第3プログラム 真紅

 四月二十三日、月曜日。




 本来なら、土日の休み明けで学校に行くのが億劫になっているところだが、今日は違う。今日の僕には重要な任務がある。未来人との約束、彼女の未来を守るという目的のため、僕は強張った足を無理矢理動かして、学校へと向かった。




————四月二十三日。今日は、前に図書室で貸した本を渡してもらう約束をしていた。でも、彼は約束の屋上には来てくれなかった。もう少し待っていたら来てくれたかな。




 僕は通学路を歩きながら彼女が記した今日の日記を思い出していた。

 その日記によると、僕は約束した屋上に現れなかったらしい。来なかったのか、行けなかったのか、その理由までは分からなかったが、この出来事のせいで僕と彼女の距離が近づかなかったのは事実だ。だから僕はこの未来を変えなければならない。


 学校に向かいながら『星空の住人』を片手に、昨日の夜に必死に考えた、彼女に伝える本の感想を何度も口に出しながら練習していた。



                *****



 昼休みになり、生徒たちはそれぞれの過ごし方に取り掛かっていた。そんな中、僕は友達の誘いも断り、一人で自分の机に突っ伏していた。


 なんだか、時間の進む速さがあっという間に感じられた。授業の内容も全然頭に入ってこないし、友達との会話も適当な相槌だけでしていたせいで、「今日のお前、なんか変だよ」と心配までされる始末だ。


 それもこれも、放課後に控えた特大イベントのせいだと、大きくため息をついてしまった。


「大丈夫?今日のあんた、皆に心配されてるけど」


 暗く淀んだ空気を放っている僕に話しかけてきたのは、クラスの人気者の女子、秋本栞だ。


「ああ、頭悪そうに皆に良い顔しているお前には分からない深刻な悩みだよ……」


「何よそれ!私にだって悩みぐらいあるわよ!」

 

 この秋本栞という女は、僕と小学校から一緒の所謂、幼馴染ってやつで、小さい頃はよく遊んでいた。しかし、成長するにつれて僕と秋本栞は住む世界が違うんだとお互いに理解し、徐々に関わらなくなっていった。

 高校に入って同じクラスになって、久しぶりに話す機会が増えたが、久しぶりに会った彼女は昔のサバサバしていた頃とは違い、誰にでも良い顔を振りまく、八方美人となっていた。


「何か悩みあるなら聞くわよ」


「なんでお前なんかに……」


「いいから!」


 彼女の整えられた綺麗な眉が逆立ち、猫が威嚇するような雰囲気でこちらを見ていた。


「分かったよ……」


「うん!」


 彼女の圧に負け、守りに入っていた僕の態度が一瞬で解かれると、彼女の顔も昔のような純粋な笑顔に包まれた。


「うーん、じゃあ秋本は男子と二人きりで話して緊張したことあるか?」


「……」


 秋本栞は何やら口を小さく動かしながら、下を向いて黙り込んでしまった。何かを喋っているようだったが、彼女の少し高い声は周りの騒音の周波数と重なり、僕の耳には届かなかった。


「え?ごめん、聞こえなかった。もう一回。」


「え!いや!緊張なんかしない!するわけないじゃない!」


「あー、はいはい。やっぱりお前に聞くのが間違っていたよ。」


 彼女の、予想のど真ん中を突いた回答に僕はすっかり呆れて、席を立った。購買に向かおうと、教室の扉に向かおうとした時、背後から駆け寄ってきた影に左手の裾を強く引っ張られた。

 振り向くと、秋本栞が必死そうな顔で、彼女より少し背の高い僕の顔を見つめていた。


「は、春樹は……誰かと二人きりになったりとか、そういう予定はあるの…?」


(なんだこいつ、こんな顔すんのかよ……今更……)


「可能性の話だよ、急いでるから。じゃ。」


 僕は強く引っ張る彼女の手を振りほどき、早足で購買に向かった。今更、秋本栞と仲良くなんてできるはずがない。俺とあいつは住む世界が違うのだから。



                 *****



 放課後。 

 ついに来てしまった。未来を変える分岐点に。

 いざ、未来を変えると意識すると体中を緊張が走り回る。前回はほぼ無意識に未来を変えたから何の緊張もしていなかったが、今回は違う。意図的に未来を変えようとしているのだ。重みが違う。

 

 屋上に向かう覚悟ができると、『星空の住人』を抱え、椅子から立ち上がった。

―――――――その時。


「おーい、桜木。お前、情報係だったよな。明日の授業に使う生徒向け資料の意見を聞きたいらしいから職員室の田中先生のところまで行ってくれ。」


「え、いや、ちょっと……」


「なんだ、お前いつも暇って言ってたじゃないか。」


 (これか!未来の僕が彼女との約束を守れなかった訳は……!)


 確かにこのまま職員室に向かえば、放課後の時間はすべて使ってしまいそうだ。


「いや~、ちょっと今日用事あるんですよね~」


「すぐ終わるそうだから大丈夫だ。今から向かえば間に合う。」

 

 ……絶対嘘だ。情報担当の田中先生の手伝いをして時間通りに帰してもらった生徒など聞いたことがない。やばいやばいやばい。

 僕が予想外の展開に慌てふためいていた。―――――その時。


「先生、僕も情報係なんで、代わりにやりますよ。桜木くん、君は早く用事に向かったほうがいいよ。」


 ある人物が余裕のある声で、余裕のある雰囲気で会話に入ってきた。

 サラサラとした髪、ワイシャツの裾がきっちりスボンに仕舞われ、ネクタイが綺麗な形に整えられている。彼を初めて見た人は「真面目な男の子」と瞬時にイメージするだろう。クラスメイトの深山くんだ。彼はニコニコと微笑み、「間に合わないよ?」と、背中をポンっと押してくれた。僕は「ありがとう!」と全力の感謝を伝えて、教室を出て廊下に駆け出した。


「深山、桜木の代わりにやってくれてありがとうな。全く、あいつは早く帰りたいだけだろうに……」


「いえ、田中先生の情報の授業好きなので。それに彼には彼の仕事があるので。」



                 *****

 


 今日はそんなに風が強い日ではなかったはずなのに、ここに来るとどんな風も強く感じられる。そして、この開放感の中では、心にある焦燥感も心配も、全て取り払われるような気がしている。

 屋上へ繋がるドアを開けると、見覚えのある、そして、よく知っている女の子が立っていた。


「遅くなってごめん」


「いえ、私も今来たところなので」

 

 風に摩られる彼女の表情は、図書室で見た彼女とは違う、美しいものに見えた。日に照らされて輝きを放っているけれど、少しでも触れたらガラスのように割れてしまいそうな、そんな感じ。


「この本、すごく面白かったです。特にこの、主人公が望遠鏡を彼女の家まで持って行って、『一緒に星を見ない?』って訊くシーンがすごく好きです。」


「分かります!私もそのシーンが一番のお気に入りなんです。」

 

 僕が放った感想と昨日から練習していた感想は全くの別物だったが、彼女の嬉しそうに和らいだ表情を見たら、そんなことはとても小さく感じられた。

 本を彼女の小さな手の上に渡した。それと同時に忘れそうになっていた焦燥感が僕を襲った。

 この本を渡せば、彼女と僕のつながりは消えてしまう。今、僕が彼女の生命線を握っているのだ。この生命線を切らずに握るには―――――


「あの!」


「……?どうしました?」


 僕は大きな声で叫んだ。屋上の隅まで響き渡るほどの大きな声で。そして。




「僕と、友達になってくれませんか?」

  



 現実で、漫画やアニメで言うようなこのセリフを使う場面などないと思っていた。でも、彼女と友達になるには変な遠回りをするより、直接この気持ちをぶつけたほうがいいと思った。

 僕は深く下げた頭をゆっくりと上げ、彼女の方を向いた。すると、彼女は小さな手で顔を恥ずかしそうに隠し、その手が徐々に口元の方に動いていき、少し紅くなった顔が現れた。


「……はい。よろしくお願いします。いざ、言われると恥ずかしいですね。」


 この日、僕が踏み出した一歩は、これから始まる未来からすれば小さすぎる歩みなのかもしれない。だけど、僕と彼女という小さな世界では大いなる一歩であると僕は信じたい。

 この一歩でつかんだ川崎千夏の生命線を僕はこれからも手繰り続ける。







————四月二十三日。桜木くんに『星空の住人』を渡してもらって、本の感想を語り合った。好きなシーンが同じで嬉しかった。もっとお話ししたいな。




第3プログラム「真紅」  完

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