第14話 2章8話
翌日
ハビエルは海鳥たちの鳴き声を聞きながら早朝の街を歩いていた。海鳥の声を聴きながら、片手に持った紙袋からパンを取り出し齧る。
つい昨日までならば、朝早くに朝食を買いに出ることなど考えられなかった。昨夜の告白が彼の心境に変化をもたらしたのだ。ほんの僅かだが、彼は一歩前進した。トラウマは、封じ込めていてはいつまでもそのままだ。言葉に出して噛み砕き咀嚼し、受け入れることで、はじめて改善される。見ないふりをするのではない。共に歩むことが肝要なのだ。
ハビエルが警察署まで戻ると、警官たちは誰も彼もが浮足立っている様子だった。
「君、何かあったのかい?」ハビエルが若い警官に尋ねる。
「ああ、ミスターハビエル、おはようございます。夜勤のパトロールから連絡があって、港近くの酒場で銃撃戦があったらしいんです。どうやらギャングの抗争のようで、みんな対応に追われています。自分もこれから現場に向かいので失礼します」
足早にその場を離れる警官を見送ると、ハビエルは急いで自身の捜査本部に向かった。そして部屋に入るなり、グリムや隊員たち、トウマとサクヤに声を掛ける。
眼球に当てられた白い光、鼻を刺激する消毒液の匂い。そして医者や看護師の緊張と焦りの含まれた怒鳴り声だけが、その時のエッグマンが認識できた物事の全てだった。
「エドワード、エドワード・グッドマンさん? 聞こえますか? ここは病院です。あなたの手術をこれから行います。いいですね?」医者の呼びかけにエッグマンは答えようとする。だが、喉を震わせようと深く息を吸った瞬間に胴体に激痛が走り、うめき声しかでなかった。かまわずに更に声を出そうとするが無駄だ。しだいに視界を霞が覆う。息が出来なかった。体は動かず、意識は朦朧として、まるで自分が自分でないようだった。
「まずい‼ 意識レベル低下、酸素マスクを装着、鎮痛剤と麻酔薬を投与!」
意識を失ったエッグマンの口に酸素マスクが当てられ、高濃度の酸素が気道に肺に流し込まれる。
担架を押す看護師がエッグマンの様子を見て呻く。その体は無傷の場所を探した方が早いのではないかというほどに無数の弾丸に切り裂かれており、まだ息をしているのが奇跡と言える程の重症だ。
エッグマンを載せた担架は、まっすぐに手術室へと滑り込んでいった。
「エッグマンを襲撃するなんて、どういうつもりだ!」通信機から男の怒鳴り声が響いた。男は非難の色を隠そうともしない。
「騒ぐなよ、ただの掃除だ。お前の言う通りに隠れるが、その前に商売の邪魔になる連中にはいなくなってもらおうと思ってな。エッグマンの奴、いい気味だ。俺がこの手で直接あいつを撃ってやったんだ。奴の眼、お前にも見せてやりたかった」ゲイリーは下品な笑い声をあげながら、グラスに注がれた酒を一息で飲み干した。
「悪趣味だな。お前のおかげで捜査は大幅に前倒しになった。せいぜい兵隊を集めておけ、撃ち殺されても俺は責任とらないからな。それと、これから捜査が終わるまで、一切の連絡はなしだ。それでは失礼する」そう言うと、男は無線機を一方的に切断した。
ゲイリーは、グラスに酒を注ぎながら、エッグマンを襲撃した時のことを思い出した。
エッグマンお気に入りのバッドバッチという酒場。そこから出てくるところを狙い、奴の部下共々、蜂の巣にしてやった。そして血まみれで空を見上げる奴の耳元で囁いた。「誰が小物だって?」と、それを聞いてエッグマンは、自分が死ぬことに恐怖するわけでも、こちらに怒りを向けるわけでもなく、にやりと笑い「臆病者」とだけ言った。それを聞いた次の瞬間には、右手に銃を握り、弾倉が空になるまでエッグマンの身体に弾丸を打ち込んでいた。あの時のたった一言が自分の本心を見透かしたかのように感じて、とても恐ろしかったのだ。
酒の力に頼りながら自分を大きく見せようと必死のゲイリーだが、その涙ぐましい努力がもうすぐ終わりを告げることを、彼はまだ知らない。
ハビエル率いる特殊部隊は二つの班に分けられた。一つはゲイリーのアジトに向かうハビエルとグリムが指揮をとる班。もう一つはゲイリーの組織が直接管理している倉庫に向かう班だ。トウマとサクヤは後者の班に同行することになっていた。
ハビエルとしては二人を自分と共に同行させたかった。しかし、エッグマンから情報を受け取って一日も経たずに、その彼のギャングが襲撃された。それは情報を漏洩させている何者かがいることを意味している。悠長に援軍を待っている時間はなかった。隊員たちからしてみれば部外者のトウマたちだが、彼らを頭数に入れなければとても人数が足りない。苦肉の策というやつだ。
素早く、静かに、強力に、捜査を実行しなければならない。
「マスター、あたしが持っていいんですか、これ」サクヤはそう言って武器ロッカーに収納されていたショットガンを取り出す。
「ああ、お前は俺以上に射撃が下手だから、それくらいが丁度いい」トウマは、むくれた表情のサクヤを横目で見ながら鉄板を仕込んだ革の防弾ベストを装備して、銃身を切り詰め室内での利便性を向上させたレバーアクションライフルに弾丸を装填する。
「もっと練習すればあたしだってカレンさんに負けないぐらいになります」
サクヤは口をとんがらせながらトウマと同じように防弾ベストを身に着けた。
部隊の準備が終わる頃になり、ハビエルが全員の前に立つ。
「諸君、今日こそ、この麻薬戦争に終止符を打つ。心してかかってくれ!」
その表情は力強いものだった。どこか自暴自棄な雰囲気を漂わせていた昨日までとは違い、その目は興奮を隠そうともしておらず、声には張りがあり、決意に満ち溢れていた。
ハビエルが出撃の号令を放ち、隊員たちが四台のトラックの荷台に次々と乗り込んでいく。
トウマは荷台に乗り込む直前にハビエルに声をかけた。
「ハビエル」
「なんだ」
「気をつけろよ」
友人の忠告にハビエルは無言で右の親指を上げ、先頭のトラックに乗り込み、それと同時にトラックのエンジンがうなりを上げ、警察署の車庫から飛び出ていく。
トラックの車列はまっすぐに港を目指す。港の途中にある市場まで差し掛かると、後方の二台が車列を離れた。市場のすぐ真横の倉庫が並ぶ地区が目的だ。組織の倉庫がここに存在していた。
ハビエルはサイドミラーで次第に距離を開けていくトラックを見送った。彼の目的地は更に先、港に停泊している大型船舶だ。ハビエルは深呼吸をして亡くなった子供の事を思い出しながら脇のホルスターに収まっている愛用の回胴式の拳銃の柄に触れた。
思えば、家族と離れてのここ数カ月の生活を支えたのは、この古びた愛用の拳銃だった。自分の手で直接ゲイリーを撃ち殺してやるという暗い決意が、ハビエルの折れそうな心を何度も奮い立たせていたのだ。
トラックが港に侵入する。目的の船舶が姿を現し、その距離が縮まっていく。
二台のトラックが船のすぐ近くに停止する。同時に突入の準備を済ませた隊員たちが飛び降りて、船に乗っている人間から見えない位置に張り付く。
ハビエルとグリムもトラックから降りる。グリムが隊員たちにハンドジェスチャーで侵入を指示、四名の隊員が装備していたロープを縦に振り回した。そのロープの先にはかぎ爪が装着されている。隊員たちが次々とかぎ爪を船の縁に向けて投げ、固定されたのを確認すると、ロープを上り始めた。
ハビエルはロープを上る隊員たちを見ると同時に船を見上げる。大きな貨物船だった。海面に浮いている部分だけで建物四階分はありそうだった。全長もとにかく長い。並みの貨物船の倍以上あることだけは確かだった。
探しても見つからないはずだとハビエルは思った。港に来る前にこの船についてざっと調べた結果分かったのは、今日がこの港での月に一度の寄港日であること、船舶の登録国籍が帝国のものではなく同盟国である共和国だったことだった。今日より以前にこの船を調べようとしても、国籍を理由に捜査を拒否され、調べることは難しかっただろう。根拠の点でいえば今現在でもそう変わらないが、エッグマンの情報を元にいくらかの不審な点は見つけられた。それを全面に出せばまったくの事実無根と捜査を突っぱねることは出来ない。
〈さあ、いよいよだ〉胸騒ぎを無視しながら、ハビエルはロープを手に取った。
トウマたちは、突入前に頭に叩き込んだ倉庫の見取り図を頼りに薄暗い倉庫内を突き進む。迅速に静かに動くその姿は、暗闇に潜み蠢く一つの影のようにも見える。
倉庫の中心に進むにつれ天井からぶら下がるランプが倉庫内を照らし始める。その明かりの中には大勢の男たちの姿があった。
突入部隊と共にトウマは物陰に身を潜めて様子をみる。ざっと見て人数は二十人前後で、トウマたちの倍の人数はいるが、こちらはプロフェッショナルばかりだ。後れを取ることはないだろう。
部隊の班長が全員に合図をする。それを確認した二名の隊員が〝閃光〟とラベルの貼られた小瓶を男たちの方へ投げ込んだ。瓶の割れる音と同時に一瞬の閃光が男たちの目を眩ませた。
そして隊員たちが姿を現して、男たちに銃を向ける。そうして男たちは制圧された、はずだった。
トウマの右側から拳銃の銃声が聞こえた。隊員の一人が倒れる。そちらを見ると二人の男が拳銃をこちらに向けていた。その銃口から白い煙が立ち上るのが見えた。トウマは視線を倒れた隊員に再度向ける。右の太ももを押さえて呻いている。すぐに手当てをしなければ失血死の危険があるだろう。
全身を巡る血液が熱く感じた。鼓動が早まり、世界がゆっくりと動く。次の瞬間、トウマは両手で構えたライフルの引き金を引いた。火薬の匂いが鼻腔をくすぐり、爆ぜる音と共に弾丸が銃口からまっすぐに飛び出し、右側の男の喉に吸い込まれる。血が噴き出し、仰向けにばたりと倒れた。トウマはすぐにトリガーガードを前にひねりコッキングする。ライフルの排莢口から薬莢が飛び出し、次弾が装填され、トウマに狙いをつけるもう一人の男にぴたりと狙いをつけ、再度引き金を引いた。この間、僅か〇.三秒の出来事だ!
二人目の男の胸に赤い染みができると、トウマは倒れた隊員に駆け寄り、その黒い防弾チョッキの襟を右手でつかみ、物陰へと引きずり始める。その間、態勢を立て直した男たちと、部隊の隊員たちの間で銃撃戦が始まった。
「援護してくれ!」負傷者を移動させながら、左手でライフルを持ち、敵に狙いをつける。弾丸が放たれるたびにトウマはライフルをスピンコックさせる。大人一人を引っ張りながらのこの行為は牽制以上の効果は望めない。だがそれで充分だ。トウマがライフルの弾丸を撃ち尽くす頃には、仲間の隊員が援護してくれたおかげで無事に隠れることができた。
「大丈夫ですかマスター!」サクヤは姿勢を低く保ちながらトウマに近づいた。
「思ったより敵の数は多いな」ライフルに新しい弾丸を装填しながら、トウマは呻いた。持たれていた木箱が弾丸に抉られる。
「どうします」
「頭下げてろ」そういうとトウマは物陰から飛び出した。ライフルを構え、敵に狙いをつける。引き金を引く。一人目が倒れる。レバーをコックする。更に引き金を引く。二人目が倒れる。更に続けて連射をする。十四人の敵が瞬く間に倒れていく。その間、わずか三秒!
トウマは身を翻し物陰へと移動する。これで敵の側面へと回り、攻撃する腹積もりなのだ。銃声を背に天井まで届きそうな棚の森を直進する。あとわずかで側面に到着するという時に男が姿を現す。この男もトウマとまったく同じことを考えていた。だが、先に行動を起こしたトウマに分がある。
トウマは走りながら引き金を引いた。肩に一発、左足に一発、男はたまらず倒れ込む。男の後を追いもう一人が姿を現す。トウマは引き金を引く。だが、弾丸が発射されることは無く、撃鉄のかちりと倒れる音だけが手に伝わる。トウマは男をライフルの柄で殴った。男は左に強く揺れたが持ち直す。男が完全に攻撃に移る前に、トウマはライフルを敵に押し付け、そのまま壁に叩きつけた。相手の肺から空気が逃げ出す。すぐに腰のホルスターから自動拳銃を引き抜くと、男の太ももを打ち抜いた。男が倒れる。トウマはそれを気配で感じながら、敵の側面に完全に回り込んだ。その左手にはポーチから取り出した〝衝撃〟とラベルされた瓶が握られていた。
トウマは瓶を敵の中心に投げ込むとすぐさま物陰に隠れる。衝撃が体を揺さぶる。そして銃撃の音が止んだ。注意深く様子を伺うと、敵は呻いているか気絶して、床に倒れていた。
更に注意深く残りの敵がいないか確認する。どうやら残っていた全員がグレネードの餌食になったようだ。
「こちらは制圧できた!」声を張り上げ、仲間たちに勝利を知らせる。それを聞いた仲間たちが影の中からそろそろと姿を現す。みんな警戒を緩めずに周囲を確認する。
「見事な手際だな」班の一時的なリーダーである副隊長が感心したような口ぶりでトウマに言った。声の感じは若いが覆面とヘルメット、それにゴーグルで、その要旨はうかがい知れない。
副隊長はトウマとサクヤにこれからどうするかを尋ねた。このまま警官隊が倉庫に到着するまで待機するか、副隊長たちとハビエルの援護に向かうかのどちらかだ。
「まあ…もちろん」後者だと言いかけた時、わずかな振動を感じた。それはトウマたちのいる位置の更に奥からきているようだった。その場の全員に緊張が走る。
「あたしが確認します」サクヤはショットガンを構え、振動の元を確かめるため、油断なく近くにあったランプで暗闇を照らした。その場には特注であろうコートを着せられた二メートルはありそうな肩幅の広い人形があるだけだった。
「何これ」サクヤの全身に悪寒が走る。
「避けろ!」
瞬間、人形かと思われたものが動き始めた。その動きは巨体に見合わず機敏で、砲弾のごとく、サクヤに向けてタックルを放った。
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