第35話 三章 十七話
考えるほどに深みにハマっていく気がする。
ぐるぐると頭の中で悩みを巡らせているうちに、アルコルと再会した日の事を思い出した。
それは、子供の時以来の再開だった。場所はラトプナム中央にある食堂だ。その時は仲間を連れていたので声をかけることはしなかった。それに向こうが自分の事を覚えていなかったらどうしようという恐れもあった。
それでも自然と目はアルコルの姿を追っていた。何度か彼の事を見ているうちに、時々彼の視線がこちらに向いている事に気付いた。その度に急いで視線を逸らし、彼の視線が外れると再び見た。その日は何もなく、自分は仕事に戻った。そしてそれ以降は一人で食堂に食事に行くことが増えた。理由は簡単だ。そうすれば再び彼に会えると思ったのだ。その時の自分の姿は傍から見ればあまり健全とは言えなかったことだろう。
その日は特別よく覚えている。いつものようにテーブルにパンの入ったバスケットが置かれた。一つ違ったのは、バスケットの底にメモが潜ませてあったことだった。それを見た瞬間声を失った。そこには懐かしいメッセージが記されていた。子供のころに二人で決めた二人だけにわかるメッセージ。
そこからは早かった。記憶を頼りに無我夢中で走った。目的地はラトプナムのはずれの地区だ。昔はそこに秘密基地を作ったのだ。
半信半疑ではあったが、そこにたどり着いた時、彼は確かにそこにいた。はじめは久々の再開にお互いぎこちない態度だったが、すぐに昔のように接するようになった。そしてそれ以上に親密な関係になるのにそう時間はかからなかった。
〈このことは向こうも聞いているだろうな。彼ならどちらを選ぶだろう?〉ミザールは思い出を振り返りながらアルコルの事を思った。そしてどちらにせよアルコルに会って話さないことには何も決められないと結論づけた。
「…っ⁉」
ラトプナムを囲む城壁の上部構造である胸壁を兵士たちが巡回していた。彼らは獅子の一族でも隼の一族でもない一般市民から採用された兵士だった。だからといって二つの一族に比べて劣るわけではない。練度ではかなわないが、それを数と士気の高さで補っていた。
「よう、そっちはどうだった」そんな兵士の一人であるエイジャグが、向かいから歩いてきた同僚に声をかけた。
「変わったことは何も。その様子だと、そっちも何もなしか」
「まあな。しかし竜騎士が行方不明だからって、ここから探せなんて無茶言うよな」
エイジャグは縁に背中を預けながら煙草をふかした。晴れ渡る青空を眺めながらの喫煙。それがこの退屈な警備任務の中での唯一の楽しみだった。その不真面目さは、何度も注意や警告の対象となっていたが、エイジャグがやめる気配はなかった。彼自身も良いことではないと理解していたし、早くやめねばならないとも思っていたが、そうするにはあまりにも警備任務が暇すぎた。しかも彼には煙草以外の選択肢がなかった。仲間内で行われている賭けゲームに参加すればいつもカモにされ、本を読むほどの教養もない。責めるのも酷というものだろう。
そして、現在のラトプナムは帝国南部の、本国へと通じる砂漠地帯での重要拠点ではあったが、この場所はもう半世紀以上も大規模な戦闘の場にはなっていなかった。あっても南方のさらに南の蛮族がちょっかいをかけてくる程度で、ラトプナムはいまや帝国の領土拡大の方針に則り、戦士たちを派遣する。優秀な戦士たちを生み、育てる拠点となっていた。そのため、ラトプナムが防衛の拠点であることに依然変わりはないが、その危険度は半世紀以上前の嵐の時代よりもぐっと下がっていた。
「捜索隊も出ているようだしな。でも、何もしないよりかはって事なんだろうよ」
「へん、意外とこの下にたどり着いていて倒れているかもしれない、ぜっと…」
エイジャグは身をひるがえして縁から顔を出し、下を見た。
「あっ?」目玉の弾ける音が頭蓋内に響いた。
「エイジャグ?」エイジャグの間の抜けた声を聴いたカラリが振り返った。
先ほどと打って変わってエイジャグは黙りこみ身動きひとつしない。
「おい…」
カラリは見た。エイジャグの後頭部から太く黒く鋭い杭の先端のようなものが飛び出ているのを。
杭が無造作に引き抜かれた。そしてエイジャグの身体は痙攣しながら転がる。乾いた地面に血液が瞬く間に広まっていく。
カラリはついさっきまで談笑していた仲間が死んだ事実を受け入れる事に苦労した。視覚は確かにエイジャグの死を目撃したが、それがあまりにも唐突で脈絡のないものだったため、現実感がなかったのだ。カラリは狼狽えながら後ずさり、そして攻撃者の正体をみた。
その瞬間、火が付いたようにカラリは駆け出した。目的は三メートル先に設置されていた警報用の小型釣り鐘だ。
たどり着いたカラリが、鐘の中からぶら下がった紐を掴み勢いよく振る。甲高い鐘の音色が響く。
敵襲の知らせを聞きつけた兵士たちが、各々の武器を手に取りすぐさま駆けつけた。二つの部族の戦士には劣るが、彼らもまた高度な訓練を受けた兵士たちだった。
鐘を鳴らし終えたカラリの足が切り付けられた。カラリは膝から崩れ落ちながら後ろをみる。ほんの二メートル後ろに、細く伸びた鋭利な尻尾を揺らめかせ、黒く不定形でおおむね球体に近いからだから不釣り合いに細い針金のような四肢を生やし、身体の中心に大きく紅い無機質な目玉を備える怪物、バグがいた。その背後の塀からは同様の姿のバグが続々と侵入してきている。
「くそったれが!」
カラリが腰のホルスターから拳銃を取り出し、目の前のバグに向けて引き金を引いた。三発の銃弾が発射された。回転する小さな鉛の塊がバグの肉体を抉りながら貫通する。しかし効果はないに等しい。拳銃でバグを倒したければ、その目玉に確実に弾丸を撃ち込まなければならない。
弾丸を受けたバグは傷つくことを気にする素振りもなく尻尾を振った。拳銃を握っていたカラリの左手がはじかれる。拳銃と指の何本かが宙を舞う。わずかな間を置いて、カラリの口から叫び声が飛び出た。
バグはその様子を無感動に見下ろしている。そこに感情はない。戦意も命の躍動も、その一切を怪物たちは持たなかった。
ライフルの銃声が次々に響いた。カラリの間近まで迫っていたバグが、その身にライフルの一斉射撃を受けて体を震わせながら後退する。間一髪、応援が間に合ったのだ。
カラリの腕が掴まれた。そしてそのまま仲間に引きずられて後ろに下がる。そして仲間たちがカラリを守るように彼の前に立ち、さらにバグたちへと射撃した。
強力なライフル弾を受けながらバグたちが兵士たちに襲い掛かる。黒く鋭利な爪が陽の光に反射させながら兵士たちへと接近する。兵士たちはライフルを盾にしてそれを防ぐ。そして半歩後退すると、ライフルを構えた。再び銃声が鳴り響く。弾丸に目玉を砕かれた複数のバグが倒れていく。兵士たちはそのまま距離を取り後続の敵へと弾丸を放った。兵士たちはあくまで距離を取りながらバグを倒した。鋭利な爪と尻尾を持つバグ相手に無策で接近戦を挑むのは無謀。距離を離した状態で、複数人で一体を確実に仕留める。それが凡人の彼らが命を捨てることなくできる戦い方だった。
列を組んだ兵士たちが引き金を引く。銃声が鳴り、バグが倒れる。そんなことを五度繰り返しているうちに、兵士の一人があることに気付いた。
倒れて機能を停止したはずのバグの目玉が点滅していたのだ。はじめは三十秒に一回、ゆっくりと点滅していたそれは、次第にその間隔を狭めていく。紅い目玉はチカチカと点滅を繰り返していた。
ほかの兵士たちもその様子に気付き始める。だが攻撃の手を緩めるわけにはいかなかった。続々と新たな敵が姿を現していたからだ。
「怯むな。押し返せ!」隊長が部下に発破をかける。部下もそれに応えた。さらなる援護が到着するまでもたせれば自分たちの勝利だ。その場の誰もがそう考えていた。
しかし敵は予想外の行動に出た。
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