第26夜
釣りは心に余裕があるの時にするものだと、つむぐは釣り糸を垂らしながら、水面に揺れる浮きを眺めていた。例え魚がかかったところで、今の自分の集中力ではどうしたところでそれすら気が付かないはずだ。
「ちょっとは楽しそうにしたらどうだ」
つむぐの心境を察したのか、太一はつむぐに声を掛けた。
「おまえは楽しそうだな。どうだ、釣れそうなのか?」
「ああ、楽しいけど。当たりはないな」
太一はそういったことはあまり気にしない様子で、呑気な顔をしながら釣り糸の先をじっと見つめている。
「ああ、みたいだな」
つむぐは疲れた様子で答えると、ゆらゆらと揺れる水面に吸い込まれそうな感覚に頭を振った。
そして気分上々な太一を横目に、つむぐは辺りを見回した。それでも特段に変わったところはない、呑気で平和な風景だなとつむぐはそう思った。日常の視点が少しでも変わってしまえば、見えるものががらりと姿を変える。いつもの人が、どこかの誰かが化物にでさえなってしまうのだ。
「釣れないんだったら、さっさと切り上げないか?」
つむぐは落ち着かない様子で、声が自然と苛立っていた。
「釣りは待つのも楽しみの一つだよ。少しは気楽になれよ、よく短気の方が釣りに向いているっていうけど、何かあったのか」
太一は、そこでつむぐの方へと顔を向けた。
「そんなもん。わざわざ聞く必要があるのか」
「まあ、確かに最近の町の様子なら、そうもなるよな」
太一はまるで、それがどこか遠くの他人事のように話した。つむぐは太一のそんな態度に不快を感じるが、それを声にしようとしたところを我慢した。
「物騒ななかに、呑気に釣りなんかをしてる俺らが言える台詞じゃないよ」
太一はその言葉に、顔に苦笑いを浮かべる。
「そりゃ、そうだな。でもさ、だからこその日常と平常心が大事なってくるんだよ。物騒だからって家のなかに閉じこもってないで、外に出て現実を見るべきだ。冷静に落ち着いて物事を見て考えて、それでもって本当にやばいのなら、そこからどうするかを考えるべきじゃないか」
太一は笑っていた。悪く言えば能天気、良く言えば達観しているようにも見えることに、つむぐは少し自分でも不思議な程に驚いていた。
「いつも楽しいことを一歩通行のように、優先するくせに」
「たまにはな。だからこうして釣り糸を垂らしてんだよ」
太一はそう言うと、再び視線を水面へと戻した。
つむぐも太一と同様に視線を戻すと、そのまま黙って釣り糸の先を見つめた。
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