第38夜

 しかしそう言っている間に、男はつむぐの目の前まで迫ると、ゆっくりとした動きから俊敏なものへと変わるとつむぐの懐へと飛び込んできた。

 つむぐは瞬時にその動きに反応をすると、後ろに跳び引いた。例え怪我をしていたとしても、魔法使いとしての今の自分になら、何とかしばらくは逃げるきれるだろうと、そうつむぐは考えていた。

「ぐはっ」

 次の瞬間つむぐは、男の動きに驚きを隠しえなかった。自分が跳び引いたそれに、男はつむぐに追従するように跳躍すると、そのままつむぐの右肩を刃で貫いたのだ。男は地面へと降り立つと、つむぐは体勢を崩して勢いよく転がると金網に衝突した。金網はその衝撃で外側へと歪むと、鉄の軋む音を上げる。

 つむぐは全身に痛みを感じながら、右肩の焼けるような痛みを左手で押さえつけた。人の動きではない、つむぐが始めに思ったことはそれだった。相手が人間の形をしていたから、相手も人間と同様の動きをするわけではない。ましてや今までのらりくらりと動いていた相手が、急に俊敏に動いたことにつむぐは瞬間的に動きが遅れのだ。

 つむぐはコルトを左手に持ち帰ると、だらりと右手を下げた状態でなんとか立ち上がった。たった数撃を受けただけでこんなにもあっけなくぼろぼろになってしまう、自身の弱さにつむぐは内心今ほどに嫌気がさしたことはない。

「何の為に、色々とやったんだか」

 つむぐは苦しげに自身へと悪態をつくと、口から血を吐き出した。口のなかを切ったらしく、頬の内側に痛みが走る。口のなかに血の味を感じながら、つむぐは男を睨み付ける。

 例え魔法使いになっていようが、相手が化物のなら、自身がいくら普段の数倍に上乗せした力を得ていたとしても意味がない。決して優位に戦う為ではなく、人外なものと同等に戦う為の魔法なのだと、つむぐは改めて認識していた。

「もっと鍛えておけば、よかったかな」

『つむぐ、大丈夫か』

 コルトの心配した声が響く。

「ああ、何とか。でも悪い、さすがにあいつの攻撃を避けれそうにないわ」

『おまえ』

「気にするな。とりあえず、何とかなるさ」

 つむぐは不安気なコルトに、気楽に答えると口の端を上げて笑みをつくった。

「弱い、弱いな、魔法使い。あれはもっと強かった、あれはもっと冷酷だった。おまえは弱いな、脆いな、つまらないな」

 男はつむぐを楽しげに見つめながら、狂った瞳で、口の端を吊り上げて三日月のような笑みを浮かべると唇を舌で舐める。

「本当、気持ちの悪い奴だな。あれあれって、いったい何のことなんだよ」

 つむぐは目の数歩離れた位置立つ男に、疲れた様子で喋りかけた。

「あれ、あれか……」

 男はつむぐの言葉にただそう呟くと、首を前に唐突に曲げると、そのまま動かなくなる。

「それは、今貴様がその左手に持っているものだよ。本来ならそれは、我らの物だった」

「えっ」

 つむぐは突然喋り出した言葉に耳を疑った。その声は先程までの狂った声色とは違う、落ち着きどこか紳士的にさえ感じる程に、まるで正反対のそれにつむぐは息を呑んだ。

「おどろくのも無理はないな。私がこうしていられる状態は長くはない、時が過ぎれば私は再びただの狂った人形に戻る。まったく笑える話じゃないか」

『死霊を操り、人を操り、魂を弄んだ傀儡子の貴様が今は自身が人形に成り下がったか』

 コルトは突然喋り出した男に特に驚くことはなく、むしろ当然のように言葉をかけた。

「ああ、ずいぶんと懐かしいじゃないか、コルト。貴様が、いやあの女が、我が主の命を奪ってからというものの、私は私を保つことができなくなってしまってね。日々狂っていく自身を眺めながら、気が付けば私の自我はもうないに等しい状態となってしまった」

 男は首を曲げたまま微動だにせず、まるで本当に糸が切れた人形のような動かない。

『多くの命を奪った貴様だ。貴様にはその末路がふさわしい』

 コルトの声は冷徹に、どこまでも突き放した感情のない声でそう告げた。

「ずいぶんとした物言いだ。おまえとて我らと何も変わりはしない。我らが多くの命を奪ってきたというのなら、貴様は多くの神と呼ばれる存在を滅したではないか。もはやこの世界に神など存在しないというのに、人間は愚かな生き物だ。いない存在に祈りを捧げているのだからな、まったく愚かで本当に馬鹿な生き物だ」

『黙れ』

 コルトは苛立たしげに声を張り上げた。

「あの女、そう、夏樹と言ったか。あの女も愚かな女だ、貴様に関わったあげくに最後は命を落としたのだからな。そして貴様は今もこうして存在しているというのだから、まったく我らと何が変わらないというのだ。今度はそこの小僧を贄とでもするというのか」

『貴様が、夏樹を語るな。その口、閉じなければその体を吹き飛ばすぞ』

 コルトは男の挑発とも言える言葉にすっかりと頭に血が上ってしまい、そこには普段の冷静な口調はなくなっている。

「なるほど。しかし今の貴様では、そこの小僧の力量では、私を吹き飛ばすだけの力を使うだけが限界ではないのかな。そう、精々一発の精製がいいところだ。それ以上はそこの小僧の体はおろか、精神がもたないだろうに。よかったではないか、私が弱くなっていて」

 男は静かに笑うと、しだいに体を震わせ始めた。

「おやおや、そろそろ時間のようだ。悪いが私は失礼をさせてもらうよ」

 男はそう最後に言い残すと、体の震えが大きくなると、曲げた首を元に戻した時にはその形相には狂った瞳と、不気味な笑みを浮かべたそれになり、体を動かし始めた。

『撃て、つむぐ』

 コルトがそう叫ぶが、利き腕が使えず、左手で構えたコルトの照準は小刻みに揺れて、その照準を合わせることができない。

 悠長に話に耳を傾けているうちに撃つべきだったかなどと、少し後悔をするつむぐだが、すぐそこにカンリカの声が響いた。

「だから忘れてもらっちゃ、困るって言ったでしょ」

 カンリカの意識が戻ったのか、動く男の足にしがみつくと、その動きを止める。

 つむぐはその機会を逃さなかった。

 瞬間、黒犬を相手にした時と同様に、一発の弾丸を精製する。それはつむぐの脳を沸騰させ、神経を麻痺させ、意識を奪い取るには充分だった。しかしそれでも霞む目を見開いて食い縛ると、撃鉄を起こした。

 足に必死にしがみつくカンリカに意識を取られたのか。男は動きを止めると、カンリカへと振り下ろす為に手に持った刃を振り上げた。その間、男が刃を振り上げた刹那、つむぐはその引き金を引いた。

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