第38話 三章 二十話

「なあ、本当に病院に戻らなくて良いのか?」

 動きやすい上下砂色の戦闘服に着替え、両手に川の手甲を装備して背中に矢筒と弓を背負ったアルコルが、先行して階段を下りているミザールに話しかけた。

「大丈夫だって、さっきから言ってるでしょ。いい加減しつこいよ」

 ミザールはため息をつき、アルコルに言われて渋々着替えてきた服の感触を確かめながら言った。新しい服は、胸の石が浮き出ることを防ぐためにゆったりとした服にした。腰には反りのついた細身の剣を提げている。服は彼女の好みとは異なっていたが、胸に埋め込まれた石について他者に一々質問される手間を考えれば悪くない選択肢だった。


 階段が終わり、長い通路が現れる。通路は石でできているようで、横幅は二メートルほどの広さだ。天井はそれよりも少し幅がある程度で、通路を照らす明かりがないために全体的に圧迫感のある雰囲気だった。そして先の見えない通路はどこまで続いているのか、うかがい知ることもできない。通路の奥からはひんやりとした風が流れてくる。


「この先に何があるのか、まったく気にならないなら帰ってもらってもいいのよ。あたしは」手に持ったランタンを揺らしながらミザールは、煮え切らない態度のアルコルに対して挑発的に言った。

「そんな事は言ってないだろ」アルコルは心外だと言うように口を尖らせる。「ただ、ここは何だか変な感じがする」アルコルは暗い竪穴の奥を見つめ身震いした。この奥には何かがいると本能が告げていた。

「大丈夫。この先に悪いものはいない。心強い味方だけ」

「なんだって?」アルコルが聞き返す。しかしミザールは怪訝な表情を返し、さらに先に進み始めた。


 通路は長かった。かれこれ十分は歩いていたが、終わりは見えない。脇道があるわけでも、罠があるわけでもない。只々直進が続く。そしてそこから十分かけて直進して、ようやく開けた場所に到達した。

そこは一言でいえば玄室だった。天井までの高さは三メートル、部屋内は縦横十メートルほどの広さで、装飾の類の一切が排されており、部屋の中心には石棺が鎮座していた。


 ミザールが確かな足取りで石棺に近づいた。その表情は希望にあふれている。彼女はランタンを足元に置き、石棺の蓋に触れた。石棺は全長二メートルで、縦六十センチ、横七十センチほどの大きさだった。棺の蓋や横面には驚くほどに精微な飾りが彫り込まれていた。

 ミザールは興奮を覚えながら、腰を落とし両手を蓋について力を込めた。

「待て待て。まさか開けるつもりなのか?」アルコルがすかさずミザールを止めた。不用意に開けて、中にあるものが破壊される事を恐れての行為だった。

「大丈夫。たぶん、ね」しかしミザールはその警告を意に介さずに石棺の蓋をずらし始める。

 力を込めて押すたびに重い蓋が徐々にズレていく。二回、三回と繰り返し、棺の中がのぞき込めるほどの隙間ができた。


「どういうことだ?」アルコルが棺内を覗き見て眉根を寄せた。「何もないじゃないか」

 石棺の中は空っぽだった。古代を生きた人物のミイラも素晴らしい宝飾品もそこには存在していなかった。

 この状況を想定していなかったミザールは、あからさまに焦った様子で石棺内に手を突っ込んだ。

「そんなはずない。何かあるはず。絶対に」ミザールが棺内に突っ込んだ右腕を、往生際悪くばたつかせる。すると、指の先に僅かに触れるものがあった。

 彼女は興奮で激しく跳ね回る心臓を抑えながら、慎重に中の物品を取り出した。それは片手で持てる大きさの石板と蝋で封がされている細長い瓶だった。どちらも現代では博物館等でしか見られない形態のものだ。


「これが目的の物なのか。なんだか怪しいな」アルコルの疑念は当然だった。その二つの古代の遺物と思われる物品は、長い間外気と遮断された棺内に安置されていたというだけでは説明がつかないほどに保存状態が良好だったのだ。

「この瓶は違う。こっちの石板が目的のものよ」封のされた瓶をゆっくりと地面に置き、ミザールは左腕で石板を抱え右の指先で石板に刻まれた文字をなぞった。それらの文字はとうの昔に使われなくなった死語。俗に象形文字と呼ばれるものだった。


 ミザールは石板につけた指先を右から左、一段下がり左から右へとスライドさせていった。読み方を学んでいたわけではない。ただ頭の中の声がそうしろと言っていた。それに従い彼女は文字を声に出して読み上げていく。

「――――――」


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