第26話 三章 八話

 かつての神殿の名残である朽ちかけた柱が連なる場所に設置された調査拠点。ミザールはそこで四人の仲間たちと共に考古学者の老人を庇いながら、突然の襲撃者に対していた。


 日光を反射して幅広の剣が閃く。次いで仲間の一人の腕から血がしたたり落ちる。

「ハキーム、大丈夫⁉」ミザールは目の前の敵を切り伏せて、仲間に駆け寄り肩を支えた。

 ハキームと呼ばれた戦士は顔をしかめながら「まだやれる」と答え、剣を握りなおして敵に向けて突き出した。脳から分泌されたアドレナリンが痛みを誤魔化してくれているが、長くはもたない。早急に決着をつける必要がある。


 砂漠の色に溶け込む橙色のマントで一様に顔を隠した七人の襲撃者が、剣を構えてミザールたちを囲みじりじりと接近してくる。


 ミザールは目の前の敵を睨みつけた。敵が剣を振りかぶった。幅広の剣が男の体重を乗せてミザールへと接近する。襲撃者たちの使う剣に比べて、ミザールたちの獲物は僅かに反った細身の片手剣だった。真正面から受け止めれば刀ごと叩き切られてしまうだろう。当然ミザールもそれは分かっている。だから受け止めるのではなく、いなした。


 襲撃者が攻撃を空振り、ミザールの鋭い攻撃が襲撃者の胴を袈裟斬りで裂いた。赤黒い血が傷跡から染み出してくる。襲撃者は痛みと驚きで目を見張る。最後にその眼に映ったのはよく研がれた切れ味鋭い剣の刀身だった。


 ミザールは目の前の敵が絶命するのを見届けると、仲間の援護に向かった。仲間の一人が二名の襲撃者に相対していた。ミザールがその背後から片方の襲撃者に攻撃を仕掛けた。男の背中が切り裂かれる。だが踏み込みが甘かった。攻撃は男の戦意をより高める結果をもたらした。男は唸りながらミザールへと迫る。しかしその攻撃はミザールへは届かない。代わりに自身の顎が、ミザールのその豊満で筋肉質な太ももから繰り出された膝蹴りで砕かれた。男は口から血を垂れ流しながら地面に転がる。

 転がった敵にとどめをさしたミザールは視界の端に、奇妙なものを捉えた。


 それは空の向こうに突然姿を現した。黄金に輝くその巨大な三角錐は空中に浮遊して、目のくらみそうな輝きを放っていた。

音が、喧騒が、ミザールの脳内から締め出され、静寂が訪れる。視線がピラミッドに注がれる。

本来ならありえない現象だが、ミザールは不思議と黄金のピラミッドが空に浮いていることに疑問を感じなかった。無意識のその下、本能がミザールにあのピラミッドに向かえと告げていた。

「何? なんなの」ミザールがつぶやくと、空を巨大で長大な何かが通過する。それは生き物のようで、形容しがたい咆哮が聞こえた。


 そして、ミザールは現実に意識を引き戻された。

 背後から自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。そちらに気を取られたせいで、右側から突進してきた敵と共に地面へと転がることになった。

 音が徐々に戻ってくる。目の前には自分に馬乗りになり目を血走らせる男がいる。ミザールは慌てて抵抗するが、男が剣を振り上げるほうが早い。

 ミザールの右拳が男の脇腹に命中する。うめき声が聞こえたが、男の動きは止まらない。剣が振り下ろされた。間一髪身をよじり、砂に剣が突き立てられる。

男は再び剣を振り上げ、身を震わせた。口から唾液混じりの血液があふれ出し、体から力が抜けた。

 ミザールが右ひざを軽く曲げて男の体に触れると、男はなんなく倒れた。その背中には矢が深々と突き刺さっており、赤いしみが広がっていた。


 ミザールは素早く身を起こし、敵の手から零れ落ちた剣を拾い上げて、矢の飛んできた先を確認した。その視線の七十メートル先から、二頭の人を乗せたラクダが砂を蹴って近づいてきていた。ラクダの胸下には、ラトプナムの軍用ラクダであることを示す装飾品が垂れ下がっている。


「イヤーッ!」

 突然、ラクダから一人の男が飛び立った。そして空中で身を捻り、鋭い飛び蹴りをミザールへと迫ってきていた敵へとお見舞いした。彼はふわりとミザールの横に着地する。その黒髪、白銀の籠手に足甲にミザールは目を引かれた。


「ドーモ、黒曜のトウマです」トウマは素早く挨拶して、さらに向かってくる敵へと向かっていった。

 トウマへ大男が剣を振り上げた。白銀の籠手が斬撃を受ける。耳障りな金属同士が接触する音が響く。「イヤーッ!」トウマは左手で剣の刀身を掴むと、右手の手刀で叩き折った。大男は動揺して、わずかに後ずさる。トウマは身を低くして大男の股の間に入り込むと、その太い足を勢いよく払った。たまらず大男は転倒。トウマは男の腕に体を巻き付けて、両足で男の首を締めあげた。大男がトウマから逃れようと、腕を上げてもがく。首を圧迫する足の力がさらに増していき、それに反比例して男の体から力が抜けていき、ついには気絶した。


 突然の乱入者に困惑する敵たちに、矢が風を切って飛来する。腕や足、体などに矢を受けた敵の隙を見逃さず、獅子の戦士たちは一気に攻勢に出た。目につく限りの敵は全滅だ。

「アルコル⁉」ミザールがこの場所にいるはずのない恋人の姿を認め、驚愕の声を上げる。


 弓矢を放ち敵に命中させたアルコルは、ラクダから降りるとミザールへと駆け寄った。

「無事か?」はじめは不安な表情だったアルコルだが、他の戦士たちの視線を気にしてすぐに神妙な表情を作る。そして、なるべく余所余所しい態度でミザールに接した。

「ええ、問題ないわ。助かりました」

 ミザールもそれに合わせ、素っ気ない態度で反応を返す。だがその仮面の裏で、言葉で言い表すのもはばかられるほどに、ミザールの情熱が燃え上がっていた。〈どうしてあなたは、いつも私が好きになってしまう事ばかりするの?〉





「他に敵がいないか見てくる」トウマはミザールをアルコルに任せて、背後の砂に埋もれて半ば同化した状態の遺跡へと足を踏み入れた。


 初めに目についたのは、遺跡の中に吹き込み、床に積もった砂にぶちまけられた大量の血液だった。敵の気配はない。トウマはいつでも攻撃に移れるように構えながら、遺跡内を進む。

 遺跡の中は、天井から床まで三メートルほどで、入口から奥まで五十メートルほどしかない狭い空間だった。壁には朽ちかけた壁画が刻まれているのがうかがえる。ところどころ剥がれてしまっており細かな内容はわからないが、壁画には古代の人々や、風を表しているであろう何列かに分けて人々に向かう渦巻が描かれていた。


 天井を支える柱の陰から人の手が見えた。注意深く近づく。そこに倒れていたのは、襲撃者の一人だった。トウマはしゃがみ込み、襲撃者から何か得られる情報がないか探した。

 はじめに顔を覆っている布を外した。男のようだ。男の肌はよく日焼けした小麦色で、瞳は海のように青かった。

 ラトプナムの人間は日差しの強い土地柄から、肌は浅黒く、瞳の色は主に黒かブラウンだ。男の身体的特徴はそのどちらとも異なる。そもそもこの男の特徴は、比較的日差しが弱く寒い地域にみられるものだった。明らかにこの土地の人間でも周辺地域の者でもない。

 では、流れ者の盗掘者たちだろうか。それならば、いくら人数で勝ろうともラトプナムの戦士相手に戦闘を仕掛けるとは考えにくかった。


〈ならば傭兵か? これは…〉トウマは男の体を裏返して奇妙な点に気づいた。背中に深い刺し傷があったのだ。

 それ自体は大した問題ではないのだが、その傍らに血の付いた古い剣が落ちていたことがトウマを混乱させた。剣は銅製のようで、あちこちがボロボロで刀身も欠けていた。こんなものを誰が使うのだろうか。それに、男は背後から不意を突かれたらしい。命を奪う事だけを目的に力任せに行われたこの行為が、遺跡の外にいる獅子の戦士によって行われたとは、トウマにはとても思えなかった。


 続いて、男が手に握っている小型のケースを調べることにした。男の手からケースの持ち手をはがす。ケースは木製のようだ。簡素な金具を外しケースの蓋を開けると、中には布切れをクッション替わりに敷き詰め、さらに何重にも布で包まれた二つの指輪があった。

 指輪は古く、上部にはラピスラズリがはめ込まれていた。歴史的価値がどれほどのものか、トウマには検討もつかないが、それほど貴重な何か、重要な何かにはとても思えなかった。


 顔を上げて部屋の奥を見た。かつては精緻な彫刻がされていたことが伺える台座が鎮座するだけだ。トウマは指輪をケースにしまうと、左手に持って台座に近づいた。台座には指輪がぴったりと入りそうな二つのくぼみがある。

〈どうやら、本来はここに置かれていたらしい〉遺跡の過去の姿を想像していると、台座の背後から微かな物音が聞こえた。トウマはすぐに意識を切り替えて、静かに台座の後ろが見える位置に回り込んだ。


 台座に人がもたれかかっているのが見えた。トウマはゆっくりと歩みを進める。一メートルもない距離までいくと、もたれかかっていた人の詳細が確認できた。その眼窩は落ちくぼみ、あばらは浮き上がり、腹部はすべての内臓が抜き取られ、全身が乾燥してやせ細っていながらも、今にも動き出しそうなほどに生前の姿を保っている。

〈ミイラ?〉なぜミイラがこんな所にいるのか。さらに疑問が増えた。


「トウマさん、こちらに異常はなかったですか」アルコルの声が遺跡内部に響く。中に入ったきりのトウマの様子を確認しにきたようだ。

「こっちに来てくれ」トウマは台座の後ろから顔を出して手招きする。

「柱のところにいる奴はトウマさんが倒したのですか」

「いや、俺じゃない。おそらくは、ここにずっといた彼がやったんだ」そう言って、トウマは立ち上がり、アルコルに謎のミイラを紹介した。


 アルコルは驚いてトウマとミイラを見比べた。そしてミイラに敬意を表すように礼をすると、トウマに向けていった。

「冗談でしょう?」

 アルコルは本気でトウマの正気を疑った。それに対してトウマは肩をすくめた。





「とにかく、怪我人たちを連れて一度ラトプナムに戻った方がいい」それが二人の下した結論だった。二人は足早に遺跡を後にする。そのせいで、背後のミイラが、自身の体をわずかに動かしていることに気づかなかった。



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