第25話 三章 七話 不穏な影

 ラトプナム。この要塞都市の成り立ちは帝国よりも古いものだった。今は伝説としてのみ人々の記憶に残る砂の王国。ラトプナムは本来、その王国を守る大規模な砦の一つだった。しかし守るはずの王国は既に砂漠に沈んでしまっている。砦はいまや王国の民たちの末裔の故郷へとその役目を変えていた。


「本当にすまない。あいつがビールにだけ異様に弱いことを今まで忘れていたなんて」

 トウマとアルコルは、食堂でビールに酔っ払い、図らずも二つの部族の男たちを仲裁、叩きのめしたカレンを宥め、滞在の為に宿泊している宿に彼女を置いてきたところだった。そして今は、ラトプナムを囲む城壁に上がり砂漠を見渡そうとしている。


「謝らないでくださいよ。正直、助かりました。言い方は悪いが、カレンさんが暴れてくれてよかった。自分が仲裁なんかしたら、もっと悪いことになりかねませんから。気にしないでください」

 アルコルにとって二つの部族の確執は心底ばかばかしかった。自分たちが生まれる前からの因縁など、どうしていつまでも引きずることができるのかと思わずにはいられなかった。しかし、それを大っぴらに言えば、周囲から白い目で見られかねない。くだらない些細な事でも、時を重ねればそれは人の考えを縛る立派な呪いになるのだ。




「あそこが、王国があったと言われている場所です」アルコルは城壁の縁からわずかに身を乗り出し、周囲と比較してわずかに盛り上がった砂漠の丘陵を指さして言った。

「ほう、」トウマもアルコルの横に並び、砂漠の景色を眺める。広大な砂漠の景色はどこも似たような光景で、油断すればついさっきまで見ていた場所も分からなくなりそうな程代り映えしなかった。

「まあ、自分も亡くなった祖母から教えてもらっただけなので、正確とは言えませんがね」アルコルは恥ずかしそうに鼻をこすった。


「ところで、ひとつ聞いてもいいかな」

「構いません、どうぞ」

「隼の一族と獅子の一族、だったか? なぜ仲が悪いんだ?」

 トウマの質問にアルコルは黙り込んだ。トウマが慌てて「無理に答えなくていい」と付け加える。

「いえ、大丈夫です。ただ、何というか、その、あまり納得のいく答えがだせるかと問われると少し」歯切れ悪い言葉が続く。自分自身ですらよく理解できないこのラトプナムで長年続く因縁を、目の前の客人にどう分かりやすく話したものか、アルコルは知恵を絞った。


「ええと、自分も教わった事ですから詳しいことは言えないのですが…」アルコルは過去の記憶を探りながら語り始めた。




 そもそも、隼の一族と獅子の一族の由来は、伝説の王国の軍隊だったと言われている。当時の二つの部族は王国を守護する存在として、現在では考えられないほどの協力関係を築いていた。

 恵まれた運動神経と勇猛さを持ち、広い砂漠の中でも目を引く黒髪が特徴の獅子の一族。五キロ先まで見通す視力と優れた弓の技、長年の弓の鍛錬により年齢を重ねるごとに盛り上がる肩が特徴の隼の一族。


 そんな彼らから尊敬を集め、王国を統治していたファラオがいた。実在したか不確かなそのファラオは、政治、軍事の両面において秀でていた。彼は伝説に記された歴代のファラオの中で最も優れており、そして王国の最期のファラオでもあった。

 さらに、二つの部族の争いの元もこのファラオだった。王国の崩壊とファラオの崩御の後、二つの部族は互いに主張した。どちらがよりファラオに重んじられていたのかを。

 この話を聞いた時、アルコルは失望を覚えた。長年にわたる恨みつらみ、その原因が蓋を開けてみれば、どちらが王のお気に入りだったかという子供じみたものだったとは想像もできなかったのだ。


 事態はそれだけにとどまらない。この対立が決定的に深まったのは、四十年前の事だ。ラトプナムの南地区に行けば、今もその時の記録を見ることができるだろう。洪水によって命を落とした者たちの慰霊碑がそこにはあった。大雨によって起こる砂漠での洪水、ワジ。過去類をみない規模のワジは、泥水で何もかもを流した。そんなラトプナム全体の災害の避難活動は部族の垣根を越えて行われたが、運が悪かった。当時、隼の一族の戦士たちは周辺地域への遠征のためラトプナムを離れており、彼らの居住区は人手が足りず、救助の対応が遅れ、結果として最も人的被害が大きかったのだ。


 つらい戦いから帰って来た戦士たちがその事実をしったらどうなるだろうか、必死に生き延びようともがいていた人々がこの事を知ってどう思っただろうか、結果は現在の険悪な状態をみればわかるだろう。別々に分かれた武器の購入や軍事行動。末端が顔を突き合せれば口論からの乱闘騒ぎ。そんなことの繰り返しだ。


 だが、希望がないわけでもない。当時を知らない孫世代が現役世代へと代替わりしていくにつれ、互いへの悪感情が風化してきているのだ。悲惨な記憶を忘れるべきではない。

だが、忘却は時として事態を好転させるための特効薬となり得るのだ。



「あそこに立っている柱、あれは? なぜ砂漠のど真ん中に」トウマは話題を変えて砂漠の一点を指した。

アルコルは目を凝らしてその場所を見た。うっすらとだが確かに小さな柱のようなものが見えた。

「よく見えましたね。ここから二キロも離れているのに」

 竜騎士はとにかく視力が良い。その気になれば五キロ先を見通すことも出来た。アルコルは竜騎士の視力に感心しつつも、自分たちのアイデンティティを奪われた気がして少し落ち込んだ。だがすぐに気を取り直して、説明を続けることにした。


「確かあそこは、古い遺跡が発見された場所だったかと思います。帝都から来た考古学者のグループが調査しているらしいですよ」もしかすると、王国が実在したことを証明することになるかもしれないと、老人たちが浮足立っていたのを思い出した。学者たちの護衛は恋人のミザールが担当していた。

「どうでしょう。少し、遺跡の発掘調査の見学に行ってみますか」

 アルコルの提案にトウマは同意した。これはアルコルにとって願ってもいない事だった。客人を理由にするのは少しだけ気が引けたが、一目でもミザールの姿を見ておきたかったのだ。


「それじゃあ早速、準備に取り掛かりましょう。ラクダに飲み物。それに護身の武器も必要になりますからね」

 砂漠には盗賊団や猛獣、全生物の敵であるバグまでもがいる。万が一に備えて悪いことは無い。





 銀髪の少年は忙しなく作業を続ける部下を見下ろしながら、右手に持った鉄の軍配を、自身の左手で軽く二、三弾ませた。

「きみ、確保はいつごろになりそうかね」少年はコンソールを操作している部下へと尋ねた。部下はすぐさま振り返ると、「も、申し訳ありません。予想より抵抗激しく、手こずっています。ですがもう間もなくです」部下は声を震わせて答えた。彼女は肌で感じていた。この少年が機嫌を損ねれば、自分の命などたやすく奪えるのだと。


 少年は仕方ないと言うように鼻を鳴らした。そして自身をおびえた目で見る部下の態度に満足感を覚えながら、自身の座っている上等なしつらえの椅子に深く身を預けた。

「まったく。人間とはなぜこうもコストに見合わないのだ。どれだけ金をかけても切られ撃たれて死ねば、一瞬でパアになる」少年は誰に言うでもなく呟いた。自分の機嫌がよくなろうと悪くなろうと、計画が遅れているのは事実なのだ。

 少年は懐からリモコンを取り出すと、自身の右斜め前に備え付けられたモニターへ向けた。ボタンが押されると同時にモニターが点灯して、砂漠の大地とそこで争っている人々を、俯瞰して撮影している映像が映し出された。


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