真夜中の悪夢退治

葵月詞菜

真夜中の悪夢退治

 真夜中、ふと目覚める。

 まだ目を開けていないが、何モノかが俺の顔を覗き込んでいる気配がする。

 今日も来やがったのか。

 このまま寝たふりをしたところで、いずれ叩き起こされる未来が待っている。

 俺はわざと時間をかけてゆっくりと瞼を押し開いた。

 願わくばそこにアイツがいないでくれと祈りながら――ああダメだ、やっぱりいやがった。


 こちらを覗き込んでいたのは、小型犬だった。――もちろんうちの飼い犬なんかじゃない。

 瞬きのしない円らな黒い瞳がじっとこちらを見ている。そして、俺の胸の上に飛び乗って来た。ふわふわの体は軽い。だって中身は綿だもんな。


『さあ今日も行くぞ!』


 ぽむぽむと柔らかい前足に頬を殴られる。全然痛くない。

 それでも俺は観念して、ふうと息を吐きながら全身から力を抜いた。

 ゆっくりと上半身を起こす。ふわり、と体が軽い。後ろを振り返ると、布団の上に横たわっている俺の実体がそこにあった。

 つまり、今の俺は霊体のようなイメージをしてもらうのが分かりやすい。


『行くぞ、行くぞ!』


 小型犬は尻尾を振りながら、窓の方へ走って行く。俺もその後を追って、窓から外へ出た。

 屋根の上にそっと降り立つと、ひんやりとした空気が身体を包む――というより通り抜けていく。

 ぽっかりと浮かんだ月の下には寝静まった家々が並んでいた。ちらほらと電気が点いているところもあり、お疲れ様です、と心の中でそっと呟いた。


 小型犬が屋根伝いにるんるんと走り出す。俺もその後を追いかけて走り出した。

 真夜中に他人様の家の屋根の上を走るなんて、とんでもなく怪しい行動だと思う。今までの経験からしてこの謎の状況――そうとう無理矢理に言って犬の散歩?――は、他人の目には映っていないようで、その点だけが安心できた。


『あそこだ、あそこ』


 小型犬の声が頭の中に響いてくる。俺は前方に目を凝らした。

 黒い屋根の上に、大きく手を振っている人影が見えた。今日はあそこか。


『助けに来たぞ!』


 小型犬が人影の前で止まった。

 実際に助けるのは俺なんだがな、と心のなかでぼやきながら俺も立ち止まって人影を見た。

 俺と同じく実体ではない中学生くらいの男の子が、今にも泣きそうな顔で俺たちを見つめている。


「どうしたんだ?」

「化け物に襲われるんだ……!」

「化け物?」

『今日は化け物退治だな!』


 小型犬が妙にるんるんしてこちらを見上げて来る。何でそんなに楽しそうなんだ。退治するのは俺なんだろ?


「でも待て、俺は武器は何も持っていないぞ」


 一応、言ってみる。小型犬は黒い円らな瞳でこちらを見上げたまま、軽く小首を傾げた。


『武器なんてなくてもいけるだろ?』

「ええ~前もそんなこと言って、俺結構苦労したんですけど」

『でもどうにかなっただろ!』

んです~」


 俺の言い分を小型犬はスルーして、中学生の男の子に向き直った。


『部屋に案内してくれ』

「はい!」

「ええ~本当に行くのかあ。武器は~?」

『適当に編み出せ!』

「そんな無茶な」


 今までそんなことをしたこともなければ、そもそも教えられたこともない。

 俺のがっくりアピールも華麗に無視され、小型犬は男の子に先導されて窓から部屋に入った。俺も渋々その後に続く。

 男の子の部屋の端に置いてあるベッドの上に、男の子の実体が眠っていた。ただ、眉間に皺を寄せて断続的に唸っている。


『行くぞ!』


 だから何でそんなに楽しそうなんだ。大好物の餌を前にした時の犬みたいに、小型犬は男の子の実体にぽすんと激突して行った。

 当たった反動で宙を舞うと同時に、男の子から暗紫色の靄が解き放たれた。俺は素早く小型犬を掴まえて引き寄せる。


『もっと優しく掴め!』

「ぬいぐるみで良かったな」


 いつものお決まりのやりとりを済ませ、俺は部屋の中で渦巻く靄を見つめた。

 それはやがて巨大などろどろとした化け物の姿に変わる。あれがさっき男の言っていた化け物か。


「……いや、あれどうやって退治するの?」

『とりあえず殴るか!』


 ああ、それ俺が、だよね? 小型犬は「早く行け行け」と言わんばかりに俺の腕を叩いてくる。全然痛くないけど。

 俺は一つ息を吐いて、ダメ元で覚悟を決めて巨体に突っ込んだ。一撃で仕留める如く力いっぱい拳を突き出して。


 拳は見事に巨体の胸の辺りにヒットした。そして、巨体は呻きながら倒れた。――ウソだろ? これで終わりなのか?

 足元では小型犬が大喜びで走り回っている。何て調子の良い犬だ。

 巨体はほろほろと崩れ、靄が消えて行く。あっという間に部屋の中に渦巻いていた靄はなくなってしまった。

 屋根の上から部屋まで案内してくれた男の子がベッドの前に立って、こちらに頭を下げていた。


「ありがとうございます。これでぐっすり寝れます!」

「ああ、良かったな」


 それが以外に何が言えるだろう。俺は「じゃあ」と片手を上げ、再び窓から退出した。


「……あのさあ、これ、俺にとってどんなメリットがあるわけ?」


 まだ興奮しているのか、元気に足元を走り回っている小型犬に訊いてみる。


『ストレス発散だ!』

「いや、こんな真夜中にストレス発散しなくて良くない? しかも他人の悪夢解消とか何で俺がしないといけないの?」

『さあな! 私の気分だ!』


 小型犬の言うことは全くもって意味が分からない。

 たまたま選ばれてしまった俺は本当に不運だなと思う。これで俺の実体が良い夢を見ていてくれたらいいのだが。


『さあ、次に行くか!』

「え、まさかの二本立て!」


 さあ、今宵の悪夢退治はまだまだ終わらない。


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真夜中の悪夢退治 葵月詞菜 @kotosa3

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