第34話 三章 十六話

「指輪が消えた? どういうことだ」

 船内へと戻ったサードミナスは、部下の報告に首を傾げた。厳重に保管されていたラピスラズリの指輪が行方をくらませていたのだ。厚い装甲板でできていた保管室の壁が長時間高温に晒されたように熔解、外へと通じる穴をあけていた。サードミナスの記憶では、船内にそれほどの高温を発する事ができるような物は存在しなかった。

〈ほかにも侵入者がいたのか、あるいは指輪自身がでていった?〉


 サードミナスは指令席に腰かけて、もぬけの殻となった保管室の映像を見つめて思案を巡らせた。しばらく考え、サードミナスは目当ての物が確実に存在する場所に向かうことを選択した。指輪は二つで一つだ。ラトプナムに残された片割れを確保すれば、行方不明になった方の指輪もおのずと見つかるだろう。もし仮にラトプナムの指輪も行方不明になっていたとしたら。その可能性も自然と頭をよぎるが、サードミナスはそれを無視して部下たちに命令した。

「総員、配置に着け。出発だ。目標ラトプナム。それぞれ持ち場の点検を怠るな」


 号令が船内全体に通達された。すぐにエンジンが回転数を上げプロペラが回り、スラスターが火を吐き出して、巨大な空中戦艦がゆっくりと移動を開始した。その姿はさながら、伝説に記された砂漠を泳ぐバハムートのようだ。空中戦艦の内部に巣くう数多の兵器たちが、戦いの気配を感じとり今か今かとざわめきだす。

 戦艦はゆっくりと大空を横断する。暴力の化身が、人の英知の結晶が、恐怖が、ラトプナムへと向かう。



「ほら、好きだっただろ」

 アイマンは、向かいの席に座るアルコルに肉料理の盛り付けられた器を渡した。次いで店の従業員が山盛りのパンが入ったバスケットをテーブルに置いた。そしてアイマンの注文した魚料理が彼の目の前に置かれる。

「ありがとうございます、おじさん。いただきます」

 アイマンとアルコル。遅めの朝食だった。

「それで、いつからだ?」アイマンはビールを一口飲むと、テーブルに両肘を突いてアルコルに訊ねた。

「なんの事ですか?」

「ミザールとかいう名前だったか。お前、あの娘と良い仲なんだろ」

 アルコルは口の中に流し込みかけていたビールでむせこんだ。

「な、なにを言っているんですか」

「夜中に二人きりなんて、そんな関係でもなければほぼありえないだろ」

 アルコルは何か取り繕おうと頭脳をフル回転させた。それを見て、アイマンは優しく微笑んだ。

「落ち着け。別にお前たちが関係を持っているからと、何か処罰があるわけじゃない。だがな、知ってしまったからには、俺はお前に言っておかなければいけない。それはわかってくれ」

 アルコルは眉をひそめてアイマンの言葉を待った。

「関係を断つか、二人でラトプナムを出るか。どちらかを選ばなきゃならない」

 それは予想していた言葉だったが、改めて口に出されるとその事実はアルコルの胸に重く圧し掛かった。

「本当なら俺も賛成してやりたい。しかし双方の長老連中はいい顔をしないだろう。一部の馬鹿どもから誹りを受けぬとも限らない。関係を解消したくないなら、二人でラトプナムを出た方が安心だ」アイマンは寄り添う態度を見せた。

 アイマン自身も思うところがないでもなかったが、それでも大事な甥の意思を尊重してあげたかった。しかし隼の一族戦士団の長としての立場がそれを許さない。そして懸念も存在する。きわめてごく一部の過激派が双方に存在しているのだ。小グループとはいえ、一族内で強い発言力を持つ者もいる。けして無視できるものではなかった。それに、アイマンの裁量で行える事にも限界がある。

 遠い昔からの些細な因縁は、根拠不明の呪いとなって現代に受け継がれていた。

「わかりました。でも、話し合う時間が欲しい。少しだけ待ってください」

 アルコルは絞り出すように言った。

「ぎりぎりまで宥めておく。ゆっくり考えろ。それじゃあ食べようか、食事が冷めてしまう」

 二人は食事を口に運んだ。それぞれのお気に入りの食事だったがどういうわけかいつもより美味く感じなかった。



 わずかに開いた窓の隙間から温かな風が入ってくる。その穏やかな風とは裏腹にミザールの心中は嵐のように荒れていた。つい先頃、オームが病室までやってきて自身とアルコルの関係について聞いてきたのだ。問いただされてミザールは言葉を失った。今の今まで秘密がばれてしまった可能性を考えもしなかったのだ。

 ショックを受けたミザールにオームは同情的だった。オームはどちらかといえば自由恋愛には賛成で、ミザールにはラトプナムを二人で出てはどうかと提案した。不本意に別れて、この先生きるよりもその方がずっとましだとオームは言った。

「ただし、その胸のやつを何とかしてからだがね」最後にそう付け加えてオームは病室を後にした。


 部屋に一人残されてミザールは深く考え込んだ。それでも結論は出ない。ミザールにはアルコルが必要だった。気丈に振る舞う百人隊長で、将来の将軍候補として期待されている彼女には、素の自分をさらけ出し、弱音を吐いても何も言わずに受け止め、裏のない献身的な愛情を注いでくれるアルコルが必要だった。だがそんな恋人と同じくらいにラトプナムを愛しており、先祖たちが積み上げてきた歴史に敬意を抱いていた。防人としての誇りも、ミザールを構成する欠かせない要素の一つだった。



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