第32夜

 その日、昼間の特訓で床に大の字になってへばっているところに、カンリカは現れた。

「やあ、久しぶりだね。てっ、何やってるのつむぐくん」

 カンリカはどうやって家の場所を突き止めたのか、当然のような顔でつむぐの家へと押し掛けると、呼鈴もなしに堂々となかへと入ってきた。

「カンリカ、どうやってここに来たんだ」

「んっ、歩いて?」

 つむぐは思わぬ来訪者に驚くと、床から起き上がった。

「馬鹿が来たぞ」

 コルトは椅子の背もたれに呑気に腰かけたまま、カンリカのことはたいして気にしていない様子で、口を開いた。

「コルトは痛烈だね。まあ、いいけど。それはそうと、君達のことが噂になってるよ」

 カンリカは仁王たちをしたまま、二人へと顔を向けた。

「えっと、僕らが噂になってるって、何が」

「ああ、つむぐくんさ。ちょっと前に何かしなかった」

 つむぐは「ああ」と言いながら、コルトに視線を配りながら頷いた。

「派手というか、正当防衛だ。向こうからやって来たんだ」

「やっぱりか。なんかそんな感じがしたんだよね」

 カンリカは思った通りというような顔をすると、苦笑いを浮かべる。

「そんなに派手だったか。確かに多少の大立ち回りはしたけど、ただ一発撃っただけだぞ」

 つむぐは当然のような顔をしながら、それ以外は何もしていないといった顔でカンリカとコルトに同意を求める。

「いや、多分なんだけど。この国だとそれだけでもずいぶんな騒ぎになるんじゃないかな。ほら何て言ったっけ、銃刀法だっけ、拳銃は普通の人には持てないでしょ」

 カンリカは困ったような顔をすると、優しく喋った。

 コルトは笑いをこらえながら、つむぐに顔を向ける。

「君ももう、魔法使いになったということだ。まあ、確かにただでさえこの町の人間が喧騒としている時に、銃声の一発でも響けば大騒ぎだろうからな」

「まあ、たしかに噂にはなったんだろうけど。かくたる根拠もないし、人だって死んでいないんだから事件にはならなかったろ」

「少し前の君なら言えない台詞だぞ。魔法使いとしては、いい進歩だ」

 コルトのその言葉に、つむぐは少し考える素振りをすると苦笑いを返した。

「それよりも、情報が入ったからこうして来たんだけど」

 カンリカは思い出したように言葉を挟んだ。

「えっ、何かわかったのか」

「前に話した奴のことで、ちょっとね」

「そいつが、どうかしたのか?」

「いや、どう話したらいいのかな……」

 カンリカは声を不意に小さくさせると、その表情を暗くさせる。

 つむぐはどうしたのかと、黙ったままカンリカのことを見つめている。

「その、助けてほしいんだ。助けてください、お願いします」

 するとカンリカは、二人へと深く頭を下げた。

「おい、いきなりどうしたんだ」

 つむぐは急に下げられた頭に戸惑いを見せる。コルトもそれを見てはいたが、とくに口を出すつもりはないのか、黙ったままで成り行きを見守っている。

 カンリカは頭を下げたままの姿勢で、話を続けた。

「ごめんね。急にこんなことを言って驚くだろうけど、本当に困ってるんだ、もうどうしたらいいのかわからないんだよ」

「カンリカ、いったい何があったんだ」

 つむぐは辛そうに話すカンリカの声に心配した顔をすると、肩に手を置いた。そして下げた頭を上げさせると、その悲しげな瞳を見つめる。

「いなくなっちゃったんだ……」

 カンリカは顔を俯かせて呟くと、辛そうに口を結ぶ。

「いなくなった、それってまさか」

 つむぐは言葉の意味を考えると、やがて顔を曇らせる。

「友達だったのに、何もしてあげられなかった。良い子だったんだよ、優しくて料理が上手で、泣き虫で、花が大好きで」

 カンリカは唇を噛み締めると、肩を震わせた。

「あんな、あんなふうに餌食にされる理由なんてない」

 つむぐは目を見開くと、顔付が変わっていく。

「それって、つまり殺されたってことか」

「いや、話からするに、その存在を消されたのだろう」

 つむぐの言葉に、続けるようにコルトは口を開くと話を続けた。

「影が死ぬことはない。しかし、その存在が消滅する場合がある」

「存在が消滅って、僕たちは向こう側に送り返すだけなんだろ」

「そうだ、私たちの行為は向こう側に送り返すだけにすぎない。しかし影の者が影を喰らえば、その一方は消滅する。向こう側に、決して戻ることはない」

 つむぐはその表情を強張らせると、カンリカへと顔を向けた。

「コルトの言った通りだよ。あの子は、あいつの餌にされたんだ」

 カンリカは怒りを露わにすると、その瞳に涙を浮かべる。

「あいつっていうのは、この前僕に話した男で間違いなのか」

 カンリカはその言葉に黙って頷く。

「襲われるのは人間だけじゃないってことなのか」

「人間を襲っているのが、そいつと同じ奴ならそうなるだろうな」

 コルトは何かを考える仕草をすると、そのまま口を閉じた。

「多分、間違いないよ。私も事件のことについてや、その噂話とかを聞いたりしたけど、あの子が喰われた場所は、同じだったから」

 カンリカは悲しげに目を細めると、その瞳を閉じた。

「それで、どうするんだ?」

 コルトはカンリカを見つめる視線をつむぐへと移した。

「カンリカとっては、その子は大事な友達だったんだろ」

 カンリカはその言葉にしばらく口を閉じたままいると、徐に口を開いた。

「私はずっと前から色々な所を転々としててさ。一つの場所に留まるってことをしないから、知り合いや友達なんてできるわけもなくて。でも、べつに寂しいわけじゃなかったんだけど、何故か今回に限ってはその子とは馬が合っちゃって、友達なんてものをいつの間にか持ってた」

 カンリカは優しそうな笑みをふと浮かべる。

「でも、大事だなって思った時には、いなくなっちゃった。助けを求める、その言葉も聞いてあげられなかった」

 カンリカの声は震えていた。震えながら、それを必死で我慢しているのが目に見えてわかる。悲しさや絶望が溢れている。それでも頬に涙が一筋流れるのを、つむぐは見逃さなかった。

「わかった。でも、そいつは僕達の探している奴と同じだ」

 つむぐはその瞳に強い意志を宿らせる。

「だから、僕に力を貸してくれないか。僕に協力をしてほしい」

 つむぐのその言葉にカンリカは一瞬目を見開くと、力強く頷いた。

「ありがとう……」

「気にするな、よろしく頼むよ」

 つむぐは遅れてその視線をコルトへと向けると、彼女は口の端を上げて呆れ気味に笑みを浮かべた。

「首を突っ込むのが好きな男だな、君は。それで、何か手がかりはあるのか?」

「ああ、あるよ。手がかり」

 カンリカは気持ちを切り替えるように涙を拭うと、右手に何かの切れ端を取り出した。

「これは」

 つむぐはカンリカの手にしている切れ端を手に取る。その黒ずんだ切れ端はボロボロで、所々擦り切れており、感触は革のようだが妙に滑らかで気持ちが悪い。

「多分、そいつが着てたコートの切れ端だと思う。あの子が抵抗した時に、千切れたんだ」

「そうか」

 つむぐは切れ端を持つに手に自然と力が入る。

「でも、これでどうやってその男を探せばいいんだ」

「君は魔法使いなんでしょ。だったら、きっと何か方法はあるはずだよ」

 カンリカは魔法使いであるつむぐへと期待するように、その瞳を向ける。

「ああ、いや」

 つむぐはカンリカの視線から目を逸らせると、コルトへと顔を向けた。

「影を探し出す術か。たしかに、その影の一部でもあれば可能だが」

「それだよ、それ」

 つむぐは頷くと、カンリカと目を合わせる。

「わかった。とりあず、それは預かっておく。おまえはひとまず帰れ」

 コルトは溜息をつくと、つむぐの手から切れ端を奪う。

「何かわかれば、必ず知らせてやる」

 そしてカンリカが何かを言う前に、コルトは黙ってカンリカを睨み付けた。

「わかった。よろしくお願いします」

 カンリカは静かに深く頭を下げると「じゃあ、ね」と、足早に立ち去った。

やがて、玄関の扉が閉まる音を確認すると、コルトは椅子に疲れた様子で腰かけた。

「まったく、つくづく君は面倒事が好きらしいな」

「ほっとけないだろ。大事な人がいなくなるって気持ちは、僕もわからないわけじゃない」

 つむぐはカンリカの心情を、両親を失った自分と重ねているのか、表情を曇らせる。

「まあ、それはそれとして。今の君の力量で探している影を見つけたところで、はたして勝てるかどうか」

「それは、何とかするさ」

「何の根拠にもならん。相手の力は、おそらくは想像以上だ。苦戦を強いられるとは考えてはいたが、気合と根性だけで乗り切れる程に甘くはないぞ。影を探すだけの術式の知識も持ち合わせていない、そんな未熟な状態では無駄に死にに行くようなものだぞ」

 つむぐは溜息をつくと、ソファーへと腰を落とした。

「じゃあ、どうすればいいんだよ。必殺技でもあるならいいけど」

「その奥の手も、大概は経験から学ぶなかで身につけるものだぞ。そう簡単にほいほいと、特別な術や技があるわけがないだろう。だだしかし、つむぐに関しては命を削る覚悟があるのならば、その方法はある」

 つむぐはコルトの言葉に反応すると、少し身を乗り出した。

「僕の命を削れば、何とかなるのか」

「安易に決めるべきことではない。しかしそんな手段は、できるなら使わない方がいい」

「でも、何とかなるんだよな」

「まあな、しかしそれは本当の意味での最後の手段だ。使えば文字通り、命を削る。君の命の天秤は削った分だけ、別の何かへと傾くが、その傾きは決して戻ることはない」

 コルトはそういうと、つむぐを見据えた。あえて冷静に、冷たく言葉を発する。

 つむぐは喉を鳴らし、やがて「肝に銘じておくよ……」と、静かに口を開いた。

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