第12話 2章6話

 西都の港湾エリア、そこの奥深く、貧民街の入口すぐに位置する大衆酒場に、ハビエルたちは足を運んだ。

 ハビエルは酒場の入口頭上に『バッドバッチ』と掲げられた今にも崩れ落ちそうな看板を見上げ、この酒場がかつては退役軍人のグループが集まる一種の互助会のように機能していたという話を思い出した。だが、そんなことは遥か昔。今では営業許可を取っているかも怪しい貧民街の住民や港湾労働者がたむろする大衆酒場となっている。地元警察の一部の連中にとってもちょっとしたオアシスらしい。


「本当に営業してるんですか?とんでもないぼろですね」店を人目見てサクヤが言った。

「サクヤちゃん。こういった地元で長く商売をしている店では色んな話が聞ける。覚えておくといい。それと、お腹が空いてるなら軽食でも頼んだらいい。なあ、マスター様?」ハビエルは冗談を言いながらトウマの背中を叩く。


 ハビエルは、意識を看板から酒場の入口に戻した。深呼吸をして胸を張り、気持ちを切り替える。場末の酒場で情報を得るには自信たっぷりな態度を心がけることが重要だ。侮られればその先には進めない。長い捜査官人生の中でハビエルが学んだ数多くの教訓の一つだった。


 ハビエルが歩き出す。その後ろをトウマとサクヤが続く。建物の古さに比べて新しい両開きの扉を押し開ける。扉は重いうえに建付けが悪く、力を込めて押す必要があった。


 店内に入るとまず正面に位置するカウンターが目に飛び込んできた。壁の棚には雑多に瓶や缶詰などが置かれている。店内は外よりは幾分まともだが、それでもかなりの苦難を乗り越えてきたことが分かるほどに傷んでおり、テーブルの表面は何かが突き刺さった跡やソースのシミで汚れているし、床は歩くたびに嫌な悲鳴を上げた。所々の壁には小さな穴が複数空いているのも確認できる。客はハビエルたち三人のみだ。港の仕事が終わる時間は、まだ一時間程あった。


「いらっしゃい」店の奥から不機嫌な声をさせながら恰幅の良い丸顔の熟年女性が姿が現した。ハビエル達がカウンターの席に座ると、女性が三人の目の前に移動してきてカウンターにもたれ掛かり、探るようにじろじろと見てくる。その視線にハビエルはむず痒い気分になった。


「失礼、少し話を聞かせてほしいんだが」なるべく声を低くしてハビエルは質問する。

 女性はその問いを無視して、カウンターの下からメニューを取り出し、三人によこした。

「ご注文は?」

「何? だから話を…」

「あんたまさか、酒場に来て話だけなんて言うんじゃないだろうね。三人分、何か注文しておくれ」

「なら水を。トウマ、君たちはどうする」

「俺も水をもらおう」

「あたしは水と特製サンドで」

 三人の注文を聞いた女性が厨房に引っ込んだ。


「そういえば、オリビアとエリータは元気か」女性が戻ってくるまで時間を潰そうとトウマはハビエルに家族の事を尋ねた。

「うん、まあね。元気にやってるよ」ハビエルは歯切れ悪く答え、懐から写真を取り出した。彼と彼の妻に娘が写った家族写真。それを見つめ軽く撫でる。その手がわずかに震えているのをトウマは見逃さなかった。


 三人が談笑していると女性が厨房から出てきた。右手に持った皿にはサクヤが注文した特製サンドが乗っている。女性はそのままサクヤの席に皿を置くと、背後の棚から酒の小瓶を二本にジュースの小瓶の計三本をカウンターに置き、手際よく瓶の王冠を外してから三人の前にそれぞれ置いた。


「はい、お嬢ちゃんはジュースね」女性は先ほどよりは幾分柔らかい態度で言った。

「水を頼んだはずなんだが」ハビエルは顔をしかめながら女性を咎めるように言った。

「ああ? さっきも言ったけどここは酒場。その酒だってここで一番弱いやつなんだ。水と大して変わらないよ。ぐだぐだ言わずに飲みな」女性は悪びれる様子もなく答える。その太々しい態度にハビエルは呆れた。


「まあ良いじゃないか。気に入らなければ飲まなければいい話だろう」

 トウマに宥められたハビエルは渋々ながら瓶に口をつけた。一口飲むと、口の中に爽やかな風味が広がる。女性の言うようにアルコールもかなり低いようで、本当に水の代わりになりそうなくらいだ。そのまま瓶の中身を半分ほど一気に飲んだハビエルは、ただ一言呟いた。

「うまい」ハビエルの言葉を聞いた女性も腕を組み満足そうに頷く。


 一息ついて仕切り直しをしたハビエルは、改めて女性に質問を始めた。

「ここにはよくエッグマンって奴がよく来ると聞いたんだが、本当ですか?」

「エッグマン。ああ、エドの事かい。それなら昔からよく来てたよ。偉くなった今も時々来てくれるね」

「いつ来るかなんかは?」

「さあね。あの子も忙しい。予定なんか知らないね」

「そうですか…」ハビエルはため息をついた。これではただ友達とその弟子と休憩をしただけだ。これからどこを調べればいいか、片端から強引に捜査を繰り返すべきなのか、エッグマンと交流のあるらしいこの酒場を中心に調査を行うべきか、長らく休養をとれていないハビエルの脳では判断が付かなかった。


「おや、噂をすれば」

 入口の扉が乱暴に開かれた。チンピラのような小男が扉を開けて背筋を伸ばし迎え入れるような姿勢をしている。そしてすぐに、その相手らしきスキンヘッドにスーツの男が店に入ってきた。背後には二人の護衛らしき男たちを引き連れている。その控えめながらも威圧感を纏った佇まいはどこからどう見ても、裏社会を住処にしている人間のものだ。


「俺を探しているのはあんたか?」スキンヘッドの男はハビエルをまっすぐに見つめ、言い放った。





 エッグマンは、お気に入りの高級なチェアに身を預けながら深いため息をついた。その姿を部下たちは黙って見守る。


「もう一度、その話を聞かせてくれるか、トーゴ」

 エッグマンの指示で、ギャングの中でも一番若いトーゴが幹部たちに対して話し始めた。


「今日の昼頃、港近くにある、うちの倉庫が警察の捜査を受けたんです。それで、ダムが捕まり、倉庫にあったものも残らず持っていかれたんです」

「どういうことだ? あそこの倉庫は今時期に使う場所ではないだろう。中身は空のはずだ」幹部の一人が疑問を呈する。

「それが、警察にいるいとこに聞いたら、レッドアイズが倉庫から没収されたってことらしいです」

「それはおかしい。うちはレッドアイズを扱っていないはずだ」

 エッグマンの右腕でありナンバー2のポンが指摘する。ポンは組織の在庫管理を担っており、彼がないというならば、それは紛れもない事実なのだ。少なくとも昨日までは。


「そうなんだが、ダムのやつが勝手にあの倉庫を貸してたようなんだ」

 エッグマンが身を乗り出して答える。

「あのばかが」別の幹部が吐き捨てた。

「それで、レッドアイズの持ち主は誰なんだ? まさか」自身の考えていることが杞憂であってほしい。そう考えながらポンは言う。

「そうだ。あの倉庫にあったものは、全てゲイリーの物だ」


 エッグマンは立ち上がり、トーゴの後を引き継ぎながら事態がどれほどまずい状況なのか幹部たちに説明する。先ほどまでの気だるげだが冷静な声は、徐々に怒りと熱気を帯び始める。

「おそらく、ダムに金でも握らせてレッドアイズを倉庫に置かせたんだろう。そこまでは良い。問題は、よりにもよって何故あの倉庫が狙われたかだ。今までなら捜査の前に何かしらの情報があったはずだ。だが、今回はそれがなかった! 妙だと思わないか? 奴は以前から俺たちを邪魔だと思っていた。警察に垂れ込んだとしても不思議じゃない!」

 エッグマンの根拠もなく筋も通らない推理に、幹部たちはただ困惑するばかりだ。


「落ち着けよ、ボス。それが事実だとして奴になんの得がある」ポンが宥めるように尋ねる。この状態のエッグマンを鎮められるのは、この場には彼しかいない。


「あいつは小物だ。大物ぶろうが性根は簡単に変えられない。目的は俺たちを吸収することだ。どうせ、そう時間を置かずに商品の弁償をしろと難癖をつけてくるだろう」エッグマンの我慢は限界にまで達していた。これまで格下として甘んじてきた。だが、そろそろ世代交代の時が近づいてきている。

 彼の脳は激しく回転し、革命の計画を考え始めていた。直接出向き始末するか? ノー。護衛がいるだろう、すぐに取り囲まれて殺されるのは目に見えている。では、組織の全力をあげて全面抗争に持ち込むのはどうだろうか? これもノーだ。ゲイリーの組織はエッグマンの組織よりも大規模で、正面から戦えば全滅を免れないだろう。

 必要な駒が足りなかった。一つの都市を支配するほどの犯罪者に対しても臆することなく立ち向かい、どれだけ無駄骨になろうとも折れず、歩みを止めることのない狂戦士。そんな夢のような存在が、何にも増して求められている。しかし、そんな人間がいるとは思えない。いたとしても既にこの世にはいないだろう。だが万が一にも今この港町にいたとしたら?


 エッグマンが思案していると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。扉のすぐ近くに立っていた。幹部が扉を開ける。相手は組織の下っ端の若い男だ。下っ端は会議を邪魔したことを詫びてから、扉を開けた幹部に耳打ちをした。ほんの数秒でそれは終わり、幹部は扉を閉めるとエッグマンに言った。

「ママの酒場に麻薬捜査官がきてるらしい」


 その時、エッグマンに電撃のような衝撃と共に天啓が下った。

「今すぐにそいつに会いにいくぞ」




  

 二人の男が睨みあう。片や帝国に所属し治安維持に努める善良な捜査官。片や秩序の隙間から零れ落ちた者たちを守るために悪をなす善良な犯罪者。互いの視線が交わるその瞬間、目の前の男が交わることのない水と油であることを同時に理解した。


 エッグマンはハビエルの隣の席に座ると、店の店主である女性に少しの間だけ店を閉めるように頼んだ。

 女性は先ほどハビエルとトウマに出したものと同様の酒をエッグマンに渡すと、店の入り口の立て看板に準備中の札をかけてから、店の奥に引っ込んだ。


「ここの酒は口に合うかい?」酒をあおりながらエッグマンはハビエルに尋ねる。

「まあ、悪くない。ところで、あんたは何者だ」

「おたくが会いたがっていた奴だ」エッグマンは、にやりと笑いながら更に酒をあおる。


 ハビエルは押し黙ったまま、エッグマンをじろりと睨む。この男はどこから自分がここにいることを知ったのだろうか、誰にも行き先は告げていないはずなのに何故、と訝しんだ。


「そんな怖い顔をするな。ここでは警察より俺たちのような裏の人間の方が色々知ってるんだ」エッグマンはあくまで友好的に接するつもりのようだ。「今日は提案があって来た」

「提案?」

「そうだ。勘違いでなければあんたはゲイリーのことを牢屋にぶちこもうとしている」

「ああ」ハビエルは静かに肯定する。「それが君に何の関係があるというんだ」馴れ馴れしいともいえるエッグマンの態度とは対照的に、ハビエルは頑なに敵対的な態度を崩さない。ハビエルにとって、目の前の男も数多くの仇の一人に変わりない。際限なく悪魔を生産、拡散する愚にもつかない連中。それが彼のゲイリー以下犯罪者たちに対する現在の認識だ。


「単刀直入に言おう。俺ならゲイリーの逮捕に協力できる」

「具体的には?」ここでハビエルは初めてまともに話を聞く気になり、エッグマンの方に体の向きを変えた。

「ゲイリーが商品をため込んでいる倉庫、奴の金の流れに関する書類、奴の居所等々、様々なことだ」

「はんっ、どうせゲイリーがいなくなったらその後釜に収まるつもりなんだろう」

「どこの世界でも世代交代は避けられないことだ。それに俺ならもっと懸命にやれる」

「ほざいてろ。何が世代交代だ。なにが協力だ。お前たちはクズだ。どれだけ高いスーツに身を包んで、金に囲まれていようと所詮はごみ溜めを這いまわるだけのドブネズミ。それがお前たち悪党だ。あの子たちだって…」

「あのこたち?」ハビエルの流れるような罵倒を聞き流していたエッグマンだが、最後の一言に疑問を感じた。

「それは一体、」どういうことかとエッグマンが言い終わる前に、ハビエルの肩に大きくごつごつとした手が置かれた。


「おい刑事さん、その態度はなんだ」岩のような護衛の男がハビエルに凄んだ。ボスを罵倒されたことで頭に血が上っているようだ。

 エッグマンはすぐさま手を挙げて、止めるように指示する。だがすでに手遅れだった。


 ハビエルは、肩に置かれた手を掴むとそのまま引っ張り、大男のバランスを崩した。さらに服の襟をつかみながら体をカウンターに叩きつける。大男は呻き声を漏らす。腕は背中にぴたりと添うように極められている。ハビエルは脇のホルスターから拳銃を引き抜き、叩きつけた男のこめかみに銃口を押し付けた。

 すぐさま他の護衛が拳銃を取り出し、ハビエルに向ける。

「止めておけ」トウマが護衛たちの方を向き言った。彼の手にも拳銃が握られている。

 サクヤは特製サンドを両手に持ち、もぐもぐと口を動かしながらその様子を見守っている。


「そいつを離せ!」護衛の一人が怒鳴る。

「まずはそっちが銃を下ろせ」負けじとトウマも声を張り上げる。

「止めろ‼ お前たち、銃を下すんだ。あんたらも。何か気に障ったなら謝る。だから話を聞いてくれ」

「交渉などできるとおもっているのか⁉ ふざけやがって、お前ら全員捕まえてやる」ハビエルは目を血走らせながら叫んだ。それはあまりにも冷静さを欠いた行動だった。何が彼にギャングに対してここまで敵対的な行動を取らせるのか。その答えをすぐにその場の全員が知ることとなる。

 

 ハビエルは急に立ち上がり、拳銃をエッグマンに向け、叫ぶ。濃いクマの出来た彼の眼に涙が浮かぶ。

「何度でも言ってやる。どれだけ取り繕ったとしても、子供を麻薬の運び屋に仕立てるような連中を信用できるわけがない‼」

 言葉を失う。その場の全員の視線がハビエルに向き、続いてエッグマンへと向いた。

「子供を? そんなこと知らないぞ⁉」エッグマンは眉間に皺を寄せ否定する。声には動揺が見られる。だがそれは、子供を麻薬売買に利用するという、自身には想定外の行為への純粋な驚き、そしてそれを行った者がいるということに対する嫌悪感による心からの言葉だった。

「とぼけるな‼」ハビエルは拳銃を突き出し吠える。数カ月に渡る不眠とわずかな量の酒により、彼の胸の中で暴れていた嵐をせき止める壁は決壊した。そう、彼は酒に弱いのだ。

「もういいだろ、落ち着け」トウマは銃を護衛たちに向けたままハビエルに近づき、彼の銃に手を添えて降ろさせた。そして、カウンターに顔をつけたまま呻く男を開放する。


「俺たちはもう消える。あんたらとこれ以上話すのは良くないからな」

 トウマの言葉にエッグマンも頷き肯定する。

「それがいい。お詫びにこれを置いていくから、今日の事はお互い水に流そう」エッグマンは懐から手のひらサイズのメモ書きを取り出すと、ハビエルに差し出した。

 ハビエルは震える手でおそるおそるメモをつまみ上げ、ジャケットのポケットに乱暴に突っ込み、右手に握られた拳銃を振り、店の入り口から出ていくように示した。


 エッグマンはハビエルたちから目を離すことなく、部下たちと共に酒場から出ていく。

 彼らの気配が消えて数分が経ち、ようやくハビエルは拳銃を下した。呼吸は荒く、視界はぼやける。額には汗が浮かんで、立っているのがつらくなってきた。そしてついには右手から愛用の拳銃が零れ落ち、彼は古くごつごつとした木の床に倒れ込み、意識を失った。


 

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