第13話 2章7話

 テーブルに置かれた手のひらサイズのクリスタルから、小さな人間の姿が映し出される。そのクリスタルは離れた場所にいる人同士が意思疎通を図るために利用されており、互いの姿だけでなく音声までも魔力に運ばれて交信することができる。


 そんな通信機の原理を不思議に思いながらゲイリーは通信機の向こう側の相手から報告を受けていた。

「お前からの連絡なんて珍しいな」そう言って、自分の顔を撫でる。冷静に振舞っているが、内心はこれ以上の面倒を恐れびくびくとしている。

「まずいことになった」通信の相手の声は焦っている様子だ。ざらざらとした質の悪い音声が彼の焦りを更に助長させ、ゲイリーの耳に届ける。

「お前がレッドをため込んでいる倉庫、それとお前のアジトの場所、全部ばれてるんだ」

「なんだと? どうしてそんなことが」

「知るか。ハビエルの奴がどこからか情報を持ち帰ってきやがった。とにかく早く何とかしなければ」通信の相手の姿がホログラムの左右にちらちらと見切れる。不安が態度に現れているようで、せわしなく歩き回っている。

「そんな! その情報をもみ消すのがお前の仕事だろうが‼」ゲイリーは声を上げ、汚らしく唾液を飛び散らせる。


「馬鹿が、今までは確定的な情報がなかったからなんとかもみ消してこられた。だがもう無理だ。これから俺たちはお前のアジトと倉庫にそれぞれ踏み込むだろう。捕まりたくなければ倉庫の中身を動かして身を潜めてろ」

「バカにするな俺を誰だと…、いや、いい。こうしよう、そのハビエル捜査官には俺のアジトに来てもらおう」

「何、いいのか?」相手にとってゲイリーの言葉は予想外のものだった。

「スポンサーからのプレゼントが余っていたんだ。有効活用してやる」ゲイリーは意気込んだ。

「そうか、なら反対はしない。だが、危なくなれば俺は手を引かせてもらう。それじゃあな。まあ、頑張れ」そう言うと、通信が終了された。


 光が消えたクリスタルを見つめながらゲイリーは拳を握る。「どいつもこいつも俺をバカにしやがって。ふざけるな、俺をだれだと、西都を取り仕切る麻薬王だぞ。どいつもこいつも。クソが、」身に余る地位からの転落を恐れるあまりに彼は最低の選択をした。それは西都にまもなく訪れる混乱の予兆を感じさせるものだった。



 



 ボロボロになった扉の閉まる音がハビエルの耳に届いた。酒場で倒れた後、彼はトウマたちに運ばれて、警察署へと戻ってきていた。


 ハビエルは重いまぶたを擦りながら目を開き、体をよじらせて頭側に位置する窓を見た。日はすっかり落ちている。体のあちこちが痛む、古いソファで寝ていたせいだろう。だが悪い気分ではなかった。


「目が覚めたか」ハビエルが休んでいた部屋の奥、古い給湯室のほうから野太い男の声が聞こえた。

「お前の友達から聞いたぞ、聞き込み先の酒場で酔ってギャングを撃ち殺しそうになったんだって?」喉を鳴らして笑いながらグリムはハビエルの目の前に置かれた低いテーブルにコーヒーの入ったカップを置くと、適当な椅子の一つにどかりと座りコーヒーをすすった。


「なあ、もしかしてだが、まだあの子供のことを気にしているのか」グリムは友人のブラウンの瞳をまっすぐに見つめて尋ねた。

 心の傷に触れる質問に、ハビエルは鼻から大きく深呼吸をして口を開く。

「そうだよ。未だにあの娘のことが頭から離れない。両手はあの小さな体の感触を覚えている。忘れようと思っても簡単じゃない」

「それはそうだろうな。なら、いっそしばらく仕事を休んだらどうだ? ずっと働いてばかりなんだ。数カ月、あるいはそれ以上でも、現場から離れた方がいい」大げさに両手を広げながらグリムが言う。

「むりだ。何年も捜査に携わってきた。今更、身を引くなんてことできるわけがない」

 だが、そんな友人の勧めもハビエルには響かない。口調こそ穏やかだが、彼はとても怒っていた。


「たかが子供一人のためにね…」グリムの言葉はハビエルの耳には届かなかった。

「しつこいのは良いが、無理だけはするなよ。これは友達としての心からの言葉だ」

「ああ、グリム、君も無理はするなよ。君に何かあったときは僕も助けになるよ」友人との語らいを終えたハビエルは、手元のコーヒーを飲み干すと立ち上がり、部屋を後にした。


 ハビエルの姿を見送ったグリムはため息をつき、天井を眺めた。彼は友人がこれ以上、危険な領域に足を踏み入れることがないように心の中で祈った。



 ハビエルが部屋から出て署のロビーまで向かうと、トウマとサクヤが人気の無い待合所でくつろいでいた。


「お、よく眠れたか」トウマは両足を背の低いテーブルに乗せながらソファーに身を預けている。その向かいのソファーではサクヤが靴を脱ぎ、あぐらをかいて、本を読みふけっていた。

「君らがここまで運んでくれたんだってね。迷惑をかけた。ありがとう」ハビエルは申し訳なさそうに頭を掻いた。

「まあ座れ」

 トウマに勧められ、ハビエルは一人用のソファーに座る。柔らかなクッションは、適切ではない体位での睡眠で強張った体を程よく解してくれた。


「それで、これからどうするんだ」トウマはテーブルから足を下し、ハビエルに向いた。その目はハビエルの一挙手一投足を見逃すまいとしている。

「うん、そうだな。エッグマンからの情報を信じるとして、二か所の捜査には今のままではとても人員が足りない。一番近い支部に援軍を要請するが、二日はかかる。それまでは情報の整理と捜査計画の検討をするしかないね」ハビエルはもどかしい気分で説明する。出来ることなら朝になり次第、仕事に取り掛かりたかった。

「それでトウマ、君たちには僕に同行してほしい。自分のチームを信用していないわけではないが、少しでも頭数は多い方がいいからね」


 トウマはゆっくりと頷き、サクヤは本を閉じて顔を上げる。

「質問いいですか」サクヤは授業で教師に質問するように右手をあげた。

「どうぞ」


「はい、あのハビエルさん。酒場で話していた子どもがどうのって話なんですけど」

 サクヤの質問にハビエルはどきりとした。つい先ほども自分のトラウマを刺激する会話があったばかりなのだ。正直なところ、「またか」と言いたい気分だった。


「サクヤ…」自身の友人に無礼な質問をした弟子を、トウマは咎めた。

 すかさずハビエルが問題ないとトウマを宥める。


「そう、だな。わざわざこちらから呼んでおいて、なにも説明しないなんて失礼な話だ。うん、そう、大丈夫」ハビエルは、半年間に渡る自身のトラウマの源泉について、ぽつりぽつりと語り出した。


「半年前になるか。あの時も港の倉庫に捜査の為、向かったんだ。いつもと同じ捜査のはずだった。違ったのは、その倉庫の小部屋に幼い子供が数人監禁されていた事だ。その中の年長の少女が、ちょうど僕の娘と同じくらいの体格でね。見つけた時には彼女は冷たい石の床に横たわって丸まっていたんだ。急いで救護を呼んだが、間に合わなかった」


 空気が重くなるのを感じる。何層も重なる忌まわしい記憶のページを、丁寧に、慎重に、呼び起こし、言葉に変換する。胃のあたりが重くなり、鼓動が速くなるのを感じつつも、構わず話し続ける。


「不思議に思うだろう? 何で倉庫に子供がいたのかって、僕もそうだった。捜査の後の調査で分かったんだが、その少女の中から麻薬を詰めた革袋が出てきたらしい。そうだ、奴らは子供を麻薬の運び屋に仕立てたんだ。その結果、一人の少女が死んだ。これから様々な経験ができただろうに、その機会は永遠に失われた」


「そんな…」サクヤは思わず言葉を漏らす。それは、彼女の人生にとって縁遠い世界の話だった。トウマに師事してからというもの、それなりの経験をしてきた。しかし、これは全くの未知だ。受け入れがたいほどの悪意が満ち満ちているのだ。


「それで、他の子どもたちはどうなったんですか」


「さあ、子どもたちは別のチームが担当することになったから詳しくは知らない。だけど、あのままでいるよりかは良い状況なのは間違いない」


 それを聞いてサクヤの落ち込んだ気分がわずかに楽になる。


「それから僕はよく眠れなくなった。家に帰っても、死んだ少女の事が常に頭の中心に居座り続ける。自分の娘を直視することも抱き上げることすらも出来なくなったんだ」ハビエルは、自身の震える両手を見つめ、握ったり閉じたり繰り返す。命を救えなかった無力感、家族に対する罪悪感がハビエルのトラウマをより強固にする。


「僕はどうすればいいんだ」両手で顔を覆い呻いた。ハビエルの心はひどく消耗している。


 トウマはソファーから立ち上がり、ハビエルの肩に触れた。「もう充分だ。お前の事情はよく分かった。今日はもう休もう」これ以上、友人の痛々しい姿を見続けるのは、いくらトウマといえど耐えられそうになかった。


「ありがとう」しばらくして、顔を伏せたままハビエルは言った。「悪い、少し一人にしてくれ」


 トウマはサクヤに目配せすると、黙ったままその場を離れた。そして、すっかり照明の落とされた待合所にハビエルだけが残り、しだいにすすり泣く声が聞こえてきた。




 警察署の外に出てすぐに、サクヤが口を開いた。

「マスター、ごめんなさい。あたし、あんな事になるなんて思わなかったの」ハビエルの苦しむ姿を思い出しながら、サクヤは肩を落とす。

「確かに軽率だった」

 トウマの言葉にサクヤはわずかに肩を震わせ、うつむく。どんな叱責も受けるつもりだった。しかし、そんな彼女の予想に反し、トウマはサクヤの頭をその大きな手で優しく撫でた。

「まあ、どうせお前が言わなくても、俺が聞いていたんだ。気にするな。次に生かせばいいさ」

「もう、子供扱いしないでください」そう言ってサクヤは頬を膨らませながら、トウマの手を握り、降ろさせた。態度こそ嫌がっているが、悪い気分ではなかった。悪いことをすれば叱り、良いことをすれば褒める。そんな普通の事が彼女にはたまらなく嬉しかった。


「さて、すこし何か食べてから今日は休もう」そう言ってトウマは、夜にも関わらず昼のごとく明るい歓楽街の方に向かって歩き出した。

「まってくださいよ、マスター!」サクヤもトウマを追いかけて走り出す。だが、彼女には一つだけ懸念があった。

「休むって、何処に泊まるんですかぁ⁉」夜の街に少女の声が鳴り響く。






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