第27話 三章 天空から来た上位者

 人気のなくなった遺跡内に、黒紫色の大型犬サイズの四つ足バグが侵入した。バグは遺跡内を見回し、物音を立てずに柱の陰に倒れる男の死体に近づいた。そして、その顔全体を覆う深紅の目玉で、死体が持っているはずの物を探しはじめた。

 だがおかしい。目的の物が見当たらない。男の手元にも、周辺にも、遺跡内の何処にも存在しなかった。

 その事実にバグは、正確にはバグに映像中継機能を付呪したクリスタルを埋め込み、バグの視点から映像を見ていた者たちが、狼狽えた。




「ドローンからの映像によると、目標は遺跡内には存在しないようです」


「…見ればわかる」目の前のスクリーンに大写しになった映像を見ていた銀髪の少年は、部下のオペレーターからの分かりきった報告に対して苛立たしげに返答した。

「それで? 神器の行方に、検討はつきそうなのかね」

 少年の質問に、部下は手元のモニターを確認して答えた。「は、はい、記録映像から、持ち去ったのはこちらの人物だと判明しました」

 部下がモニターを操作すると、スクリーンには、黒髪で銀の籠手と足甲を装備して、大男と戦っている男性を遠巻きに撮影した荒い静止画が大きく表示された。


「この男は竜騎士か。それで?」

「この者はラトプナムの人間と行動を共にしており、おそらくは荷物も一緒かと…」

「なぜそこまで分かっていて、直ぐに追跡させなかった!」瞬間、少年は椅子から素早く立ち上がり、その小さな身体からは想像もつかないほどの怒号を部下へと浴びせた。急な叱責に部下は狼狽する。


「少しでも失態を無かったことにしたいなら、今すぐに追手を向かわせろ!」

 部下は出せる精一杯の声を出して了解の返事をした。そして直ちに彼らのいる司令室から、下の階層の格納庫へと、命令が飛んだ。


 少年はその様子を見てから、自身の銀髪を乱暴に掻き乱しながら椅子へと座った。

〈なぜこうも愚鈍な連中ばかりなのだ。もっとマシな人員を注文しなくてはならんな〉

 そして、スクリーンに映った画像を睨み付ける。何重にも対応策を用意してあるが、それもどこまで対応できるかわかったものではない。これ以上の計画の修正は、望まれぬ事態だった。





ラトプナム公文書館


 街へと帰還したトウマたちは休む間もなく、それぞれの部族のリーダーへと遺跡で起こった事を伝えるための伝言を送った。そして三十分も経たない内に指輪を持って、街の南地区にある公文書館へと来るように連絡があった。不思議なことにトウマだけを名指しての呼び出しだった。

 トウマはアルコルと共に獅子の一族を病院に運んでから、公文書館へと足を運んだ。

 病院から公文書館は、大体歩いて二十分ほどの距離で、背の高い建物が間になかったため、場所はすぐにわかった。



 公文書館はラトプナムの伝統的な建築様式とは異なり、帝都によくみられるようなレンガ造りの建物で全体が白く塗られており、所々の窓にはガラスが嵌め込まれている。

 トウマは砂の地に現れたこの場違いな建物へと、ゆっくりと足を踏み入れた。


 中は薄暗い。五メートルほどある天井に届きそうな巨大な本棚が軒を連ねており、天井のあちこちには日光を吸収して発光する鉱石を組み込んだランタンがぶら下がっている。火を使うランタンよりも明かりは短い時間で消えてしまうが、文化的に重要な品ばかりを扱う公文書館では、その方が都合がいいのかもしれない。


 トウマが視線を前に向けると、資料を読むための大きな卓が何個も並んだところの更に奥の卓に複数の人間が集まっているのが確認できた。

「ああ、トウマさん。お待ちしていました。さあ、こちらに」

 集団から人影が一つ抜けてトウマに近づいてくる。獅子の一族のオームだ。

「お待たせしました。これがお伝えしていた指輪です」

 オームに案内されて卓へと進んだトウマは、ゆっくりと指輪の入ったケースを卓の上へと置き、鍵を開けた。




 遺跡から持ち出された一対の指輪は、早速学者たちの視線を虜にしていた。もうすぐ太陽が落ちる時間だが、ラトプナムの学者たちだけでなく、帝都からやってきていた調査隊すらも、時間を忘れて指輪の分析にかかりきりだった。

 指輪の素材判定、年代判定、産出場所の特定等々の現時点で可能なあらゆる検査が行われた。


「これは、まさか、だがそんな、本当に…」最後に指輪を調べたのは、他の学者たちと比較してかなり若い三十代ほどの女性の学者だった。彼女は指輪の置かれている卓に分厚く古めかしい本をゆっくりと置き、迷うことなくページを開いた。そして本と指輪を交互に見比べて、本のページを捲ったり、指輪を手に取りしげしげと眺めて、時折呻き声を漏らすという行為を繰り返した。

 それが終わると学者たちは円陣を組んで議論をはじめた。


 放って置かれる形となったトウマは、指輪の置かれた卓を挟んで向かい合っているアイマンとオームの方をちらりと見た。二人は互いに視線を合わせないようにして、ただ待っている。


「お待たせしました」議論を終えた学者たちが円陣を解く。そして学者たちの中で最も格上らしい老人が代表して歩みでた。この考古学者は件の遺跡からトウマたちに救出されたばかりだった。戦士たちに守られていたとはいえ、襲撃されたばかりで何事もなかったかのような振る舞いは、トウマを呆れさせた。

〈学者ってのは気楽だね〉

 トウマと共にラトプナムへ帰還した他の者たちは、治療をしているか、疲れをとるために休んでいるかのどちらかだ。彼らに礼の言葉の一つでもあれば少しは良いのだがとトウマは思った。


「それで、何がわかったのか教えて頂こう」

 オームは両手を組みながら言った。その眉間には皺が寄っており、これからやらなくてはいけない様々な雑事に対して思いを馳せているように見える。

「単刀直入に言いますと、我々はこの一対の指輪が、ラトプナムの伝説に記されたアッ=ラヒームの指輪だと考えています」

 その言葉にオームの切れ長の目が見開かれ、アイマンの眉間に皺が寄った。話を飲み込めていないのはトウマだけのようだ。


「不要とは思いますが、共通の認識をもつために念のためアッ=ラヒームについてお話しましょう」

 トウマの胸の内を知ってか知らずか、老人は説明を始めた。


「アッ=ラヒーム、現代の意味に直すなら《慈悲は途切れなく常であり、壮大である》という意味になります。これは文章の一節のようにも思えますが、この文章一つで名前となります。その歴史は長く、一説にはこの砂漠を支配していた伝説の王国よりも更に古くから信仰されていた可能性もある神なのです。

 姿は文書によって様々ですが、共通して空を覆うほどの巨大さで空を飛び、その声は大地の端から端まで届き、人々に恵みをもたらすと同時に怒れば激しい洪水で全てを流す。

 まあ、要はこの地で古くから信仰されている典型的な自然が擬人化された神ですな」


 老人の講義は分かりやすく、勉強嫌いのトウマでも理解できた。きっと本来はもっと小難しい専門用語を使っての説明がされるのだろう。そう思うと、トウマは自身の学のなさが少しだけ恥ずかしくなった。


「前置きは終わりましたか? そろそろ本題に入りましょう」アイマンは首を回しながら話の続きを促した。老人はそれに応じる。そして続きを話はじめ、その声色は徐々に熱気を帯び始めた。

「そして今日、そこの彼が回収したこの指輪だが、先ほども言ったように我々はこれはアッ=ラヒームの指輪だと考えています。年代、装飾、発見された場所、その全てを鑑みてこの結論に至りました。ご覧なさいこの大粒のラピスラズリを、深い青色の所々に星のような小さな鉱石があるでしょう」

 確かにその通りだった。地味な指輪部分に比べてラピスラズリは大きかったが決して下品ではない。それはまるで星々が輝く満点の星空がこの小さな指輪に納められているような美しさだった。





 同時刻、公文書館からほど近い軍病院にて


 ミザールは病院を出て直ぐにある用水路の欄干にもたれ掛かっていた。特に何を待っているというわけではない。ただ、冷たい空気に当たって頭をすっきりとさせたかった。


 ふと、気配を感じた。辺りを見ると、左側にある市街地へと続く下り階段から、アルコルがひょっこりと顔を出しているのが見えた。

「なにやってるの」声をかけるとアルコルは「しまった」というような顔した。ミザールは手招きしてアルコルを呼び、彼もそれに従った。


「もういいのか?」アルコルが心配そうにミザールに訊ねる。

「ええ、あたしはちょっと右の足首を捻っただけ。他の皆に比べたら何て事ないわよ」

 ミザールは体の向きを変えて、欄干に背を向ける格好で寄りかかると、右足を掲げて見せた。白い包帯で浅黒い肌が強調される。


「無事で良かった。あと少し遅かったらと思うと、俺は」

 茶化すミザールを、アルコルはじっと見つめる。ミザールも微笑みながら視線を返した。

「風に当たりすぎて冷えてきたみたい。ねえ、こっちに来てよ」アルコルの手を取り、ミザールは自分の身を彼に預けた。体が触れ合う。アルコルの温もりがじんわりと自分の体に流れ込んでくるような気がした。

「大丈夫。私はいなくなったりしないから、絶対に」背中を預けながらミザールは囁いた。それは願いとも宣誓とも取れる声色だった。


「…何っ!?」しばらくの間二人が互いを感じていると、欄干の向こうに見える公文書館の方向から、赤く光る球体が建物の間を縫って真っ直ぐに二人の方向へと向かってくるのが見えた。

 光球はどんどんと加速する。慌てて二人はその場から逃げ出し、光球もそれを追う。二人が階段を駆け下りる。その背後に光球はピタリとくっついている。


 なだらかな坂となった細道を走り続けていると、追ってきていた光球が姿を消しているのに気づいた。二人は足を止める。

「撒いたのかしら」「わからない。あれは一体…! ミザール、後ろだ!」

 アルコルが叫んだ。ミザールが振り向く。来た道とは反対の方から赤い光球が凄まじい速度で接近していた。逃げ場はない。ここは一本道だ。どこにも行けない。


 ミザールは衝撃を全体で感じた。体は宙を舞い、視界に映る全てがスローモーションで流れていく。痛みはなかった。恐怖はなかった。ただ疑問があった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る