第16話 2章10話
視界が揺れ、体のあちこちが痛む。口の中を切ったらしく鉄の味がした。何が起こったのかわからなかった。物音のした暗がりを調べていた時に巨大な人形が立っていたことは覚えている。
彼女は覚えていないが、人形を見つけたと同時に、強い衝撃と共に吹き飛ばされた。
サクヤは頭を振り辺りを見渡す。自身の左隣には隊員が倒れている。肩に触れ揺さぶるが、反応は無い。よく見ると体のあちこちが曲がってはいけない方向に曲がっており、絶命しているようだ。
防弾チョッキの襟を強く掴まれた。驚きのあまり両手を振り回す。だがそんなことはお構いなしに物陰へと連れ込まれた。襟を掴んでいた手が離れる。すぐに体を起こして相手に向き直る。
「おちつけ。動かない方がいい」仲間の隊員だった。彼が気の動転したサクヤを安全な場所に避難させてくれたのだ。
「何があったの?」サクヤは痛む頭を押さえながら尋ねた。
隊員が倉庫の入口側を示す。そちらには二メートル以上はある筋骨隆々の禿げ頭の大男が自身を囲んでいる隊員たちに対して攻撃を行っているのが見えた。
巨人が雄叫びを上げる。それと同時に身に纏っていたコートがはち切れる。脚の筋肉は強く太く発達し、腕は大木のようになり、肩は山のように筋肉が盛り上がった。
巨人は助走をつけて、囲む隊員たちにタックルする。全身のすさまじい筋肉から生み出されたエネルギーは、目の前の一切を粉砕する暴力の津波のごとく彼らに襲い掛かった。
隊員たちは仲間の命を奪った恐ろしいタックルを止めようと一斉射撃を浴びせる。しかし巨人の肉体は鋼の如く硬化し、弾丸のことごとくが弾かれた。
巨人は唸り声をあげてその太い両腕を振り回し、何人かの隊員を薙ぎ払う。そしてそのまま一回転を終えようという瞬間、その動きが止まる。巨人は自身の腕を止めたそれを見る。そこには、前腕から手にかけて覆う白銀の籠手を装備したトウマがいた。
トウマは、巨人の腕を掴み勢いをつけ背負い投げた。巨体が宙を舞い、ガラクタの山に突っ込む。長年降り積もった埃が舞い煙幕となる。巨人は何事もなかったように起き上がり、煙の中から姿を現す。巨人は首をぐるりと回し、前方に立つ自身を投げ飛ばしたトウマに殴り掛かる。
同じくトウマもパンチを繰り出す。互いの拳が最大威力を発揮しながら同時にぶつかる。
と同時にそこから発生したエネルギーが堅い石の床に逃げ、ひびが入る。
トウマが距離をとった。自身のパンチを相殺した目の前の敵が、油断ならない存在であることを理解したからだ。
竜騎士は尋常ならざる力を持つ。天を統べ、海を割り、大地を砕く。その竜騎士のパンチを受けて無事な人間はいない。では、目の前の筋肉を異常なほどに隆起させながら、うつろな目をした巨人は人間ではないのだろうか?
〈そんなこと、今は関係ない〉そう、関係ない。今やるべきは、襲い掛かる筋肉の塊めいた巨人を倒すことだ。敵の意図、思惑、そんなことは知った事ではない。向かってくるならば、完膚なきまでに叩きのめすだけだ!
トウマの下腿から下が、白銀の足甲に覆われた。左拳を突き出し、腰を深く落とす。深呼吸をして精神を落ち着ける。そして、両足に溜めた力を一気に開放し、巨人に飛び掛かった。カラテシャウトが響き、渾身の右ストレートが巨人の左肩に命中する。隙を逃さず巨人の懐に潜り、その腹に強力なパンチを何度もお見舞いした。
巨人がよろめく。だがすぐに床を蹴り、態勢を立て直して両手でトウマを捕まえた。万力のような強い力で巨人はトウマを締め付ける。トウマの全身から悲鳴が上がる。このままでは圧殺という結末が待っているだろう。
巨人の背中に違和感がした。一定間隔で散弾が発射され、特徴的なポンプアクションの動作音が聞こえる。
「こっちよ、デカブツ!」
サクヤがトウマの逃げ出す隙を作るべく果敢に挑んだ。背中のこそばゆい感覚を止めるべく、巨人はトウマを乱暴に投げ捨て、サクヤに歩みを進めた。
サクヤは自身に近づいてくる巨人と僅かでも距離をとる為に後ずさりする。しかし、巨人はその体格により一歩一歩がサクヤのそれよりも大きい。二人の距離はどんどんと近づいていく。サクヤはショットガンを床に放り投げると後ろを向き、一目散に逃げ始めた。巨人もそれを追いかけて走り出す。
サクヤは倉庫の棚が並ぶ場所に逃げ込んだ。棚と棚の間は巨人が入り込めるほどの幅は無い。上手くいけばこちらの姿を見失わせることができる。
そんなサクヤの予想を裏切るやかましい音が背後から聞こえる。巨人が棚をなぎ倒しながら近づいてきていた。サクヤは身をかがめて棚の隙間から隣の通路に逃げる。
だが、巨人はすぐにサクヤを捉えた。サクヤの目の前に棚が倒れる。その陰から巨人が現れた。
巨人はうつろで無感情な顔でサクヤを見る。その頬はわずかに紅潮している。巨人が一歩踏み出した。それに合わせてサクヤが一歩下がる。徐々に逃げ場がなくなる。
サクヤは足元に散らばった棚の残骸に足を引っかけた。バランスを崩し、しりもちをつく。
その瞬間、巨人はサクヤに高速で飛ぶ鉄球めいたパンチを放った。
〈やられる!〉サクヤの脳裏に今までの思い出、友人、師や仲間の顔が次々と浮かぶ。走馬灯だ! 彼女の人生はここで終わるのか? いや違う!
パンチはサクヤへと届く前に静止した。巨人がのけ反る。その首にはこの倉庫で使われていたと思われる鈍く輝く太い鎖が巻き付いている。巨人は右手を鎖に左手は投げだし、倉庫内で暴れまわった。
「サクヤ逃げろ!」
なんと巨人に鎖を見舞ったのはトウマだった。彼は巨人に投げられた後、どこからか鎖を見つけ、巨人を捕らえる為に利用したのだ。彼は暴れる巨人の背中にしがみつく、その両手の鎖が離れることはない。その姿はまるで暴れ牛を乗りこなすカウボーイのようだ。
「ブぁああああ!」巨人は全身を振り回し、倉庫内を駆け巡る。トウマは鎖を持つ左手に力を込めた。鎖が締まり、巨人が左に曲がる。倉庫の出入り口が見えた。トウマは左手の鎖を緩め、右手の鎖を締める。巨人が右に曲がった。トウマの巧みな操縦により、巨人は倉庫から飛び出て道なりに走る。地面が揺れて、それに気づいた人々が道を開ける。
「ハイヨー!」トウマは鎖で巨人を叩き、更に加速させる。市場から港へと続く道を爆走する。目の前にはだかる一切を粉砕しながら走り続ける。
しだいに潮の香りを鼻腔に感じた。それと火薬の爆ぜる音も聞こえてくる。目的地はもうすぐだ。
グリムは友人に拳銃を捨てさせてから、跪かせた。
「恥知らずの裏切り者め!」
ハビエルはかつての友人を睨みつける。
「お前が悪いんだ。言った通りに休暇を取ればよかった。そうすればこんな事にはならなかったんだ」グリムはため息をつきながら言った。
「いつから裏切っていたんだ!」
ハビエルの声は震えていた。口が渇き、目頭が熱くなる。両手の爪は手のひらに食い込み、血を滲ませた。事態をまだ上手く呑み込めていないのだ。
「あんまり友達を責めないでやってくれ。ハビエル捜査官」二人の会話を聞いていたゲイリーはビーチチェアから下りると首をまわしながらハビエルを見た。
「彼は俺のビジネスパートナーってやつさ。そこそこの付き合いになる」懐から葉巻を取り出すと、口に咥えながら火をつける。そして一息に葉巻の煙を肺にため込み、一気に吐き出した。下品な笑い声が煙の隙間から響く。
「本当なのか…何のためにだ。なんのために仲間を、僕を裏切った」
ハビエルは歯ぎしりをしてグリムを睨みつける。友人の目を見たグリムが顔を歪め背ける。彼がそうした理由は一つ、恥だ。
「…のためだ。金のためだよ!」
「そんなことの為に⁉」
「そうだ。そんなことのためにだ! お前だって金がどれだけ重要か分からないわけじゃないだろう⁉ 安い給料で命をかける。そんなの割に合わないだろうが! 少しくらいいい目を見てもいいはずだ!」
「それで子供一人が死んだんだぞ‼」ハビエルは軽蔑の念を込めて怒鳴る。
「あれは事故だ。あいつの部下が怠けずに仕事をしていれば、腹の中で梱包が破れることもなかった」グリムがゲイリーを指し示し、ゲイリーが肩をすくめる。
「それが言い訳になると思っているのか? それで許されると、本当に?」
「ならどうすればいい! お前は何を言っても納得しないだろうが」
その通りだ。ハビエルは納得しない。出来るわけがない。友人は裏切り、追っていた犯罪者と組んでいた。簡単に認められることではない。二人は黙り込み睨みあった。重い沈黙が続く。
「あ~、そろそろいいかな」沈黙をゲイリーが破る。「提案なんだが、ハビエル捜査官。あんたも俺と組まないか?」なんという恥知らず。いや、敵すらも利用しようとするその根性は称賛するべきか。
しかしそんなことを承諾するハビエルではない。答えは一つ。
「断る」ハビエルはゲイリーをまっすぐに睨みつけ言い放った。
「あっそ」それに対するゲイリーの反応は冷淡そのものだ。彼は手を二度叩く。すると、ゲイリーの背後からコートを纏った巨人が姿を現した。
「アボラ、彼を殺せ」
巨人アボラはゲイリーの命令を受けハビエルに接近する。アボラはその大きな拳を打ち鳴らしながら、ハビエルの目の前に立つ。このまま彼の頭を潰そうとしているに違いない。
「待て、待つんだ! 少し説得の時間をくれ」グリムがハビエルを庇うように前に立つ。アボラは手を止め、背後の主人に伺いを立てた。ゲイリーが手を挙げて待つように指示を出す。
わずかな時間を稼いだグリムは、ハビエルに向き直り視線を合わせた。
「悪いことは言わない。俺たちと組め。肩肘張って死ぬなんて馬鹿げてる。分かるだろ⁉」
グリムの説得は懇願にも似ていた。彼は自身が裏切った友人を守ろうとしている。それは打算などではない。純粋な友情によるものだ。
「何度も言わせるな。断る。やるならとっとと殺せ!」
だが、それを素直に受け入れるハビエルではない。かつての友人の言葉に、ハビエルは余計に闘志を燃やす。自分の信念、目的、意思を曲げるくらいならば死ぬ。ハビエルはそんな人間なのだ。
「なんでそんなに頑ななんだ。たかが孤児だろう。どこにだって転がっている。いなくなったところで誰にも気にされない。そんな連中の為にどうして⁉」
「それは…」
何かが砕ける音と共に船体が激しく揺れた。アボラがバランスを崩し、勢いをつけて入口の方に転がっていく。グリムもバランスを崩し、硬い床に身を投げ出され気絶した。
ハビエルは素早く身を翻し、拳銃を拾ってすぐさま構え、周囲を警戒する。ゲイリーの姿は見えない。貨物室の壁に花弁のような穴が空いたのが見えた。
「バニラ⁉ お前どうしてここに!」どこからかゲイリーの声が聞こえてくる。その声には驚きと焦りが含まれていた。「お前は⁉ 止め…」拳銃の銃声がした。穴のすぐ近くに置かれたコンテナの陰からゲイリーが姿を現した。赤黒い染みが右肩にべっとりとついている。撃たれたようだ。ゲイリーはハビエルを尻目に貨物室から逃走した。
続いて穴から人が現れた。右手に拳銃を握っている。男のようだ。彼がゲイリーを撃ったのだろう。ハビエルは警戒をしながら男に接近する。
「ハビエル! なんでここに?」乱入者の正体はトウマだった。バニラと呼ばれた巨人でロデオをしていたトウマは、勢いあまってゲイリーのアジトである貨物船に突っ込んできたのだ。
「トウマ、本当に君か。よかった」心強い援軍の登場に、ハビエルの緊張がほんの少しだけ緩んだ。だが、油断するのはまだ早い。向かい合う二人の背後で転がっていた巨人が動き出した。
「いま君が撃った奴、あいつがゲイリーだ。追いかけないと」
「何、あいつがそうか。まあいい、事情は後で聞く。ハビエル、お前はゲイリーを追いかけろ」トウマは、ゲイリーが逃げた方向に進むよう、ハビエルを促した。
「そんな、僕も一緒に」「気にするな。ああいう手合いは得意分野だ。ほら急げ」
トウマに背中を押されて、ハビエルは走り出した。
二体の巨人がトウマを挟み、今にも襲い掛かろうと隙を伺う。
はじめに貨物室の入口まで転がっていたアボラが動いた。右腕を振りかぶる。杭のような鋭いパンチを、トウマは左足を軸に最小の動きで回避した。背後のバニラが太い左足で蹴りを放つ。トウマは床を強く蹴り、飛び上がり回避した。それを狙い、アボラが迎撃パンチを繰り出す。それをトウマは両腕をクロスして防御した。鋭いパンチを受けたトウマが吹き飛ぶ。しかし冷静に空中で態勢を直し、難なく着地。
バニラが左フック。トウマはそれをブリッジ姿勢で難なく回避。立ち上がり、アボラに接近。その右脇腹に重いパンチを三発打ち込んだ。たまらずアボラは膝をつく。
バニラが右腕を横なぎに振るう。トウマは身をかがめて避けると、バニラの右腕に鋭利なチョップをくらわせる。バニラの腕に薄い切れ目が入り、鈍い音をたてて床に転がった。バニラは腕の喪失と痛みにより、余計に荒々しく無闇に暴れる。トウマを狙った蹴りはあらぬ方向、アボラの左肩を蹴り上げた。アボラが悲鳴を上げ、バニラを殴る。バニラも殴り返す。
これを好機と見たトウマは二体の巨人の間に入り込んだ。当然の如く攻撃はトウマに集中する。だが、それが狙いだ。二体がほぼ同時に殴り掛かった。トウマが素早く回避する。巨人たちの拳が互いの顔面に吸い込まれた。
それは只の回避ではない。トウマはその持ち前の運動能力と長年の経験を活かし、巨人たちが同士討ちするように誘導したのだった。二体の巨人が顔を押さえながらよろめく。トウマの攻撃が始まる。彼はその脚力で天井まで飛び上がった。そして空中で姿勢を変えると、天井を勢いよく蹴り、バニラに向けて加速して、その両腕をクロスしてバニラの首を跳ね飛ばした。トウマの身を守る籠手は、防具であると同時に何物をも切り裂く魔刀でもある。
続いて、トウマは頭をなくしたバニラの胸を蹴り、舞い上がってアボラへと飛び蹴りを放ち、アボラの首を刈り取った。
二体の巨人が倒れ伏す。トウマの勝利だ。
〈ハビエル、待っていろ〉しかし行きつく間もなく、ハビエルを追いかけて走り出した。
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