第33話 三章 十五話 アイサツ
アイサツ、それは古来より伝わる奥ゆかしい決闘の作法。これをお読みの皆さんはご存知であろうが、念のため説明させていただこう。
戦いの前に互いの名前を名乗りあうアイサツ。その歴史は、この世界とは異なる世界に存在する、神話の時代の出来事を記した書物にも記載されている。
アイサツは自身の名を名乗り上げる。それにより、名前は言霊となり現実世界に作用、自らの敵を倒すための力となる。
しかし、時代が下り、現代ではアイサツを互いに理解しているもの同士でしかその効果は発揮されない。しかも微力だ。だが、一定の教養を持つものたちの間でアイサツを蔑ろにすることは許されない。アイサツを怠れば、たとえ勝ちを収めたとしても嘲りや誹りは免れない。
アイサツはもはや、竜騎士や戦場に身を置くものたちにとって無くてはならない文化なのだ‼
はじめにソルジャーが攻撃を仕掛けた。翁面の奥から金切り声が聞こえてくる。黒い腕甲を装着した右腕がその巨体に似合わぬ速度でトウマへと迫る。
トウマは身を屈め攻撃を回避する。そして足を踏み出し、ソルジャーへと肉薄する距離まで接近した。ソルジャーは腕を伸ばしきっている。すぐに縮こませるが、トウマの方が早かった。トウマは五指をまっすぐに揃え、ソルジャーの腹部に向かって鋭い貫手を放った。前腕全体を包む白銀の籠手は、その防御力を攻撃へと転用し一撃必殺の槍と化した。
ソルジャーの左わき腹が抉られる。肉が削げ床に湿った音を立てて落ち、タールのようなドロドロとした黒い物体へと変化する。トウマはステップしながら後退。攻撃の結果を確かめた。
ソルジャーは痛みを感じる様子もなく、抉られたわき腹を気にする素振りも見せず、どこからともなく肉切り包丁めいた幅広の剣を取り出し、トウマに向けて振り下ろした。耳障りな金切り音が響く。
トウマは腕をクロスさせて防御、両手の甲で剣を白刃取りした。ソルジャーは再び剣を振り上げようと腕を動かす。しかしトウマの万力のような締め付けに、剣は微動だにしない。トウマはソルジャーを睨みつけたまま息を整え、一息に剣をへし折った。
「イヤーッ‼」そして化鳥めいたカラテシャウトを上げながらジャンプして、ハイキックをソルジャーの首へと放った。ソルジャーの頭がブチブチと引きちぎれながら吹き飛んだ。
トウマは体勢を整えながら華麗に着地。油断なく身構えた。残心だ。残心を怠ればどれだけ優れた戦士であっても呆気なく命を落とすだろう。
〈これで終わりじゃないな〉
トウマの予想通りだった。頭を失ったソルジャーの肉体は倒れる事も霧散することもなく直立を保つ。
ソルジャーの体が一歩足を踏み出す。肉を抉られたわき腹が蠢き徐々に新鮮な肉が盛り上がってくる。首の断面から露出する繊維が伸びていき頭の大まかな輪郭を形作る。一分にも満たない時間でソルジャーの肉体は完全な再生を果たした。
竜騎士と同等あるいはそれ以上の再生能力を目の当たりにして、トウマの顔は自然と驚きの表情を浮かべる。そして、ソルジャーに向かって再度攻撃を加えた。貫手、蹴り、殴打、切断。今できるあらゆる攻撃を試した。しかしいずれもソルジャーを倒すには至らない。攻撃をしてもその痕跡すら残さずに再生してしまう。反対にトウマの体力はゆっくりと消耗されていく。このままではジリープアーだ!
〈なにか作戦が必要だ。このままでは嬲り殺しにされるのが目に見えている〉そしてそのことはトウマ自身がよく分かっていた。
竜騎士にとって戦い死ぬことは誉れ。だが、だからと言って甘んじて死を受け入れるトウマではない。彼が望むのはあくまで戦場での死だ。誰にも知られずに倒れる犬死など、断固として拒否しなければならなかった。
そしてトウマは行動を開始した。
ソルジャーが震えながら突進する。それをトウマはジャンプして回避。ソルジャーは急停止してすぐに振り向く。しかしそこにトウマの姿はない。上だ!
ソルジャーが天井を見た。そこには、天井を伝う配管を掴み、さながら体操選手のように長座位の姿勢で静止しているトウマの姿があった。トウマの目が赤く燃える。ソルジャーが飛びかかる。トウマは勢いよく身をひねり、空中に居ながらにして掴まる向きをソルジャーの側に修正。捻った勢いのまま蹴りつけた。テクニシャン!
ソルジャーがよろめく。バランスを崩し二、三歩後退しながら尻もちをついた。これを好機とみたトウマは、自身の体を前後に揺らし始めた。ソルジャーが立ち上がる。そのわずかな間にも、トウマは揺れ続ける。しだいにその勢いは強くなる。両足はぴったりと揃えられ、その姿はペンデュラムめいていた。ソルジャーが再び襲い掛かる。しかしトウマの方が一歩早かった。トウマは配管を掴んだ両手を、ソルジャーが自身に到達するタイミングに合わせて離した。
「イヤーッ‼」
その結果、トウマの全体重と人間振り子で蓄積されたエネルギーの乗ったぴんとそろえた両足が、ソルジャーの胴体へと直撃した。ソルジャーは防御も回避も出来ず、トウマの強烈な飛び蹴りを受けて近くの壁まで吹き飛ばされた。金属の壁が悲鳴を上げて、滑らかだった表面は出来の悪い板金加工と化した。
トウマは体を反転させて着地した。その視線の先には、敵の予想外の健闘に顔を歪めるサードミナスの姿があった。
トウマはサードミナスに構わず、外へと通じる扉に連続バク転で向かった。追撃はない。この好機を逃すわけには行かない。
扉に到達すると、トウマは扉についたハンドルを力いっぱい回した。大の男でも苦労しかねないはずの重いハンドルはその重量を感じさせずに回転。扉が外に向かって開いた。トウマはすぐに飛び出た。
やけに明るい月光に照らされながら、トウマはだだっ広い甲板らしき場所を走る。背後からはせわしない足音と声が聞こえてくる。どこか適当な場所でこの船から降りなければならないと思い、近くの手すりから身を乗り出した。
その瞬間、トウマの背中に冷たい感覚が走った。すぐに乗り出した身を引っ込ませ、一度冷静になろうと何度か深呼吸をする。普段と比べてわずかに息苦しい感じがした。
嫌な感じだ。船の外は黒一色で自然の気配はなく、水場特有の湿気も感じない。船は停止しているのか水をかき分ける音はない。そこまで考えてトウマはある考えに行き当たり、それを確かめるために空を見上げた。
「月が…」何という事だろうか。トウマは圧倒された。地上から眺める様子とはまた違った美しさがそこにはあった。いつまでも見ていられそうだった。しかしそれは叶わない。なぜならば、トウマの命を奪わんとする者たちがトウマのすぐ背後まで迫っていたからだ。
複数の足音が近づいてくる。そしてトウマを囲むようにして停止する。
「まだこんな所にいたのか」サードミナスの声が聞こえた。
トウマが振り返る。見覚えのある紅いフードの服を着用した兵士たちが銃器を構えて囲んできた。
「ここは空、なのか?」トウマは我ながら自分は馬鹿だと思った。自分を殺そうという相手に呑気に質問しているのだから。
「ご名答! いい眺めだろう。これがあれば内陸部に攻め入ることだって容易い。君が懸念していた補給面だって、二か月は自力で賄えるくらいには積み込める。良いだろう?」サードミナスは新しいおもちゃにはしゃぐ。その様子は見た目相応の少年だ。
「それで、トウマくん。ここからどのようにして窮地を脱するのだ?」サードミナスは期待を込めた目でトウマを見る。
「申し訳ないが、打つ手なしだ。飛べないんだよ。俺」
トウマは肩をすくめて、サードミナスの期待を裏切った。瞬間、サードミナスの顔から笑みが消える。そして興味を失ったように部下に対して言った。
「殺せ。どうせここじゃ変身も出来ない。手早く片付けろ」サードミナスは足早に去っていた。
残されたトウマと兵士たちは、互いに睨み合う。じりじりと間合いを詰める兵士たち。トウマは一歩、二歩と後退。腰のあたりに手すりが触れる。
飛べ、飛べ! 飛べ‼
おかしな声が聞こえた。察するに、手すりを乗り越えて飛び降りろと言っているようだ。
トウマが声に耳を傾けていると、左前方の兵士がライフルに装着した銃剣で突いてきた。咄嗟に回避して銃身を掴む。今度は右からの攻撃。右足で銃剣を払って兵士に蹴りを入れる。左の兵士からライフルをもぎ取ると、素早く銃口を元の持ち主へ向けて引き金を引いた。兵士が腹から血を流して倒れる。そしてライフルを右に向けると、蹴られて倒れていた兵士へと突き立てる。
突然の反撃に周囲の兵士たちが一斉に引き金を引く。けたたましい火薬の破裂する音と燃焼する匂いが場を包む。
トウマは銃弾を竜騎士特有の動体視力で難なくブリッジ回避。兵士の群れの中心から逃げ出した。
走れ! 逃げろ! 早く!
「今やってる。黙ってろ!」トウマは頭に響く声に向かって怒鳴りながら、長い甲板を走った。事情を知らない者が今のトウマを見たら、きっと気が触れたと思う事だろう。実際兵士たちの何割かは、トウマは命の危機に晒されたストレスによっておかしくなった為、何事かを喚きながら銃を乱射しているのだと認識していた。
トウマは兵士たちに向かって銃を撃ち、すぐさま振り返り逃げる。この行動を繰り返した。兵士たちも馬鹿正直に攻撃するのではなく慎重に距離を詰めていく。
逃げ続けついに船の船尾部分にたどり着いた。トウマはすぐに左手の壁に身を隠し背中を預けた。何か使える物がないかと身体中を探った。拳銃はなくなっていたがマガジンは残っていた。そして上着の内ポケットに通信機が残されていたことに気付いた。驚く事にサードミナスはトウマの持ち物を調べるような事はしなかったらしい。拳銃がない以外は特に変わりはない。拳銃は指輪のあった部屋で襲われた時にでもなくしたのだろうとトウマは判断した。
トウマは通信機を起動した。少しでもできることをやっておこうと思っての行動だ。周波数を合わせる。しかし耳障りなノイズ音ばかりが聞こえてくる。トウマは少しでも通信ができるように今できる限りのことをした。何度か試し続けてようやく弱弱しくも通信が繋がった。壁際から顔を出して追手の様子を確認しながら伝えられるだけの情報を離し始めた。
「こちらトウマ、黒曜のトウマ! アイマン、聞こえるか!」ノイズが酷く、相手に正しく聞こえているかもわからなかった。それでも起きた出来事を伝え続ける。
「敵だ! ラトプナムの南西にある村で武装勢力が拠点を築いていた。奴らの目的はラトプナムに残っているらしい指輪だ!」
弾丸がトウマの足元近くに着弾する。トウマもライフルの引き金を引いて敵に弾丸を撃ち込む。そして壁の陰に僅かに後退する。
早く飛べ! 飛ぶんだ!
また声が響く。トウマは頭を振って声を無視した。
「奴らの目的はあの指輪だ! あれを使って、あんたたちを…⁉」
軽い金属音が甲板を弾みトウマに向かって転がってきた。それぞれ手のひらに収まるサイズの卵型をした三個の鉄塊。中に火薬を詰め込み爆発と共に金属片をまき散らす。手りゅう弾だ。
そこからは早かった。トウマは通信機とライフルを放って、一目散に近くの縁から飛び出した。トウマの視界が黒一色になる。冷たい風が身を貫く。重力がトウマを地上に連れ戻そうと手を伸ばしてきた。トウマは両腕両足を広げて絶叫しながら落下した。
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