第4プログラム 発見

 屋上で本を返してもらった後、彼女と一緒に下校することになった。意図的にお誘いし、またさらに距離を縮めよう――――という思惑ではなく、単純に、家の方角も同じようで、解散することなく、そのまま感想を語り合いながら歩いていた。


 一緒に帰っている途中、僕と彼女はお互いのことを知るために、思いつくかぎりの質問をした。そして、僕と川崎さんは意外と共通点が多いことを知った。

 親が転勤族で、何度も引越しを体験していること。妹がいること。そして、家の距離がとんでもなく近いこと。僕の家の二階からなら彼女の家が見えるほどだ。

 共通点が見つかるたびに彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。この笑顔が未来の改変という難解な試練に挑もうとする僕の心を奮い立たせるんだろう。そう感じてしまった。



                 *****



 あの日以来、放課後は時間が合えば彼女と下校するようになった。最初の頃は僕の方から話題を振ることが多かったが、彼女も慣れてきたようで、徐々に自分から話してくれるようになった。「川崎さんは普段は物静かだが、仲良くなるとたくさん話してくれる子」ということを知り、自分は他の人よりも少しだけ川崎さんを多く知っている、と足元が少し隠れるくらいの優越感に浸っていた。


「そういえば、柊木先生のシリーズが好きだって前に言ってたよね。」


「うん、あの人の不思議と引き込まれるような作風がすごくお気に入りなの。それがどうかしたの?」


「柊木先生のトークショーが六月にあるんだ。よかったら一緒に行かないかなと思って。」


「え!いいの!私も行きたいと思ってたんだ~!でも一人じゃちょっと緊張しちゃって。ぜひ行きたいです。」


「任せて!僕が責任もってチケット取っておくから!」


「うん!ありがとう!」




————とは言ったものの。肝心の僕の財布は風通しが良かった。

 うちの家庭はあまり裕福ではなく、お小遣いもあまり多くない。「友達と遊びに行く」と伝えると、母は「じゃあこれを持っていきなさい」と、友人と遊ぶには困らないくらいの資金をくれる。だが、僕はこの習慣があまり好きではなかった。きっと、大切な息子のために、という母の愛情なのだろうが、どうも無理しているように感じてしまう。どうしても自分の金銭問題は自分で解決したい。だから、自分のやり方で――――というか、アルバイトで稼がないといけない。

 

 春という高校生が増える季節ということもあって、どこのお店もアルバイト募集は満杯だった。僕は完全にバイトスタートの波に乗り損ねてしまっているようだった。

 彼女の期待を含んだつぶらな瞳を思い出して落胆した僕は、バイト募集サイトを開きっぱなしにしたスマホを片手に、中庭のベンチに深く腰掛けていた。




「どうしたの。桜木くん。」




 僕とは違って、片手にパックのイチゴミルクを握り、僕に声を掛けたのは同じクラスの深山くんだった。


「ああ、深山くん。いやあ、諸事情でお金が必要なんだけど、アルバイトが見つからなくてさ。どこか、いいアルバイトないかな…」


 それまで握っていたパックのストローを咥え、一口飲んだ。


「なるほど…そうだな、じゃあ桜木くんの家の近くの弁当屋さんはどう?時給も結構高めだし、あの辺の地域じゃ穴場だと思うよ。」


「ああ、あの弁当屋か…。確かにまだ確認してないな。」


 僕がスマホで調べようとすると、それよりも先に深山くんが喋り始めた。


「今日確認してみるといいよ。確か、今日も開店しているはずだから、対応してくれるんじゃないかな」


「よし、今から行って確認してみるよ。ありがとう。」


 深山くんから得た情報で落ち込んでいた僕の心を一旦立ち上がらせ、深山くんにもう一度礼を言うと、カバンを持ってその弁当屋まで急いだ。



                 *****



 走る、とまではいかないが、早くアルバイトを見つけたいという気持ちに急かされ、気持ち的な速足で僕は弁当屋を訪れた。

 チェーン店ではないが、看板は丁寧に作りこまれていて、しかし経年劣化のせいか、ところどころ塗装が剝がれてきている。こういったどこか温かみのある佇まいが、近所の人たちから気に入られているポイントなのだろう。

 僕も学校帰りに小腹が空いたら、この弁当屋の明太チーズ握りをよく購入していた。値段も安くて、学生のお財布に優しい弁当屋だ。僕の満タンになることがない財布も、若さで満タンを知らないこの胃も、何度救われただろうか。


 弁当屋に着くなり、入り口の左側の壁に貼られていた張り紙に目がいった。


〈新入生大歓迎!勤務の休憩時間に賄いも出ます!先輩たちが優しく指導します!〉


 美味しそうな弁当の写真と共に、美味しそうな条件が並べられている。

 他にアルバイトを探す時間もない僕は、パッと見の好印象と深山くんへの絶大な信頼のもと、その弁当屋の敷居を跨いだ。


「いらっしゃいませ~」


 少し小太りで、元気にパーマが遊んでいるおばさんの活気の良い声が広くはない店内に響き渡った。


「あの…アルバイトの張り紙を見まして…」


先ほどまで弁当を並べる作業をしていた手を一瞬にして停止し、体をこちらに向け、初対面にしては近いと感じる距離まで詰めてきた。


「ああ!張り紙見てくれたのかい?人手足りてないから助かるよ~」


「履歴書とか書いてきたほうがいいですかね…?」


「本当は必要だけど、面接だけで大丈夫だよ!来てくれるってだけでありがたいからね。今日は時間あるかい?あるなら今からもう面接しちゃおう!」


「あ、はい、時間はあります。」


 こんなに話がスムーズに進むことがあるだろうか。逆に怪しくて、店の前に貼られていた『都合の良すぎる』チラシを思い出して、少し背中に汗をかき始めた。


「じゃあ、佐伯さえきさん。彼の面接頼んでもいいかしら。」


「はい、私がやっときますよ。君、こっちの部屋に来てもらってもいい?」


 店内での声のボリュームや、周りの店員さんへの対応の仕方から、なんとなく店長と推察されるこのおばさんの代わりに、僕の面接をしてくれることになったのは、僕よりも年上であろう女性店員だった。僕は彼女が近寄ってくるまで年齢を考えていたが、こんなことは女性に失礼だと気づくと、すぐに頭の上の吹き出しをかき消した。


 店の内装よりも質素で、机が一つ、そして向き合うように二つソファーが置かれている事務室らしき場所に案内され、その女性店員に言われるがままに窓側のソファーに座った。(僕は年上の人に指示されると、何も考えずに従うタイプなようだ。)

 その大人っぽい女性は書類を挟んだバインダーを片手に、机を挟んで向かい側に座った。


「こんにちは。本日面接を担当いたします、佐伯です。よろしくお願いします。」


 佐伯さんから発せられたのは意外と身近な女子高生に居そうな女の子らしい声だった。


「突然なんだけど、私いくつぐらいに見える?」


「……え?」


 佐伯さんは少し前のめりになり、手に持っていたバインダーはソファーに置いてしまった。初対面とは思えないくらい目を合わせてくる。ペンがソファーから落ち、床に転がっていく音が聞こえた。


「いいから答えて?」


 先ほど考えていて、自らの手でかき消した、大人の女性にしてはいけない話題、〈年齢〉についての会話がまさかの女性スタートで始まってしまった。この話題は僕から振らない限り、絶対にしないと思っていたのに、予想外の剛球に動揺を隠せなかった。

 僕は頭の中で考えられる全てのパターンを考え、どのパターンも最悪の結果になることを悟った。散々迷った挙句、こう答えてしまった。


「……色気が出るくらい……ですか?」


「………」


「……」


「…」


 まさかのセクハラじみた回答をしてしまった。僕自身もその回答の酷さに絶望し、ひどく赤くなった顔を佐伯さんに見せるなんてことはできず、下を向いて、「不合格」と言われるのをただ、ただ、待った。すると――――


「なにそれ!」


「…は?」


 先ほどまでとは一転、彼女の顔全体のパーツは力が抜けたように和らぎ、初めて会った人に「怖い」と思わせそうな雰囲気はなくなった。若い――――と言ったら失礼だが、予想していた年齢よりは若く見える。


「ごめんね。よく大人っぽいって言われるからちょっと訊いてみたかったの。私、こう見えても高校三年生よ。」


「ええ!」


 思わず出た、のどからの突風のような声で口蓋垂が飛び出るかと思った。確かに言われてみれば、今の彼女ならば、僕と一、二歳しか変わらないように見えてきた。これは脳が単純なのか、彼女の表情の変化が激しいのか。自分でもよく分からなくなってきた。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない。先輩、傷ついちゃう。」


「ごめんなさい!あまりにも大人っぽかったものですから…」


「それは誉め言葉として受け取っておくわ。さ、店長に怒られちゃうし、面接の続きしてもいい?」


「……はい」


 佐伯先輩はソファーに置いたバインダーを手に取り、床に転がったペンを拾い上げた。


(面接はしっかりやるんだな…)


「じゃあ、プロフィールの確認からするわね。まずは名前と学年を教えてもらってもいい?」


「桜木春樹、高校1年生です。」


 履歴書を持って来ていない代わりに、自分自身のことを細かく問われた。時々、面接に必要ないような、個人的な質問をするたび、佐伯さんが人差し指を口にやりながら、「店長には内緒ね」とどこか幼い表情で微笑んでいた。


「店長、面接一通り終わりました。勤務の初日に関する話と事務的な話だけ店長からしてもらってもいいですか?」


「ありがとうね、佐伯さん。じゃあ、来週の五月十六日から入ってくれるかしら。お給料の支給日は六月十五日で。」


「分かりました。来週からよろしくお願いします。」


 営業中にも関わらず、店の前まで見送ってくれる店長と佐伯さんに温かみを感じつつ、二人に深くお辞儀をすると、僕は家の方角へと歩き始めた。



                 *****



 僕は歩きながら、これまでに起こったことを思い出していた。今までの平凡な日々とは違い、思い出すたびに立ち止まって、浸りたくなるような出来事ばかりだ。

 優しい先輩と知り合ったこと。来週から初めてのアルバイトが始まること。そして、僕が働く意味。川崎さんの笑顔。何もかもが嬉しくて思わず笑ってしまった。


「あれもこれも全部、あいつは知ってたんだろうな。」


 あいつとのメールが終わって早一か月。僕の行動があいつの思惑通りなのかと思えば少し腹が立つ。でも、なんだか不快じゃない。


 楽しい日々を振り返って、未来人のことも思い出しつつ、スキップしたい衝動を抑えながら、少し温まったアスファルトに小さな音を鳴らしていた。




第4プログラム《発見…………――――再改悪》  完

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あの日の望遠鏡 おすし @wa_ta_114

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