第10話 2章4話
ハビエルは絶叫と共に飛び起きた。呼吸は荒く、心臓が悲鳴を上げている。
ハビエルの顔が月明かりで照らされた。のっそりと体を起こし、ベッドから抜け出した。床頭台に置かれた時計を見ると、針がちょうど午前二時を指していた。
眠い目をこすりながら、左手には度数の強い蒸留酒の入ったデキャンタを、右手にはグラスを持ち、窓際に置かれた革張りのチェアに勢いよく座った。グラスに酒を注ぎながら月を眺める。
酒を一口飲み、喉から胃がジワリと熱くなる。うまくも無い酒をあおりながら、窓際に置かれた写真立てを手に取り眺めた。写真にはハビエルと妻のオリイ娘のエリータが、仲睦まじい姿で写っていた。
ハビエルは深いため息を吐きながら、写真に写る妻と娘を指で軽く撫でた。
半年前の事件以来、ハビエルは不眠症に悩まされており、長くても二時間しか眠れない日々が続いていた。
別居してそろそろ四カ月がたつ頃だとハビエルは思った。最初に別居の話を切り出したのは自分からだっただろうか。離れて暮らすことを伝えた時のエリータの泣き顔がはっきりと思い出せる。
少しでも目を休めようとまぶたを閉じる。こうすることで少しでも楽になれば良いと思いながらグラスを傾けた。
海、全ての命の出発点にして荒ぶる母。しかし幸いなことに、この日は晴天に恵まれ、波は落ち着き、穏やかで美しい海だった。潮風に混ざる油と汗の臭い。巨大な貨物船の数々。無機質なコンテナの群れ。そんな貿易のための港が見える丘の上の駅から、彼らはやって来た。
「思ってたのと違う‼」サクヤは、昨日急いで購入した観光ガイド本に記載された情報と現実との著しい差に、つい否定の叫びをあげた。
「急にどうした?」トウマは、弟子の奇行に困惑しながら肩の強張った筋肉をほぐす。
「だってマスター(師匠)、この本に載ってることと全然違うんですよ⁉」
「うるさいな。ちょっと見せてみろ。……あのなあ、俺たちは仕事で来てるんだぞ。こんなリゾート地に行くわけないだろ」トウマは本をサクヤに返した。
「そんなぁ、昨日から楽しみにしてたのに」サクヤは肩を落としため息をついた。どうやら、トウマが西都のどこに行くのかまでしっかりと伝えなかった為に、現在の貿易が主なエリアではなく、旅行者で常にごった返す観光エリアに行くのだと早とちりしていたらしい。サクヤが更に深くため息をつく。その落ち込みようは、まるで主人に叱られた犬のようだった。
「あっと、そうだな。今回の仕事が早く終われば、もしかしたら少しは観光できるかもしれないな」
意気消沈したサクヤを慰めようと、トウマは歯切れ悪く提案した。それを耳にしたサクヤの顔が明るくなる。トウマは現金な弟子を見て、やれやれと首を振る。だが、呆れたような素振りとは裏腹に、その口はわずかににやけていた。トウマは、それをサクヤに見られないように口元を手で隠す。
人となりをあまり知らない者は、トウマを厳しく冷血な男だと思いがちだ。だがその実、彼は竜騎士の中でもかなり甘く、人間らしい性格が残っていた。それにも関わらず誤解されるのは、感情を隠すのがうまい自身の顔に原因があるのではないかと、トウマは考えていた。
「それで、どこに行くんですか?」サクヤは先ほどの態度が嘘のように目を輝かせ、トウマに聞いた。
「そうだな。まずは警察署に向かおう。ここから西の地区に行けばいいみたいだ」
二人は、駅を出てすぐの広場に設置された地図の刻まれたオブジェに従い、目的地に向けて歩き出した。
三十分後、二人は警察署にたどり着いた。
サクヤは、道中の商店街で買った薄い使い捨て皿に三個ずつ二列に並んだ小さく丸い軽食を頬張りながら警察署の外観を眺めた。
警察署の外観は、道中に見た建物と似たようなレンガ作りの建物だが、それらよりもかなり古いようで、壁のあちこちにあるひび割れが目立っていた。
「マスター、このタコ焼きってやつ美味しいですよ。特にこの上にかかってる茶色いソースが。いくらでも食べられそう。マスターも一つどうです」
「いやいい。それ苦手なんだよ、俺」
「もったいない」
サクヤが食べ終わると、二人は警察署の正面玄関から中に入った。
中に入ってすぐのロビーでは、警察官や事務員が忙しそうに右往左往していた。トウマは用件を伝えようと通り過ぎる人に声をかけるが、いずれも、お待ちくださいというばかりで、一向に進まない。
しびれを切らしたトウマは強引に事務員らしき若い男性を呼び止めて、なんとか、彼らをここに呼び出した人物に自分たちの存在を連絡するように伝えることができた。
ハビエルは、デスクに置かれた冷めきったコーヒーをすすりながら報告書と格闘していた。何カ月もまともに眠れない状態での書類仕事は、一種の拷問と言ってもいいかもしれないとハビエルは思った。書類から少しでも目を逸らそうと、壁に掛けられた時計を見る。
〈早く来てくれ。そしてここから解放してくれ〉約束の時間は二十分過ぎている。普段ならあまり気にしないが、今回は別だった。
「ミスターハビエル。お客さんが来てますよ」ハビエルの祈りが天に届いたのではないかという程にちょうど良いタイミングで、警官が声を掛けてきた。
ハビエルは書類を引き出しにしまうと、ジャケットを羽織りながらいそいそとロビーへと向かった。
「やあ、よく来てくれたなトウマ!」
サクヤがトウマとロビーで待っていると、茶色いジャケットを着た男性がやって来た。
男の見た目は中肉中背で、ウェーブのかかった黒髪にブラウンのたれ目、上唇には控えめに口髭が乗っていた。警察関係者というには少し軟派そうな見た目だとサクヤは思った。
「久しぶりだな、ハビエル」トウマとハビエルは固い握手とハグを交わした。
「君はちっとも変わらないな。竜騎士は年をとらないって噂は、あながち嘘でもないらしい」ハビエルは古い切り傷のある鼻をこすりながら言った。
「そんなことはないさ。普通より少し老けるのが遅いくらいだ。そういうお前は大分忙しいみたいだな」トウマは、自分の目の下を指す。ハビエルも同じよう自分の顔に触れる。そこには、もう何日も寝ていないであろうことが容易に想像できる深いクマが刻まれていた。
「大丈夫なのか、ハビエル?」トウマは友人の様子を心配する声を掛ける。
「ああ、問題ない。まったくな。さあオフィスまで行こう」ハビエルはトウマの心配をはぐらかし、オフィスへと案内する。
「僕のことばかりじゃなく、君の事も聞きたいな。そちらのお嬢さんを紹介してくれないか」歩きながらハビエルはこれ以上自身の事を聞かれないように話題を変えた。トウマも深く追求するようなことはしなかった。
「この娘はサクヤ。俺の弟子だ。社会勉強のために同行させたんだ。まずかったか?」
「いや、問題ないよ。だが君も弟子をとるようになったとは驚きだ。よろしく、サクヤちゃん。ハビエルだ」
「よろしくです、ハビエルさん。サクヤと呼んでください」サクヤはなるべく胸を張り、挨拶した。
「背伸びしたい年頃なんでね。なるべく大人のように扱ってやってくれ」トウマはサクヤの頭を軽くたたきながら言った。サクヤは子供扱いを嫌がる子供のように払った。
「なるほどね。君と相性がよさそうだ」
うす暗い廊下を進み、建物の奥の方にあるかび臭いオフィスにトウマたちは案内された。オフィスもまたうす暗く、光取り窓から差し込む光で空気中に舞う埃がよく見える。広さは中々のものだが、無造作に置かれた旅行鞄や書類の数々や、ボロボロのソファーやテーブルのせいで、窮屈な印象を抱く。ハビエルの同僚と思わしき捜査員たちは、こんな部屋の様子にも慣れてしまったのだろう。気にせずに仮眠をとるか、カードゲームをしているか、何かしらで暇を潰していた。
「これは、なんというか、その、趣のある部屋だな」トウマは出来る限り言葉を選んだ。国の捜査機関が使用しているとは思えないようなみすぼらしい部屋に、トウマは逆に感心した。
「さあ座ってくれ」ハビエルが背もたれの無い丸椅子に座りながら、二人にソファーを進める。
二人はボロボロになったソファーにゆっくりと座った。体重を移動させるたびにぎしぎしと嫌な音をたてる。
「何か飲み物を持ってこようか」そう言ってハビエルが立ち上がろうとすると、トウマが引き留めた。
「待ってくれ、飲み物は良い。それよりも何で俺を呼んだ」
ハビエルは髪を掻き上げながらため息をつき、話し始めた。
「帝国調査管理局の僕たちのチームは、この西都を牛耳る麻薬王ゲイリーの逮捕を目指しているんだ」
「ゲイリー。たしか麻薬だけでなく様々な悪事を取り扱う裏社会の大物だったか」
「そんなところだ。帝国中を回って奴の足取りを追った。そしてようやく、奴の活動拠点がここ西都を中心にしていることが判明したんだ。それで少しでも頼りになる援軍が欲しいと思ってね。旧友に連絡したんだ」
トウマはハビエルの話を聞きながら頷く。納得はいかない所もあるが、突拍子もないとは言えなかった。
「それで、なにを手伝えばいい」
「ああそれは…」
その時、部屋に革のジャケットを着た大男、管理局特殊部隊の隊長グリムが入って来た。グリムはまっすぐにハビエルへと近づいてきた。
「グリム、いいところに。昔の知り合いのトウマとその相棒だ」
グリムはトウマたちをじろりと見る。青い大きな目は、トウマたちを値踏みするようにつま先から頭頂部まで眺めると、二人に手を差し出した。
「グリムだ。チームの突入部隊の隊長をやっている」
「よろしく」トウマは座った姿勢のまま握手をした。
「よろしくお願いします」サクヤは立ち上がり両手で握手をした。
「ハビエル、ちょっといいか」グリムがハビエルに耳打ちする。
「ゲイリーの麻薬倉庫が見つかった」
その知らせを聞いたハビエルの顔が引き締まった。そしてトウマたちを見る。
「さっそく手伝ってもらう事ができたようだ。ついてきてくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます