第11話 2章5話

 麻薬王ゲイリーは震えていた。目の前に座る仮面の男の言いようのない恐ろしい雰囲気に今にも呑み込まれそうだった。男の身に纏う派手な赤いローブと極度の緊張に、目がちかちかとしてくる。


 そして男の背後には二メートル以上ありそうな護衛の大男が二人立っており、二人とも揃いのコートにハットを目深にかぶっている。大男たちは、コートの上から分かるほどに筋肉が発達していた。先ほどから一言も発することもなく、人間らしさがまるで感じられない。


「そんなに黙り込むことはないだろう。私も早く終わらせたいんだ」男は来客用の高級ソファーにふんぞり返りながら言った。この様子を見たら誰もが、この場所の主は赤ローブの仮面の男だと口を揃えて言うだろう。


「本当に今回の事は申し訳ないと思っています。本当です」ゲイリーは自身を大物に見せようと取り繕う暇もなく繰り返した。

「最近は随分と売り上げが落ち込んでいるようだね。それに加えて警察なんかに摘発もされてるとか」仮面の男はつまらなそうに話す。「いや。別に怒っているわけではない」男は急に立ち上がりゲイリーの座る椅子に近づき、肘置きに手を置いて覆いかぶさる形になる。「ただ、アレも安いものではない。我々としても西都で期待した収入が得られないとなれば、撤退するしかない。もちろん!君への援助も打ち切りになる」穏やかな声色だったかと思えば、次の瞬間には浮ついたような大声になったりと、男の態度は安定しない。


 そんな気の触れた道化師の言葉にゲイリーは目を逸らすこともできずに固まる。彼の現在の地位は仮面の男の組織によってもたらされたものだった。彼らのおかげで、ケチなチンピラだったゲイリーは、一夜にして麻薬王となったのだ。しかしそのスポンサーが撤退をちらつかせている。そうなればゲイリーは良くて元のチンピラに、あるいはもっと悪いことになることは間違いない。


「待ってください!必ず、必ず、金の目途をつけます。六日、いえ、三日で何とかします!」ゲイリーはみっともなく縋る。「西都にやって来た麻薬捜査官。そいつを何とかできれば、他はどうとでもなります」

 仮面の男は、渋々ながらゲイリーの提案を受け入れた。

「今日はこれで失礼するよ」仮面の男はソファーから立ち上がり出口に向かう。そして扉の両側に立つ護衛の大男たちの肩を叩きながら言った。

「疑うわけではないが、彼らを置いていく。荒事には滅法強いから役に立つだろう。それでは、頑張って」仮面の男は手を振りながら部屋から出て行った。後には、ゲイリーと、男の残した二体の筋肉人形が残るだけだった。


 レッドアイズ。新種の薬物はそう呼ばれていた。数カ月前、どこからともなく登場したそれは、従来の商品よりも少ない量で推定三倍の効果が得られ、そのかわりに、精製には長い時間が必要で材料は不明の怪しい代物だった。


「それが今、西都の中流階級を中心に蔓延している」ハビエルは苦い顔をしながら説明した。

 トウマは、管理局の特殊部隊が倉庫に踏み込むのを、トラックにもたれかかり眺めながら、ハビエルの話を整理する。

「聞いているか?」

「ん、ああ」

「ならいいんだ。この後、捕まえた連中を尋問する。まあ、連中は口が堅いからあまり期待は出来ないがね」ハビエルは眉間に皺を寄せて重苦しく言った。

「よく言うよ。尋問においては右にでる者なしのくせに」トウマは、友人の言葉をからかった。


 トウマたちが話していると、特殊部隊の制服に身を包んだグリムが近づいてきた。それを見たハビエルは食い気味にグリムに捜査の結果を確認した。

「落ち着け。まず、死傷者はなし。倉庫内にいた奴らも大人しく捕まった」グリムは淡々と報告する。「それと、レッドアイズの入ったコンテナを複数押収。大体二百キロほどと思われる」

「ありがとうグリム。尋問は僕がしていいかな」

「かまわないが、はっきり言ってここにいた連中は雑魚ばかりだ。役に立つ情報を知っているとは思えないが」グリムが不満そうに言った。

「構わない。まあ、一番偉そうなやつを選んで話を聞くさ」軽口を吐くハビエルだが、その心中は穏やかではなかった。



 警察署の暗い地下にあるじめじめとしてかび臭い取調室に男はいた。地面に固定された脚の長さが不揃いでガタついている椅子に自身の足を繋がれた男は、部屋をぐるりと見渡す。目の前には木製の机、それの四本の脚も地面にしっかりと固定されている。右手の壁には、長方形の鏡が埋め込まれている。男は経験から、その鏡が向こう側からこちらが見える特殊な鏡であることを知っていた。


 取調室の重い鉄の扉が耳障りな音を響かせながら押し開かれる。そして、左手に分厚いファイルを抱えたハビエルが入って来た。ハビエルはゆっくりと、靴の足音がよく響くように意識しながら、ゆっくりと机に近づく。


「はじめまして。楽にしてくれ、ダム。僕は捜査官のハビエル。よろしく」ハビエルはファイルを机に置き、ダムの向かいに置かれた椅子に座った。その椅子もダムの椅子と同じく固定されている。

「では、さっそく聞かせてもらいたい。まずは名前から」ファイルを開き資料を取り出して、質問を始めた。


 ダムはすぐには質問には答えない。品定めするようにハビエルを上から下まで観察して、ようやく口を開いた。

「名前はダム」ダムは唸るように答える。

「ダム。君はゲイリーの麻薬倉庫を管理する倉庫番の一人だ。そうだね?」ハビエルが更に質問する。

「ふざけんな。そもそも、あそこはゲイリーさんの倉庫じゃない。うちらのだ。それを貸してただけだ」ダムは自分が所属する組織を間違えられたのがよっぽど気に入らなかったのか、早口で内容を訂正する。

「なら君らの組織の事を教えてくれ」ハビエルは、目の前の青年の予想以上の口の軽さに内心驚きながらも、話の先を促した。上手く誘導されていることにも気づかずにダムは次へ次へと話をつづける。


「俺たちのボスはエッグマンだ。名前ぐらい聞いたことあるだろう」

「いや、あいにく弱小ギャングに構ってる時間はなくてね」その言葉は事実とは異なる。実際はゲイリー逮捕の為の周辺調査で何度も調べたことがあった。貧民街の若者を中心に、わずか数年で大きく躍進した新参の組織で、ボスのエドワードは中々のやり手だと、ハビエルたち管理局の人間には認識していた。


「お前ら警察にはわからないだろうが。あの人はめちゃくちゃ凄いんだ。強いし、頭がいい。腹を減らした連中に飯だって食わせてやるんだ」

 話が脱線を始めた。好き勝手に喋らせすぎたようだ。ハビエルはすかさず軌道修正を試みた。


「そのボスが凄いことはよくわかった。そろそろ本題に入ろう。レッドアイズのことだ」レッドアイズ。その名前を聞いた途端、ついさっきまで饒舌に話していたダムが口を閉じた。

「レッドアイズ。鮮やかな赤い結晶の状態で売買され、使用することで極度の幸福感が得られ、痛みに強くなる。だが、効果は短い。離脱症状は通常の麻薬よりも重度。それに命を落とす危険も高い」ハビエルは手元の資料に書かれた文章を読み上げながら、ダムの表情を伺った。その顔は焦りと恐怖に支配されている。


「レッドのことなんて俺は知らない。そもそも、あそこに運び込まれたコンテナの中身なんて聞いてもいなかったんだ。ただ、ゲイリーさんのところの連中が、」そこまで言うと、ダムはまた黙った。

「どうした。ゲイリーの組織の人間がなんだ?」

「これ以上は何も話さない。絶対だ」

「なら、君のボス。エッグマンに話を聞いてみようか」

 ハビエルの言葉を聞いた途端、ダムは声を張り上げた。

「それはだめだ! ボスに聞くのは絶対に。絶対だめだ」ダムは焦っていた。


 ハビエルはダムの様子を見て直感した。この男は、自身のボスであるエッグマンに、あの倉庫の事を知らせていないに違いない。恐らくは小遣い稼ぎ程度の感覚であの倉庫をゲイリーに貸していたのだろう。倉庫に運び込まれていたものが、巨万の富と混沌を生み出す、呪われた赤いダイヤであることも知らずに。


「さっきからこちらの質問には何一つ答えない!少しは協力したらどうだ!」ハビエルは拳を机に叩きつけ強気に出た。「なあ、せめて君のボスに合わせて事情を聞かせてくれ。大丈夫、君の事はうまく言っておく。そうすれば、君は今日一日ベッドのある牢屋で過ごせて、明日の朝にはここからおさらばだ。悪い話じゃないだろう?」


 ダムはハビエルの提案を受け入れるか、髪を掻きながらしばらく考え、そして口を開いた。

「港のすぐ近くにある酒場、そこはうちの縄張りで、メンバーもよく出入りしてる」

「名前は?」

「名前は、名前は、バッドバッチ」ダムは力なく答え、うなだれた。

 ハビエルはここが限界だと判断した。これ以上何を聞いても期待する答えは得られないだろう。ハビエルは鏡を見て、肩をすくめた。



「サクヤ、お前はあの男からこれ以上何か聞けると思うか?」マジックミラー越しに尋問の様子を見ていたトウマは、隣で尋問を見学していたサクヤに話しかけた。

 意見を求められると思っていなかったサクヤは、顎に手を当てわずかに考え込む。「いや、それはないと思います。恐らく彼は知らなかった。聞くなら更に上、話に出てきていたエッグマンを尋問した方がいいと思います」サクヤはためらいがちに考えを述べた。意見一つ言うにも緊張する。少しでも師匠に認められたいという思いと、答えを間違えたらどうしようという二つの気持ちが混ざったそんな緊張だった。

「そうだな。本命に逃げられる危険もあるが、今すぐに動ける選択肢はそれくらいだろう」トウマは満足げに頷き、それを見てサクヤは心の中で喜びの叫びをあげる。

 部屋の扉が開きハビエルが入って来た。「二人とも、食事でもどうかな」その言葉がそのままの意味ではないことは、トウマだけでなくサクヤにもわかっていた。



  

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