第44話 三章 二十六話 痛み分け
「くっはははは! じつに良いじゃないか!」地上の様子を投影した巨大スクリーンを見ていたサードミナスは楽し気に笑った。「ヘルメスめ。まったくずるい奴だ! まだ最適化が済んでいないだのなんだのとごねて、自立移動する大砲なんてご機嫌な物を隠し持っていたとは!」高揚感がサードミナスの全身を包む。彼は、ラトプナムが指輪の引き渡しを拒否してくれた事をうれしく思いながら膝の上に置いていた軍配を撫でた。
「ん? なぜあそこの部隊だけ突出している? 私は進軍を指示した覚えはない。すぐに戻るように命令したまえ」サードミナスは、碁盤めいたマス目に現在の戦場であるラトプナム周辺の地図を合わせ、ラトプナムの部隊とサードミナスの部隊をそれぞれ示すデフォルメした矢印を映したモニターを軍配で示して言った。モニターは、自軍の奇妙な動きを報告している。
「はい、ただいま確認します」オペレーターがすぐさまコンソールを操作する。「おかしい。自衛モードがアクティブになっています」それは、待機状態を命令されているバグが、敵から攻撃を受けた為に自己を保護するための自衛行為を開始した事を意味していた。
「ですが、これでは攻撃をラトプナムとは反対側。我々の部隊は背中側から攻撃されたことになります!」オペレーターは信じられないという声を上げた。
「背中側から?」サードミナスはリアルタイム映像の流れるモニターを睨んだ。そこに攻撃者の姿はおろか影もない。「むぅ…」サードミナスはモニターを睨み付けたまま、軍配を握る両手に力を込めた。
バグの群れは砂漠を駆けた。前方には敵の陣地が存在していたが、そんな事を彼らは気にしない。今は後方から迫る脅威の方が問題だった。敵の姿は見えない。しかし全身で危機を感じる。砂の波が徐々に近づいてくる。引き離せない。部隊の総数がどんどん減少していく。
バグの一体が、速度を維持したまま単眼を尻側に移動させた。一瞬の暗転の後、後方の様子が確認できるようになった。同時に周囲の仲間にも情報がリンクされる。
砂の波は高さを増していた。砂の中にいるものはさらに勢いを強めてバグを追いかける。そして、それは勢いをつけて砂の海から飛び出した。その様子を見ていたバグの視界に最後に映ったのは、白い体色をした竜の鋭く凶悪な歯列だった。
砂の中から姿を現した白い体色の竜は、その顎でバグを捉えた。鋭い牙がバグの黒い肉に食い込み目玉を砕く。逞しい前足の鋭い爪がバグを切り裂く。槍めいた太い尻尾が薙ぎ払い、貫く。そして最後にはその巨体でバグの群れにのしかかり圧殺した。
竜は体を弾ませ走る。そしてラトプナムの陣地に近づくと、右前足の爪を砂に食い込ませ左ドリフトで体の向きを反転させた。陣地を背に、バグの群れを前にした構図だ。
「なんだあれは」アルコルが呻きながら言った。突然現れるなりバグの一部を殲滅してみせた竜。あれは一体誰なのか。それ以前に味方なのだろうか? そんな疑問がアルコルの中に湧き起こる。しかしその疑問は竜の咆哮にかき消された。
「あれは!」同時刻、謎の竜の乱入を胸壁の上で見ていたカレンは歓喜に震えた。間違いなくあの竜は、自身の片割れである竜騎士、トウマではないか!
衝動に突き動かされ、カレンは胸壁の塀を乗り越えた。重装備にも関わらずにカレンは五メートルの高さを落下。そして着地した。竜騎兵の強化された身体能力をもってすればこの程度は造作もないことなのだ。
キュイイイイ。竜形態のトウマの下顎が二つに裂けた。そして露出した喉奥が眩むほどの輝きを放ち始める。トウマは逞しい竜の手足を地面にしっかりと固定した。輝きはさらに強くなる。キュイイイイ。トウマは蓄えた輝きを解放した。
トウマの口からエネルギーの奔流が発射された。その速度はすさまじく、眼前の敵対者の群れに向かって光の速さで直進していく。はじめに歩兵タイプのバグに光線が直撃した。バグの体は瞬く間に溶解する。光線は直進を止めずにさらに後方まで伸びていき、次々とバグを貫通していく。そしてトウマは首を右に振った。砂漠にひしめき合っていたバグの群れが次々と溶断されていく。それには、あの砲撃を行っていた大型のバグも含まれている。大型のバグのうちの二体はいずれもこの攻撃により胴体を横に両断されて撃破された。
「なんだと!」その光景を文字通りに高みの見物していたサードミナスは、座っていた席から身を乗り出して驚愕の声を上げた。しかしすぐに冷静さを取り戻し、トウマの次の行動を予想する。
トウマが首を左に振った。左側に広がるバグたちが次々と溶解していく。そして光線は残りの大型バグをも捉えようとしている。この攻撃が成功すれば、場の有利はラトプナム側に一気に傾くぞ!
「C型を直ちに防御しろ!」サードミナスは軍配を振って部下に命令した。その声には焦りが混じる。命令を受けた部下たちは慌ただしくコンソールの操作に取り掛かった。数十秒後、サードミナスの命令はバグの群れへと送信された。
トウマは残存するほぼすべてのエネルギーを光線を放つための力へと変換していた。時間が経過していくほどに竜の姿を維持することが難しくなっていく。視界が歪む。手足の力が抜けていく。〈クソっ。ここまでか〉トウマが首を左端に振り切るころには、光線の出力はバグの体を貫くこともできないほどに低下していた。光は青い炎となり、そしてオレンジ色へと変化して完全に消えた。
「ガアアアァ!」トウマは口から黒煙を吐き出しながら苦悶の咆哮を上げた。体色はくすんだ白色から、鈍い赤茶へと変わっていく。後ろ足で立ち上がると、砂に倒れこみのたうち回った。全身が白い光に包まれ、強力に発光した。事の推移を見守っていたアルコルとミザールが咄嗟に顔を手でかばう。
発光が止み、二人は恐る恐る手を下して状況を確認した。竜の姿はすでになかったが、その場には黒髪の男が倒れていた。アルコルとミザールはすぐにその人物が竜騎士のトウマである事に気づいた。
「なあ、どうしたら良いと思う?」ミザールに支えられたアルコルが尋ねる。自分たちの命を危険に晒して彼を救出するべきかを問うているのだ。
「そうね。あの人を助けるとなると、あなたをここに放り出す事になるわね。ん? 何かしら」後方から声が聞こえてくる。二人が振り向く。二十メートル後方から、大型ライフルを背負ったカレンが黒髪をなびかせながら、砂の上とは思えない軽やかな足取りで走ってきていた。
カレンが二人の元に到達した。目に見えて興奮しており呼吸はひどく荒かった。
「ドーモ!」カレンは目を血走らせアイサツした。
「「ド、ドーモ」」アルコルとミザールもカレンの気迫に押されつつアイサツを返した。
「トウマはどこにいますか!」カレンが食い気味に相棒の居場所を問う。
「あそこに」ミザールが素早く倒れるトウマを指し示す。カレンの顔がパッと輝いた。
「ああ、ああ! あなたという人はまったく。いつもいつも心配ばかりかける。今度こそダメかと何度思ったことか!」カレンは倒れるトウマを抱え起こしながら言った。口調こそ咎めるようだったが、その顔には安堵の表情が浮かんでいる。
「お二人も無事ですか?」カレンはトウマを土嚢か何かのように肩に担ぎながら二人を気遣った。それから腰のポーチから通信機を取り出してラトプナムへと連絡した。二言三言話してから、カレンはアルコルとミザールに向き直る。「あちらも準備は整ったようです。すぐに撤退を始めましょう」
「それはいいんですが」アルコルはミザールの助けなく立ちながら言う。ガラス化した砂漠の上でタールのような状態になったバグの残骸と、わずかに残存した左翼側のバグの群れに、その視線は注がれる。
「心配は当然です。でも、前哨の部隊が壊滅した今はラトプナムに戻ることだけを考えた方が良い。あなたたちがこの場で出来ることはない。それよりも、先ほどのトウマの熱線で敵も少なくない損害を被っているでしょうし、あちらが態勢を整える前に、こちらも相応の準備をする方がよほど有効です。ごらんの通り、思わぬ援軍も来ましたしね」カレンは肩に担いだトウマの事を掲げて強調した。乱雑に扱われたトウマの口からうめき声が漏れる。
アルコルはカレンの説得を受け入れ、悔しさで固い握りこぶしを作りながらラトプナムへの帰路につく。カレン、アルコル、ミザール。彼らの他に生き残ったわずかな者たちも、同様にラトプナムへと歩みを進めている。前哨戦は双方痛みわけという形になった。
人間の戦士たちと竜の戦士二人だけで、一体どこまで戦えるだろうか。口には出さなかったが、誰もがそのような疑問を抱いていた。そして、その疑問はおおむね正しかった。敵の持つ隠し玉の事を考えれば、今のままの戦力でラトプナムが勝利する事は、砂漠の中で一本の針を見つけるのと同じくらいに困難を極めるだろう。
それでも彼らは戦うしかない。
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