第37夜

 しかし次の瞬間、扉から来るであう考えていた男は意外なところから現れた。

「いたいた、あれの匂いがする」

 そう呟くように囁かれた言葉は、つむぐの真上から聞こえると、そのままつむぐは前方に向かって倒れかかると何とか踏みとどまった。

「つむぐくん」

カンリカは目を見開くと、声を張り上げた。

つむぐは肩越しに男を振り返り睨み付けると、再び振り下ろされようとしている刃を目にすると前へと飛び出した。

 前のめりに倒れ込みながらも、何とか立ち上がって男と対峙したつむぐだが、その背中は肩から切り付けられており、左手からは血の滴が滴り落ちている。

「こいついったいどこから」

 そう言うつむぐの顔は痛みで歪み、息が荒くなっている。黒犬などとは違う、目の前にいるものは正真正銘の化物なのだと、つむぐは改めて認識していた。

『こいつは、まさか』

 つむぐが男と対峙すると、驚いたのか思わずそう口にしていた。

「何だ、こいつのこと知っているのか」

 つむぐはコルトの言葉に聞き返すが、コルトは口を噤んでいる。

 男は体を左右にゆっくりと揺らすと、その仮面のように張り付いた不気味な笑みのまま一歩一歩と歩き出した。

「こっちにもいることも、忘れないでほしいんだけどな」

 横からカンリカの声がすると、カンリカは男に突っ込むと右手を突き出した。

 男はカンリカに気が付いていたのか、その突き出された拳を横に避けると、その懐を左足で蹴り込んだ。

「かはっ」

 カンリカは膝をつくと、咳き込むと苦しげな表情を浮かべる。

「おまえ、邪魔だ」

 男はカンリカへは興味がないのか、膝をついたカンリカから視線をつむぐ達へと移すと再びゆっくりと歩き出した。

「ようやく、み、見つけた。おまえのせいで、あの方は、いなくなった。でも世界は、きっときっと、壊さないと」

「カンリカ。くそ、だから、何のことだかわからないって言ってるだろ」

『あいつの名は、ドク(どく)だ。ずいぶんと様変わりをしているがな』

 つむぐの言葉に続けるように、コルトがそう呟くと、つむぐは目を見開いた。

「やっぱりあいつを知っていたのか。こいつはいったい何なんだ」

「時計塔の職人と、私達はそう呼んでいた。世界時計の下僕共だ」

「時計塔の職人、世界時計。それっていったい」

 つむぐはコルトの言っている言葉の意味がわからず、困惑した顔をする。

「話は後だ。今は目の前のあいつに集中しろ、あれは相当に危険な奴だ」

 コルトの言葉につむぐは男を睨みつける。男は相変わらずに何かを呟き、にやつきながら一歩一歩とつむぐに近づいてきていた。

 どうすべきか、つむぐは頭のなかはそれだけを考えた。コルトの言う以上に、得体の知れない奴に迂闊に何度も突っ込んでうまくいくとは限らない。しかし何もない、回りを柵で囲まれたこの状況では、逃げることも派手に動き回ることもできない。

 つむぐはもう間近に迫る男を見つめながら、ちらりとカンリカに視線を移した。倒れているカンリカの四肢には力がなく、意識を失っているように見える。幸いドクには切られることはなく血が流れてはいないことだけが、つむぐを安堵させていた。

「どうするかな。コルト、おまえは何か良い案はないのか」

『とにかく動き回れ、今のあいつは動きが悪い。それに知性や理性といったものがなくなっている。単調的な攻撃を避けながら、何とか隙を見つけるしかない』

「隙ね、それはそれで、結構難しそうだけどな」

 つむぐは切り付けられた背中の痛みを感じながら、どこまで持つかと考えていた。

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