第24話 三章 六話

 彼らがやって来たのは、ラトプナム市街、中央広場の大衆食堂だった。食堂は昼の忙しい盛りを過ぎたにも関わらず、客の姿が途切れることはない。


「帝都に比べたら大したものではないかもしれませんが、ラトプナムでの食事に迷ったらここが一番良いんです。これだけは自身を持ってすすめられます」アルコルはそう言って、軽く笑った。

「いやいや、そう謙遜しないでくれ。こちらこそ無理を言ってすまなかった」

 トウマたちは店の外のテラス席で卓を囲んでいた。食欲を増進させる刺激的な香りにトウマの鼻腔がくすぐられる。


「お二人は酒の方はいける口ですか?」

「そうだな、弱くはない」「私は好きです」トウマとカレンの返答を聞くと、アルコルは「それは良かった」と言って席を立ち、店の人間に注文をしに向かった。食事の内容は来てからのお楽しみらしい。


「私たち浮いてますね。やっぱり」行き交う人々を眺めながら、カレンはポツリと呟いた。

「急にどうした」

「いえ、何となく思っただけです。最近は特に忙しかったですから、こうして僅かでも腰を落ち着けて休むと、ふと考えるんですよ」カレンは軽くあくびをしながら語り続ける。

「私たちの仕事は、この人達が平和を守ることです。そのことに疑問を抱いた事もないし、迷った事もない」トウマは相棒の言葉にただ耳を傾ける。「それでも、こうしてふと立ち止まると、自分が世の中から置いてきぼりにされたような、そんな妙な感覚に襲われる事がある。トウマ、あなたもそんな事がありませんか」


 トウマは竜騎士と竜騎兵について思いを巡らせた。龍から力の一部を借り受けた二種類の戦士。それらは並みの人よりも長く世に留まる事が出来る。だが、彼らの使命は戦うことだ。居場所は社会の内側でなく外に置かれる。

 人より龍に近い竜騎士はしだいに人間性を失い、ついには龍となる。(そうなる前に大部分が命を落とす)対して竜騎兵は高い身体能力を持つ竜騎士の従者で尖兵。竜にはなれず人間性を失うことは無い。人に近いが人であるわけではない竜騎兵はその精神に問題を抱えることがある。

 これはそんな類の繊細な話なのだろうか。トウマはしばし考えて、カレンに言った。

「お前なにも考えてないだろ」

「ええ、言ってみただけです」カレンは大きく背中を伸ばして笑った。


「お待たせしました!」

 山盛りのパンが載ったトレーを持ったアルコルが戻って来た。焼きたての小麦の香りが食欲を誘う。

「飲み物は後から来ます。先に食べましょう」そう言って、アルコルはトレーに載った平たく薄い手のひらサイズのパンを手に取り食べ始めた。

 トウマたちもアルコルに習い、取ったパンを千切って口に放り込んだ。口いっぱいに小麦の良い香りが広がる。もちもちとした食感で味は申し分なかった。

 店の人間が近づいてきた。そして、ジョッキに注がれた泡立つ飲み物と果実の香りのする飲み物が、それぞれテーブルに置かれる。


「それではトウマさん、カレンさん。ようこそ、ラトプナムへ!」三つのジョッキがぶつかった。

 トウマはジョッキに口をつけた。「これは、ビールか」飲みやすい口当たりに爽やかな味だ。「うまいな」トウマは更にジョッキを傾ける。

「本当においしい。いくらでも飲めますね」そう言って、カレンはあっという間にジョッキを空けた。

 その時、トウマの本能に何か言いようのない不安が去来した。言葉にはできない。だが、そう遠くない未来に確実に良くない事が起こる。それだけは確かだ。


 肉の焼ける破裂音と香辛料の香りが近づいてきた。主菜が出来上がったようだ。

 まずはテーブルの中心に鶏を丸焼きにしたものが置かれた。そして各人の前には野菜たっぷりのスープに、よく煮込まれた肉団子とご飯が載った皿が供えられる。ジョッキも新しいものに取り換えられる。どれもこれもたいへんに食欲を誘い。トウマは無意識に唾を呑み込んだ。


 最初にアルコルが食事の作法を教えた。トウマたちもそれに倣う。一口食べてビールで流し込んだ。これが随分とお気に召したようで、トウマはよく食べ、カレンはよく飲んだ。

「これは旨い。特にこの鶏の丸焼き、中の米が出汁をよく吸っていて食べ応えも十分だ」鶏の足をむしりながらトウマは言った。

「このビールも、いくらでも飲めそうです」カレンはビールを再び飲み干した。かなりの上機嫌だ。




「てめえ、もう一度言ってみろ!」怒りを露わにした男の声で、食堂全体の空気が凍り付いた。トウマの視線も、自然と声の聞こえてくる食堂内のカウンター席の方に向けられる。

「何度でも言ってやる。お前らは後ろでちくちくと弓を引くことしか能がない臆病者だ!」

「ならお前らは突っ込むことしか頭にないイノシシ武者だろうが!」

 声の主は、どちらか一方の肩の筋肉の発達した男たちと、漆黒の髪の色をした男たちだ。その特異な外見は、それぞれが隼の一族と獅子の一族の人間であることを証明していた。


「あいつら…」アルコルは事態を収めようと立ち上がった。

「おい! 貴様らこんな場所で何のつもり…だ」

 肩を怒らせたアルコルの横をカレンが通りすぎた。その手には半分ほどビールが残ったジョッキが握られている。


「な、なんだ、あんたは」隼の一族の男が、突然現れた一九〇センチに迫る身長の得体の知れない女にむかって言った。男は女を睨んだが、女の据わった目に逆に怯むことになった。

「みなさん、元気なのは大いに結構です。でもこんなところで喧嘩は良くないですよね?」カレンはジョッキの残ったビールを飲み干した。「すいません。おかわりください!」〈まだ飲むのか〉


「部外者は引っ込んでろ!」獅子の一族の男がカレンの肩を小突いた。それによって手に持っていたジョッキが床に転がる。カレンはしばしの間、落ちたジョッキを眺めると、突然自身を小突いた男を見た。その口は心底楽しそうに吊り上がっていた。

「いいですね! 元気いっぱいな子は大好きです! 高い高いをしてあげましょう!」

 カレンは男を抱きかかえると、近くのテーブルに向かって投げ飛ばした。空気がしんと静まり返る。

「ど、どうぞ」店主が恐る恐る新しいビールをカレンに渡した。それを受け取るとカレンは再び飲み始めた。


「やっちまえ!」獅子の一族の取り巻きが激高してカレンに襲い掛かる。カレンはそれを軽くいなす。躱された拳は隼の一族の男へと当たった。それによって酒場の空気が一変。拳こそがコミュニケーションの、血沸き肉躍るバトルフィールドと化した!




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