第08夜

 つむぐはすぐに少し離れた先にある橋を渡ると、その場へと向かう。その内心は、かかわらない方がいいと思いながらも、わずかな好奇心がそれに勝っていたからだ。

 しかしその一時の好奇心もその場に近づくにつれて、後悔に変わりつつあった。一歩一歩と足を進めると、その背筋に寒気が走るのと同時に頭痛のような鋭い痛みを感じていた。

 そして目の前まで来ると、その目の前の光景につむぐは吐き気を覚えた。それは平衡感覚が鈍るような感覚で、自分の立っているという感覚そのものが薄れ、現実にその場にいるという実感が持ていないのだ。

 境界線のように引かれた向こう側の世界までは、あと一歩踏み出せばそれでいい。つむぐは自然と手を差し出すと、恐る恐るその世界へと手を差し入れた。瞬間まるでぬるま湯に手を入れたような、重苦しい湿気を多量に含んだ空間に、つむぐは顔をしかめた。そして、まるで入れた手を絡め取るような感触を感じると、つむぐは慌てて手を引き抜いた。

「あっ……」

 つむぐは呆気にとられた顔で、入れた手をまじまじと見つめながら自分の手が自身の体についていることを確認した。『何なんだよ』と心の中で疑問を持ちながら、頭のなかでは早く立ち去れと自分自身への警告が投げかけられている。

 つむぐはその場に背を向けると、一目散にそこから離れようと体を動かした。

「そこにいたのか、ようやく合わさった」

 しかしその瞬間、その場に響くように、何者かががつむぐへと喋りかけた。

 つむぐの足はそこで止まった。その顔は恐怖心というより、何か得体の知れないものに見つかってしまったという焦りがある。

「そうか、僕は間に合ったんだね。本当によかった」

 声色からして男のようだが、その声が安堵すると早口につむぐへと言葉を続けた。

「本当にすまない。けれど、僕にはもう時間がない」

 男の声はひどく優しかった。安堵感と疲れ切ったその声は、一種の消滅や死の類を感じさせる程に、弱々しくそして力強い。

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