第28話 三章 十話

 日が完全に落ち昼間とは真逆の凍えるほどの温度になった砂漠を三体の影が疾走していた。影たちは目や耳に頼ることなく、互いの位置を相互に認識できた。

 影はその強靭な四肢で砂の大地を強く蹴り加速した。目標までもうすぐだ。

 二百メートルほどすると、砂が風で寄せられた丘陵に差し掛かる。影たちはそこで足を止め、身を低くして向こう側を伺った。

 巨大な砦が見える。砦の上部構造からはぽつりぽつりと間隔を開けてかがり火が立てられていた。その火と火の間を行き来する人影も見える。見回りの兵士たちだ。


 三体の影は音も立てずに砦壁の真下へと軽々と接近する。そして、壁に向かってしなやかに跳躍した。その四肢に不揃いのスパイクが生成され、しっかりと壁面を掴む。重力が彼らを捉える前に更に跳躍する。それを七度繰り返し、影はその数を欠けることなく、侵入を果たした。


 影は素早く暗がりへと移動する。見張りの兵士たちは侵入者に気づかない。

 兵士たちが影の隠れる場所から離れ、影たちが再び動き出す。城壁を乗り越えて、眼下の建物の屋根から屋根へと飛び移り、目的地へと近付いていく。

 地上では人々が普段と変わらぬ生活を送っている。上空に注意を払う者はいない。

 そして易々と公文書館の、ガラス窓の縁へと着地した。


 影たちは窓に近づき、素早く素材を分析した。窓はなんの変哲もないガラスだ。なんの障壁にもならない。

 一体の影が自身の細長い尾を、ガラスに近付け二股に分裂させた。そして、一方を吸盤状に変化させ、ガラスにぺたりと貼り付けて二、三度引っ張り具合を確認した。次にもう一方をナイフのような形態に変化させ、吸盤の縁を一週させた。するとガラスは音を建てることなく円の形に切断された。

 しっぽは形態をまた変化させた。今度は細長く、先端には自在に動く四つの針金のような指がついている。

 しっぽが穴をくぐる。そして向きを上へと変えると、窓を閉じていた掛け金を静かに外す。

 影が素早くしっぽを元に戻し、顔でそっと窓を押すと、窓はごく小さなきしみ音をたてながら開いた。



「つまり、この小さな二つの指輪を某かの方法で用いることで、アッ=ラヒームの力を利用できるというわけですな」

「それで、その肝心の方法とは何なのだ」オームは話の長い学者の話にイラつき始めていた。

「今日発見されたばかりのものです。詳しい事は更に調べる必要があります」それが学者たちが結論だった。つまりは何も分かっていないのだ。


 室内を流れる微かな風にトウマは違和感がした。普段なら気にも留めないような些細な風。だが、日が暮れて司書もいないこの公文書館で、窓の類が開いているとも思えない。

 トウマは周囲を警戒した。半ば無意識のその行為は、その場の全員の命を救った。



 トウマから見て左側にある背の高い本棚の頭から、影が飛び掛かる。

「伏せろ!」トウマは前に出て籠手を召喚し腕を突き出した。白銀に輝く前腕に、紅く爛々と輝く目玉をもつ四足獣めいたバグが食いついた。金属同士が擦れる耳障りな音が鳴り、激しい火花が散る。トウマは勢いよく腕を振り上げて、バグを床に叩きつけようと試みる。しかし、バグはすぐに腕から口を離すと距離をとった。


 バグは体勢を低く構え、じりじりとトウマに最接近してくる。バグの口から異音がした。その紫交じりの黒い体色と同様の色をした口腔内に、高速回転をするバズソーのような牙があるのをトウマは見逃さなかった。

 バグが大口を開けて飛び掛かった。トウマは背後に用意されていた木製の椅子を咄嗟に掴み、バグの口にねじ込む。バグが怯む。だが無力化した訳ではない。

バグは牙の回転速度を更に増し、口の中の椅子を瞬く間に木屑へと変えた。いかに竜騎士といえども人の姿のままでバズソーをくらえばひとたまりもないだろう。


「誰か助けてくれ!」学者の老人が悲鳴を上げた。トウマはわずかに視線をそちらに向ける。見ると、トウマに襲い掛かったものと同様の形態をしたバグが老人の背中に覆いかぶさっていた。老人の悲痛な悲鳴が室内に響く。


「動かないで!」オームが近くに飾られていた歴史的価値の高い壺を、バグに叩きつけた。不意の衝撃にバグは床に投げ出される。すぐに身を起こそうとしたが、アイマンが馬乗りになり不可能だ。そして大きな目玉の前に、暗い小さな穴が添えられた。


アイマンが引き金を引く。撃鉄が薬莢の尻を叩き、淡い炎が小さな鉛の塊を穴から押し出した。くぐもった銃声とほぼ同時にバグの目玉が砕かれた。生命維持に必要な器官を失った体が不規則に痙攣する。鋭いナイフのように変化していた尻尾が、あられもない方向に向かい、指輪を置いていた卓の足の一つを切り飛ばした。卓がバランスを崩し、二つの指輪を収めたケースが床にゆっくりと滑り落ちる。


 トウマと睨み合っていたバグが、トウマの顔めがけて再び飛び掛かる。トウマは左足を前に出し、右腕を引いた。そしてタイミングを合わせて、鋭いカウンターパンチをバグの口へとねじ込んだ。鋭いバズソーも、白銀の拳にはなすすべもなく砕かれ、ひしゃげて、そのままバグの頭と胴体は互いに別れることになった。


「もう一体いるぞ!」アイマンが警告する。いつの間にか、新たなバグが姿を表していた。そのバグは仲間が倒れることを気にする素振りも見せず、ただ指輪に向けて尻尾を伸ばした。細長い鞭のような尻尾は器用に二つの指輪を掬い上げる。そして、視線をこちらに向けたままゆっくりと後ずさり充分な距離をとると、振り向いて建物の出口に向かって一目散に駆け出した。


「逃げた…逃げた!」誰かが驚きの声を上げる。三人がバグを追いかける。

 バグは背後から迫る追跡者たちを振り切るために、立ち並ぶ本棚の間へと向かおうとする。

 オームが腰のベルトの鞘から投げナイフを三本引き抜き、バグに向けて投げ放つ。ナイフは空を切り、本棚地帯に逃げ込もうとしていたバグの横っ腹に突き刺さる。不意に受けた攻撃で、転がるように本棚に激突した。分厚く硬い何十冊もの本がバグに降り注ぐ。


 バグはよろめきながらも立ち上がり、今度は高く跳躍する。そして本棚の上に着地して、さらに本棚から本棚へと飛び移り、窓ガラスへと体当たりして脱出を図った。ガラスの割れる音がして、床にキラキラとした欠片が床へと降り注ぐ。追いかけてきていたトウマたちは慌てて身を隠す。その身にガラスを浴びた者は幸いにもいなかった。


「奴は俺が追いかけます」トウマの宣言に二人は頷く。

「では、私はすべての出入口を封鎖させましょう」オームは言うや否や懐から通信機を取り出し、衛兵たちへの命令を始めた。

「トウマ殿、これを持っていって下さい」アイマンがトウマに通信機と拳銃、予備の弾倉を二つ渡した。「あまり考えたくはないが、万が一の事もある。我々も追跡部隊を編成してすぐに追いかける。気を付けて」トウマは受け取った銃をズボンの腰に挟み、弾倉と通信機を羽織っていた上着のポケットに乱暴に突っ込むと、両足に白銀の足甲を召喚、バグの後を追うように窓に向かって跳躍した。



 アイマンとオームはそれを見送り、辺りを見回す。

「どうするか、これ」アイマンが呟く。周囲はひどく散乱していた。つい先ほどまで整然と並べられていた椅子やテーブルは廃材と変わらぬ有様だ。さっきバグが衝突した本棚の辺りは特に荒れている。

「うん?」

 床に折り重なっている本の隙間から、赤い光が漏れだしているのを二人は見た。

 アイマンが本を掻き分ける。光を放っていたのは、奪われた指輪のその片割れだった。バグが転倒した時に落としたのだろう。


「一体なんなんだ」喉を鳴らして唾を飲み込みながら、アイマンは恐る恐る指輪に触れた。その瞬間、頭に激痛が走る。たまらずに反射的に目をきつく閉じ、体を丸める。

 意識して思い出さないようにしていた過去の記憶が次々と甦ってきた。





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