真夜中の戦い

@chauchau

愛妻弁当は緑一食


 目の前の一点に精神を全て集中させる。一瞬のズレも許されない精密さが求められるんだ。


 音が変わった。

 本当に微妙な変化だ。だが、この変化こそ終わりへのカウントダウンである。あと少し、あと少し、もう少し……。


 いまだッ!!


 ヤカンを持ち上げる。

 お湯が沸いたことを告げる猛々しい叫びが寝ている彼女を起こす前に、俺は無事熱湯を手に入れることができた。


 ……、勝ったな。

 難関はお湯が沸くまでの話だ。ここから先は消化試合と言っても問題がないほど簡単だ。

 お湯を注ぎ、三分待てば出来上がる。ああ、待ち遠しいったらありゃしない。駄目だと言われて止められるわけがないじゃないか。真夜中に食べるカップラーメンという名の悪行を。

 美味しい物は身体に悪いように出来ている。それが何だと言うのか。節制して長生きすることがそれほど大切か? たった一食のゆるみすら許されないというのなら、それは人間ではなくロボットだ。俺はロボットではなく、人間として人生を謳歌すると決めている。


 鼻歌を口ずさみたくなるのを我慢する。

 簡単だとはいったが、危険がないわけじゃない。用心はしすぎたほうが良いんだ。


 醤油、味噌、塩、カレー。

 どれもが捨てがたく。だが、カレーは駄目だ。臭いがきつく証拠隠滅が出来ない。きみのことは大好きだが、諦めてくれ。

 と、なればここは塩にしよう。なんとなく臭いが一番しない気がする。気がするだけであって根拠はないけど。


「いざ」


「良い度胸だな」


「……」


 聞こえるはずのない声がした。

 そうか。これが幻聴というものか。


「手にしているものをおろせ」


 見えるはずのない姿まで見えてきた。

 なるほど。これが幻視というものか。


「許してけろぉ、許してけろぉ……ッ」


「踏んでほしいと?」


 渾身の土下座も通じない。絶対零度の視線が声と共に振り下ろされる。暖房をつけていないことを考慮しても部屋の中で感じてはいけないほどの冷気だ。

 部屋に明かりがつく。夜目に慣れた瞳が悲鳴をあげる。だが、鬼と化した嫁の登場に俺のほうが悲鳴をあげたい。


「ダイエット」


「でも」


「おなかたぷんたぷん」


「ですが」


「小遣いカット」


「そこをなんとかぁ!」


 次の日。

 会社にて、俺と同じように真夜中の戦いに敗北した仲間たちが集い、何も考えずに昼飯にカップラーメンを食べる新卒くんに、噛み締めて食べろよと肩を叩く光景が繰り広げられることになる。

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