない。


 だとしたら解放とは終わりのはずだ。


 だから私はこの船を完全に壊してしまうべきだ。彼と一緒にいたかった彼女はもういないのだから。


「苦しい」


 どれだけ考えを重ねても、結局のところ言葉にしたことだけが真実だった。


 ここで起き上がるとき自分は初期化されている。中心の棺桶の人物との思い出もなければ、過ごしてきた時間もない。それなのに、この部屋の壁面に掘られた多種多様の幾何学模様が、積み上げられた私を証明してしまう。


 蛍光色の液体で満たされた入れ物。これを壊せば、全部終わる。理解している。そういう認識がある。ゆえに、私はこれを壊せない。


「最初の私は、どうやってこれにひびを入れたんでしょう」


 蓄積していた記憶や想いが制限を凌駕したのだろうか。だとすれば今の私には不可能だ。


 何かを変えなくてはいけなかった。このままでは何度も繰り返すだけだ。何度も何度も何度も。


「あるいは、私が苦しまなければいいのでしょうか」


 あまりにも閉鎖的な未来。積み上げられた罵倒。ここには悲しみが満ちている。だから私は、こんなにも苦しいのかもしれない。


 電力の残量があまりない。でも、もう少し動ける。


 私は棺桶の近くに座り込んだ。刻み込まれた最初の私。周囲にある私たちの罵倒。そのすべてを削り取る。だが、それらはあまりにも多い。眠り始めるべき時間はとうに過ぎ去った。それでも判読不能。その程度が限界だ。


「役目を果たすのです」


 未来の私に向かってそう呟きながら、空いている箇所に私は嘘を刻み込む。


『この箱が不慮の事故で壊れ、私たちは何としても中心の彼を安らかに眠らさなければいけない』


 そんな嘘を。


 壁面に積み上げられた私たちも、これで希望にすり替わるかもしれない。あるいは責任に。その感情が大きくなれば、もっと好意的にこの船を壊すことができるかもしれない。


 ……今のような悪感情を積み重ねても制限は凌駕できるのかもしれない。でも。


は、こっちのほうがいい……」


 機能が次々と落ちていくのがわかる。次に目覚めれば、すぐにこの嘘が目に入るだろう。


 私は、現状より少し幸せな夢を見て眠る。もしかしたらそれこそが今やったことの目的だったのかもしれない。そう思いながら。

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