第19話 三章 一話

 現在


「誰か手伝ってくれ!」貫頭衣を着た、よく日に焼けた中年の男が、砂漠のど真ん中で座り込んだラクダを立ち上がらせようと尻を押しながら仲間を呼んだ。仲間の一人が加わるが、ラクダはびくともしない。


「こっちもだめだ!」後方の仲間がラクダの尻を撫でながら首を振る。

 彼らキャラバンは、隣国での商いを終えて、帝国領内の故郷ラトプナムへと帰還する道中だった。

 だが、不運なことに荷を積んだラクダたちが、一様に座り込み動かなくなってしまったのだ。これでは商人たちも動くことは出来ない。餌を食べさせ、水もラクダには十分な量を飲ませていた。分かるのはラクダたちがストライキを起こしたわけではない事くらいだ。


 風が出てきた。砂が舞い上がり、その勢いが徐々に増していく。キャラバンのリーダーである中年の男は、背後の仲間たちに向かって、身振り手振りで指示を送った。それを見た仲間たちが身に着けたターバンを口元に巻いた。中年の男も同様にする。風が更に強くなる。商人たちはラクダに寄り添うように座り込んだ。

 視界が赤茶一色に変化する。ほんの一メートル先も見通すことはかなわない。商人たちは顔を伏せて、砂嵐が止むのをただ待った。


 砂嵐が起こってから十分が過ぎた頃、得体の知れない鳴き声が聞こえてきた。

〈なんだ? バグが近くにいるのか?〉リーダーは空を見上げ、そして言葉を失う。

 キャラバンの上空を巨大な黒い影が通過した。影はその身をくねらせて空を泳いでいる。どれだけ空を駆けても、影は尽きることがないほどに途方もなく大きかった。

中年の男に理解できたのは、その影の全容が自分ごときには、とても理解できる代物ではないことだけだった。


 呆然としていると、砂嵐は止み、影は姿を消していた。中年の男は震える体をなんとか従わせ、仲間たちの方を見た。キャラバンのメンバーはいずれもおびえているか、呆けたように空を見上げていた。


 中年の男は、隣で足を抱えて震えているメンバーの肩を揺すり、彼が自分と同じものを見たのか尋ねた。

「な、なあ、さっきのやつ、見たか?」

 聞かれた男はゆっくりと自身のリーダーの顔を見ると、小刻みに首を縦に振り肯定する。

 中年の男は同情しながら、自身の両手で顔を覆い目をつぶった。自分の頭の中からあの恐ろしい光景を少しでも追い出そうと試みたが、無駄だった。

彼の脳裏には、しっかりと影の姿が焼き付けられており、二度と忘れることは無い。




 硬く冷たい石の床の上で跪く赤いローブに金の装飾で縁取られた白い仮面を身に着けた錬金術師ヘルメスを、ぼろきれのような法衣を纏った三人の神官がそれぞれの礼盤に座り見下ろしている。神官はいずれも目は落ちくぼみ、極端な低栄養様態であることが分かるほどにやせ細っている。

その背後には女性の裸体に、両腕は蛇、顔は厳かなベールで隠した、禍々しい巨大な彫像が鎮座していた。


「導師ヘルメス」「報告は聞いている」「実験体を失ったとか」神官たちは口数少なくヘルメスを咎める。

「はい。ですが、貴重なデータを得られました。決して無駄ではありません」

「ほう」「と、言うと?」

「三体の実験体を竜騎士と戦わせた結果、二体以上であれば竜騎士一人をたやすく制圧できることが判明しました。まあ、相手の個体差はあるでしょうが、下級の連中が相手であれば何も問題は無いでしょう」ヘルメスは悪びれもせず結果を報告した。


神官たちが報告を吟味する。

「…よろしい」「今回の事は不問にいたす」「女神様への変わらぬ忠誠を期待する」

「ははっ」ヘルメスはうやうやしく頭を下げ、神殿を後にするため立ち上がり、背後の青銅製の大扉に歩きだした。


「次の者!」神官が声を張る。同時に大扉がうなりを上げてゆっくりと開いた。扉の外から松明の明かりが差し込み、続いて少年が神殿内に足を踏み入れた。

「おお、久しいなヘルメス」少年は肩口のあたりで切りそろえた銀髪を揺らし笑った。赤い目に透き通った肌は白ウサギのようで、少女と見まがうほどの顔立ちだ。その身なりは、サスペンダー付きの白いシャツと黒い短パンにシューズで、良家の子息といった印象を相手に与えるものだった。

「これはこれは軍師殿、君も何かやったのかね」ヘルメスは少年を見下ろして、からかうように言った。

「一緒にしてほしくはないな。私は神官の方々直々のご命令で参上した次第だ」少年は涼しい顔でそう言うと、先ほどまでヘルメスが跪いていた場所へと向かった。







 帝都


 帝都の中心にそびえ立つ国の様々な機能が集中した見事な集合建築。その東側にある軍部施設の一室にて、会議は行われていた。


「では、これより臨時会議を始めます」会議の進行役は、気持ちの良い木漏れ日と帝国建国の歴史を記したタペストリーを背にして、顔を伏せながら書類を読み上げた。

「一つ目の議題は、特殊バグの出現についてです」


 進行役は、自身の話が聞こえているかを確認するためにちらちらと顔の上げ下げを繰り返す。この場に集まる五人の高官たちが放つ剣呑な雰囲気が、進行役のあまり丈夫ではない胃腸を痛ませた。


 進行役に促され、茶髪を肩で切りそろえたボブカットをした、研究部門の長である竜騎士の女性スーダが淡々と説明を始めた。


「皆さんご存じの通り、ここ数カ月、帝国各地でバグの出現が増加しています」スーダが右腕を軽く振る。すると、日が差し込んでいた窓が厚い赤いカーテンで隠された。同時に、卓上に置かれたクリスタルが輝き、内部に記録された情報がホログラムで空中に映し出される。


「まずはこちらの写真をご覧ください」

 高官たちがホログラムの方に目を向ける。そして、黒い獣のような蟲のような、怪物の死骸を映した映像や写真が次々と表示された。

「時系列順で説明しますと、まずは東部の小村がバグにより襲撃された事件です。報告書によると、三体の大型バグが出現、さらにいずれも人為的な処置が施されていたことが判明しています」

「人為的というと?」髪を短く刈り込んだ、燃えるような肌をした竜騎士、ゴルディオスが疑問を口にする。


「ちっ、」ペースを乱されたスーダは、ゴルディオスを睨み軽く舌打ちした。

「なんだよ! 俺が質問するのがそんなに嫌かよ」わざとらしく傷ついたというような態度をとると、他の仲間たちを見た。だが、残りの三人はそろって呆れたように頭を振っただけだ。

「まじか、味方はいないってか」ゴルディオスは両手を広げて肩を落とす。

「そろそろいいですか? お望みの通りに説明しますから黙っていただけますかね、ゴルディオス」

 スーダの気迫にゴルディオスは肩をすくめて黙り、先を促した。


「続けます。一番に出現したものは見ての通り、背中に大砲のようなものを背負っています。分析班からの報告では、これはバグの組織で覆われていますが、生成されたものではなく、軍隊で砲撃などに使用される種類の大砲が高度に癒着していることが判明しました」

 スーダの説明を補足する資料が各々の目の前に表示される。


「ほかにも似たような兵器を搭載されたもの、通常と比較して異常に肥大した各部器官を持つものなど、帝国各地や他国でも、様々な個体が確認されています。中には強力ではあっても短時間で肉体が崩壊、死亡するケースも、」


 スーダの報告が終了した。次々と表示されては消えていく資料を、彼らは一様に眉根を寄せて、読み込んだ。

そして、軍の幹部で剣の達人であるリカールが、その胸にまでかかるほどの白い髭を撫でながら疑問を口にする。

「これはどういうことだ。私もこういった事に詳しいわけではないが、その、何というか不自然だ」

 リカールの言葉に他の三人も同調する。


「この奇妙な現象には人為的な要素が絡んでいるのは間違いないわ。証拠に、わたくしの部下が実際に小村に調査に向かい、赤ローブの集団に遭遇しています」そう言ったのは、特殊作戦群の司令官である薄紫の長髪を三つ編みにして肩にかけて垂らした人間の女性、シルヴィだった。彼女は自身の部下による報告を重要な案件だと判断し、今回の招集を呼び掛けたのだ。


「その集団の中心あるいはリーダーである、ヘルメスと名乗った仮面の男はバグを操っていたとも報告されています」


「その男についてですが、」痩せぎすで黒い長髪で三十代くらいの人間の男性、サイフォンがシルヴィの言葉を継ぐ。

「この人物は単独ではなく、大規模な組織のようで、似たような連中が、帝国内だけでなく世界各地でその姿を確認されています。報告書にも記載があるように、元々は隣国である共和国の竜騎士が追跡していました。それで、この人物が所属していると思わしき組織ですが、帝国の古い資料にも情報がありました」


 サイフォンの合図でホログラムの表示が変わる。


「なに?」先ほどまで冗談めかしたような態度をとっていたゴルディオスの目が鋭くなる。

 スーダは顎に手を当てて目を細め、リカールはその深い眉間の皺を更に深くする。

「これは、こいつはセクトじゃないか!」ゴルディオスは声を荒らげ、目の前の卓を叩きつけた。


「落ち着きなさい。ゴルディオス」スーダがゴルディオスを諭すが、その声にはわずかに動揺が見られた。


「サイフォン、これは間違いないのかね?」リカールが信じられないといった感じで言った。

「はい、間違いありません。共和国からの捜査資料とこちらの過去の資料を合わせた結果、連中は過去に存在したセクトと同様の組織でしょう」


「だからあの時、俺たちがとどめを刺しておけばよかったんだ!」

「あの頃の我々には手を出せなかった。貴方もそのことはわかっているでしょう?」

「だが、」

「だがも何もありません!」

 スーダにぴしゃりと言われて、ゴルディオスは少しだけ落ち着きを取り戻した。


「セクト…。私、話でしか知らないのですが、詳しく教えてくださらないかしら」士官学校での教本でしかセクトの事を知らなかったシルヴィは、左隣に座るリカールに耳打ちした。


「ああ、教科書に載っていることだが、セクトは過去に方々で紛争を起こしていたのだ。人心の不安を煽り、様々な国を崩壊に追いやっていた連中を、帝国と他諸国の連合で討伐した。もう六十年前かな。私とゴルディオス、それにスーダも参加していた。嫌な思い出だよ」リカールは口元に手を当てため息をついて、目の前のゴルディオスとスーダをちらりと見た。よほど掘り返したくない記憶だったのか、リカールはそれきり黙り込んでしまった。


 過去に戦乱を世界にもたらした組織が現代に復活した。セクトの目的や組織構成は全くの不明だ。世界各地で暗躍する、最新技術と人類の敵を制御する術を持った組織。セクトを再び記憶の彼方に追いやるには、今までのルールを曲げる必要が出てくるだろうと、シルヴィは思った。だがその時期はまだ来ない。準備が肝心だ。どんな事態にも対応できる準備が。



「…っていう事があったの。怖いわよねー、トウマ」執務室のデスクに肘をつきながら、シルヴィはあっけらかんと笑った。


「……いやそれ、全く笑える話じゃないですからね?」







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