第9話 2章3話
帝都
帝国の名誉ある戦士である竜騎士と竜騎兵。人間を凌駕する膂力、体力、異能。それらは、偉大なる龍たちから、太古からの契約により借り受けた力だった。
思考し自律する超兵器とも評される彼らだが、それ故に、そこに至るまでの道は狭く厳しい。
竜騎士あるいは竜騎兵を目指す候補生たちは、日々訓練を積み、拝領の日を待っていた。
帝都にある竜騎士の養成施設の一つ、その中の数ある修練場の一つで、サクヤは現在進行形で組み手を行っていた。
今回は成人男性の身長ほどの長さの棒を使用した棒術の訓練で、相手は同期のアレクセイ。彼とは色々あったが、今では良き友人だ。
「両者、前へ」サクヤが師事する竜騎士、そのパートナーであるカレンが今回の教官だった。
二人は礼をして棒を構える。足をじりじりと広げ、素足に畳の刺激が伝わる。
「はじめ」カレンの合図で二人は同時に踏み出した。互いに突き出した棒が交差し競り合う。アレクセイがすぐさま棒を回転させ、右足を払うためにやや下向きで横に振る。
サクヤは棒の畳側の先端を突き立て、なんなく防ぐ。アレクセイが一歩下がり構えなおす。サクヤが助走をつけて飛び掛かり棒を突き出すが、弾かれた。すぐに体勢を立て直しさらに突く。それをアレクセイが抑えつけ、再び競り合う。互いに相手を押し、わずかに隙が生まれると同時に勢いよく振った。固い木材同士がぶつかり、心地よい音を響かせる。ぶつかり合いは一度に留まらず何度も続いた。
サクヤの身長は大体一六〇センチで帝国の女性としては平均より少し低いくらいだ。といっても、サクヤは十七歳でまだまだ伸び代があると言えるだろう。対してアレクセイは同年齢の男性で、身長はサクヤよりも二十は上だ。筋力と体格の面から、サクヤが不利だと言える。
サクヤが打ち合いにほんの少しの疲れを見せる。アレクセイはそれを見逃さず、サクヤの棒を絡めとり、その腕から奪った。アレクセイは勝ちを確信したのか、わずかに口角を上げる。
だが、サクヤはすぐに身を低くしてアレクセイの下半身に突進した。その動きを全く想定していなかったアレクセイはサクヤと共に畳に転がった。サクヤはアレクセイの体に巻き付き、激しい抵抗も物ともせず、マウントポジションをとり、アレクセイの顔面に拳をお見舞いしようと、振り下ろした、その時。
「両者、そこまで!」アレクセイの顔面に拳が叩き込まれる寸前で、カレンが決着を告げた。
サクヤとアレクセイは立ち上がり、畳の両端にそれぞれ戻り、礼をした。礼に始まり礼に終わる。最初に教えられたことだ。
組み手が終わり、カレンが講評のために近づいてくる。サクヤとアレクセイは、気をつけの姿勢をとった。
「楽にしてください。二人ともお疲れ様です。ではさっそく。まずはアレクセイ。あなたはサクヤの手から武器を奪いました。見事です。ですが、そこで油断してしまったのはよくなかった。実戦で相手は武器がないだけで負けてわくれません。要改善ですね。次にサクヤ、あなたはやはりスタミナに不安があります。当然といえば当然ですが、体格差のある相手には一歩劣る。しかし、武器を失った時に瞬時に懐に潜り込んだのは良い判断と言えるでしょう。では、これにて解散です」二人が敬礼した。カレンが修練場から出る際には、周りで観戦していた他の候補生たちも敬礼し、見送った。
「今日こそは勝てるとおもったんだけどな」アレクセイは顔をタオルで拭きながら言った。
「ふふん、でも武器をとられた時は負けると思ったわ。次は危ないかも」
「わざとらしい世辞はやめてくれ。わっ、」アレクセイは顔を背けた。サクヤが運動着の胸元を引っ張り扇ぐたびに、胸がちらちらと姿を覗かせていたからだ。二人の身長差を考えると、サクヤの顔を見て話そうとすれば嫌でもアレクセイの眼に飛び込んでくる。彼にとっては大変な毒だろう。
「何、照れてるの?さっきまではあんな近くでも大丈夫だった癖に」
「それとこれとは別なんだよ」アレクセイは顔を背けたまま修練場を後にする。耳が赤くなっているのが後ろ姿からも分かった。
訓練が終わり、サクヤは汗を洗い流そうとシャワールームに向かった。他の女性訓練生も同様に詰めかけている。
サクヤは素早く運動着を脱ぎ、壁に備え付けられ、ずらりと並んだシャワーの一つを使用した。目の前のハンドルを捻り、熱いお湯をその全身に浴びる。サクヤは訓練後のこの時間がとても心地よく感じた。
体を洗っているとシャワールームの奥の方から、黄色い声が聞こえてきた。そちらを見ると、カレンがシャワーを終えて上がろうとする姿を見た他の訓練生たちが嬉しい悲鳴を上げているところだった。
サクヤの後ろをカレンが通りすぎる。それをサクヤは横目でちらりと見た。同性であるサクヤから見ても、カレンの肉体は惚れ惚れするほどに美しく引き締まっており、同期の誰かが、大昔の彫像のようだ。と言っていたがあながち的外れではないだろうとサクヤは思った。
「カレン教官って本当にきれいよね」隣でシャワーを浴びている同期のイスルカがサクヤに話しかけてきた。
「サクヤが羨ましい。だってあのカレン教官たちと一緒にあちこちで事件の解決ができるんでしょう。私だったら嬉しくて気絶しちゃいそう」イスルカは自分で自分を抱きしめながらくねくねとする。
「そんなもんなの?あたしにはよく分からないな」サクヤはそう言いながらも、ほんの少しだけ優越感を感じた。
シャワーを終え、シャワールームから外に出る。サクヤの体を生ぬるい風が包み、火照った体を適度に冷やしてくれる。
今日は午後からは休みだ。せっかくなので街を散策しようかとサクヤは思案する。そこにカレンがやって来た。
「カレンさん。先ほどの訓練はありがとうございました。何か忘れ物ですか?」
「ええ。トウマから、あなたに言伝を頼まれていたのを思い出しましてね」
「へえ?」
「明日の朝に、西都に行くから支度をしておくように。だそうです」
「゛え」サクヤの口から変な声が出た。候補生の間では、師匠の仕事に同行することは、訓練で学べる以上の事を学べるとあって憧れの対象の一つなのだが、それでも用意の時間が半日もないというのは、急すぎる話だった。
「もう。マスターったら、いつもそうなんだから」サクヤは口をとんがらせて言った。
「彼の悪い癖ですね。私も直すのは諦めました」カレンは他人事のようにクスクスと笑う。
サクヤは宿舎の自分の部屋に戻り、ベッドに寝そべりながら明日の事を考えた。
〈西都かあ。てことは!海が見られるかもしれないってこと⁉〉
サクヤは山と森に囲まれた土地で育ったため、海というものを見たことがなかった。未知のものに出会えるかもしれない興奮で、サクヤはベッドの上で何度も悶え転げた。
「ただいま」ハビエルは帰宅を告げながら玄関の扉を閉めた。
「パパ、お帰りなさい!」今年で十歳になるエリータが出迎え、飛びつく。
「愛しのお姫様。元気にしてたかな?」エリータを抱き上げ、その頬をくすぐりながら尋ねた。
「うん!今日は学校で絵を描いたの。後で見せてあげる!」
「そうか、夕食後が楽しみだ」
リビングの方から妻の声がする。
「エリータ、パパは疲れてるんだから休ませてあげて」
「良いんだよオリイ。パパはいつだって元気だもんな、エリー」リビングに向かうとエリータを下して、ジャケットとワイシャツを脱ぎ捨て動きやすい服に着替えた。
「良いにおいだ」
夕食はシチューのようだった。つい先ほどまで火にかけられていたらしく、まだぐつぐつと音を立てている。湯気に乗ったシチューの香りが鼻腔を刺激し、胃が早くよこせと大声で要求する。
「さあさあ二人とも、早く手を洗って」ハビエルとエリータは元気よく返事をして洗面所に向かった。
二人が食卓につく頃には、オリイが三人分の器にシチューをよそっておいてくれた。
「それじゃあ、いただきます」ハビエルは、スプーンでシチューを掬った。とろみの強くついたシチューが、具材のニンジンやイモによく絡む。
「エリー、パンをひとつ取ってくれるか」エリータの小さな両手がパンを二つ取り、一方をハビエルに渡した。
パンを千切り、シチューに浸して食べる。パンの風味と混ざったシチューはまた違った味わいで、いくらでも食べられそうだった。
夕食がおわり、ハビエルはリビングのソファーに身を預ける。
「パパ、これ見て!」エリータが丸めた画用紙を持って駆け寄ってきた。帰宅した時に言っていた絵に違いない。
ハビエルは画用紙を受け取り、両手で広げた。
「へえ、港に社会科見学でも行ったのかな?これは、、ああ分かった、倉庫だ」〈やめろ〉「なぁ、エリー、この子はどうして横になってるんだ?」〈だめだ〉
「それはね」
「それは?」
「あなたが助けてくれなかったから」
背筋が寒くなるほどに冷たい声だった。愛する娘は、目を逸らしていた一瞬のうちに得体の知れない何かに変わってしまったようだった。ハビエルは否定しようとした。だが、その口は糊を塗ったようにぴったりと閉じ、どれだけ動かしても開くことはなかった。
「もっと早く来てくれれば、助かったのに」少女は恨み言を言い続け、目や口などの顔中の穴から赤い血を流した。
「私は苦しみながら死んだ。痛かった。苦しかった。どうして私だけ‼」
〈許してくれ。全部、全部、僕が悪いんだ〉少女の絶叫の中、ハビエルはただ謝り続ける。彼の罪悪感が作り上げた少女は、彼が望み続ける限りたっぷりといつまでも、彼を苛み続けた。
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