天国と地獄

不幸な出来事の中でなぐさめとなるような幸運。

どんなに小さな事でも、偶然起きた事でもいい。

そんな幸せを見つようとする。感じようとする。

『不幸中の幸い』とは人生を楽しもうとする人間に多く訪れるのだろう。



「やばい、間に合わないかも」


時間が僕のライバルになった。

「まだまだ余裕あるよ」と彼は優しかったのだが、赤タンクとの勝負に1時間近くも費やしてしまったせいで、今では最大のライバルだ。


僕は家のドアを勢いよく開け、ただいまも言わずにリビングに直行する。


「ニャー、ニャー」

ジャックがいつものようにスリスリ攻撃を繰り出してきた。


「早くいつもみたいに撫でるニャー」


普段ジムから帰ると、かわいい声を出しながらスリスリしてくるので、どうしても逆らえずジャックを撫でてしまう。

それがいつの間にか僕らの日常の一部となっていたのだ。


「今日もかわいいなぁ」とか「また撫でてほしいんだね?」とか普段は優しく声をかけながら、長い日は30分くらい撫でたりもするが、今は訳が違う。


「今日だけは頼むからやめてくれ!マジに時間がやばいんだよ」そうジャックに伝えるが、言葉が通じない。


「どこぞの猫型ロボットは言葉が通じるのに」そんな事を思いながら、翻訳こんにゃくが欲しいと小学生ぶりに思った。


「撫でろニャー、撫でろニャー」

そんな雰囲気でスリスリ攻撃をやめてくれない。


「しょうがねーな」僕は仕方なくジャックを撫で始めた。


「こんな事になるなら赤タンクとの勝負なんて受けるんじゃなかったな」とジムでは、さも大親友との友情を確かめ合うかのように笑顔を送り合ったが、集中すると時間も忘れてしまう僕の性格のせいで彼との友情は、今の心境では一旦破綻している。


現在7時55分。


イベントの当日券を購入する為に余裕をもって現地に到着するには、8時40分発の電車に乗り込まないといけない。


「駅まで家から歩いて10分くらいだから、タイムリミットは残り大体30分か」


ミッション風にこの状況を捉え、この時間を楽しもうと試みたが、相変わらず時間は待ってくれない。


少ししてジャックとの楽しい時間がようやく終わった。


僕の脳内で運動会のリレーでよく使われる『天国と地獄』が流れ始めた。


リレーさながら風呂場へと小走りで向かうと、ジャックも一緒になって風呂場まで付いてくる。

ジャックは風呂ふたの上でごろーんと横になり、僕の方を見ながら「今日は忙しそうだニャー」と言わんばかりの顔でリラックスし始めた。


僕は眉間にしわを寄せ、強い視線をジャックに送りつけながら、風呂場に入り、さっとシャワーを浴びて、3分でお風呂場にジャックを置き去りにしてやった。


その後すぐに髪を乾かし、普段は節約してほとんどワックスを付けないが、今日は普段の三倍くらいの量を手に取り、髪の毛に塗りたくる。


「これならいいでしょう」

僕の心の中の審判がGOサインをだしてくれるまで少し時間が掛かったが、なんとかOKが出た。


現在8時15分。


校庭のトラックを最短で回るように部屋に戻り、お気に入りのシャツを取り出そうとタンスを開けたが、今日着る予定のお気に入りのシャツが見当たらない。


『天国と地獄』が倍速で脳内を走り回る。


洗面所まで全力で戻り、洗濯機を開けて中を覗き込むと、ぽわーんと素晴らしいかほりが全身を包み込んだ。


昨日の晩、洗い立てを着ていこうと洗濯したのはいいが、すっかり干すのを忘れてしまっていた。


「なんでこうゆう時間がない時に限って。。。」

前日に迷わないように、服装を決めていたのにその計画が台無しとなってしまった。


「やっべー、服装どうしよ。。」僕は部屋までの間に思考を巡らせるがいい案は出ず、もう考えている時間がないのでタンスの中を見渡し、目につく服を着る事に決めた。


僕はタンスからおもむろに服たち取り出し、素早く一通り着飾る。


念のため鏡をみると、全然期待していなかったが、昨日考えていた服装よりなんだかんだでいい感じにまとまっている。


黄褐色のタートルネックに、スリムテーパードのチノパン、春らしいパステルイエローのジャケットを選んだが、春らしくさわやかな恰好だ。


「こうなることを見越してわざと、シャツを干さなかったんだよな」

「不幸中の幸いという講義があったら、ぜひ講師をしてやりたいね」


失敗しても都合がいい解釈をして、嬉しい気持ちに持っていければ、それは立派な不幸中の幸いになるのだ。


脳内で天国と地獄は永遠に流れ続ける。


僕はそのままリレーの最終コーナーをクリアし、ゴールへ向かう。

玄関で革靴の紐を強く締め、僕は家の扉というゴールテープを切った。



現時刻8時35分。



家の周りは畑や田んぼが広がり、農家のおばちゃんが腰を曲げて作業をしている姿を見ると落ち着くし、僕の好きな景色だ。

駅に向かうと、少しずつ景色が自然から人工物に代わっていき、自然の豊かな土地から都会もどきへと変わるので少し悲しい気持ちになる。都会の良さも分かるがやはり田舎が一番だ。


僕は先ほどゴールしたばかりなのだが、次のレースに続けて出場しなければならない。運動会なら僕は人気者だろうが、現実は最悪の状況だ。


時計を確認すると、脳内で流れる曲がまた倍速になった。


僕は現在、猛ダッシュ中で絶賛ライバルとレースをしている。


駅近くまでようやく来たが、人が多い。


「今だけみんな止まってくれ、当たったらすいませーん」


障害物競走の容量で上手くかわしながら、ゴールを目指す。

駅の偽ゴールテープをくぐり、僕はとにかく急いだ。



「プシューーーゥ。。」

電車のドアが閉まった。


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