ツッコミ

午前10時になり、店内から握手会スタッフのような風貌の男が二人出てきた。

「HMVスターバックスご利用の方はご入館できます。イベントの方はもうしばらくお待ちください。」

スタッフは大きい声で僕たちに声掛けをして、また店内に戻っていった。


どうやらMODIのお店がすべて10時から開店するわけではなく、スターバックスだけが10時からオープンするらしい。


ライバルたちはスタッフの呼びかけで、臨戦態勢に入るように、座っていた人は立ち、立っていた人も入り口に吸い寄せられているかのように前に少しずつ進んでいる。僕も一番後ろではあるが、少しだけ入り口に近づいた。


10分後スタッフが戻ってきてイベントの説明を始める。

「本日のイベントは抽選で当たり外れが決まりますので、早く並んで頂いても意味がございません。10時20分から抽選を開始するのでこちらにお並びください。」そう言って広場の左奥にコーンで仕切りを作って、横3列になるように列の整理を始めた。


「よかった」

先着順ではなく抽選でイベントに参加できるかどうかが決まるという公平な選び方に僕は一安心した。


「私は絶対に握手するわ」と言わんばかりの意気込みを見せていた先頭の女性は少し残念そうにしていたが、いちファンである僕らに抽選方法を選択する権利はないので彼女には運がなかったのだろう。


僕は逆に運がある。このまま抽選も当たっちゃうんじゃないかと調子に乗れるほど平常心を取り戻していた。


僕たちを綺麗に整列させ、列の一番後ろには「イベントはこちらが最後尾となります」という看板を持ったスタッフが立っている。

並んでいる人数を数えると30人ほどになっていた。

男は1人、女29人という非合理的な黄金比率だ。


僕は中途半端に前に出てしまったせいで真ん中位に並ばされていて、満員電車に詰められて、自由に身動きが取れないような窮屈さを感じながら時間が来る事を待っていた。


そしてスタッフが再び声掛けをする。

「本日のイベント、みっこさんのイベントにご参加の方はこちらまでお並びください」


「ん?」

「みっこさん?聞き間違いか」


僕はやはり平常心じゃないのだろう。

今日の握手会の主役はみっこという人でない。

もし仮にあだ名だとしても「み」も「こ」も入っていないのにあだ名として採用するわけがないのだ。


少しこの列に違和感を感じたが、相変わらず身動きが取れないので「落ち着け落ち着け」と自分に言い聞かして、深呼吸をしてもう一度スタッフが声掛けをするのを待つことにした。


「本日のみっこさんとのトークイベントに参加の方はこちらです。もうすぐで締め切りです」しばらくしてからスタッフは大きな声ではっきりとそう言った。



「いや、みっこって誰やねん!!!」



僕は心の中で腕を大きく振りかぶり芸人顔負けのツッコミをスタッフとみっこにも入れた。


念のため、スタッフが近くを通った時に「すいません。誰のイベントでしたっけ?」と確認をすると「みっこさんですよ」と笑顔で答えてくれた。


僕はみっこさんという方のトークイベントの列に、男一人で恥ずかしさと気まずさを訳も分からず、無駄に抱えて戦ってしまっていたのだ。


みっこさんという方を存じ上げなくて申し訳がないが、きっと若い女性を中心に人気がある方なのだろう。ライバルいや、元ライバルたちからの視線がおかしかったのもこれで説明が付く。


「すいません。列から抜けます」僕は肩を小さくして満員電車から抜け出し、一旦その場から離れようと道路を挟んで反対側にある映画館の下に逃げた。


僕はすぐに携帯を取り出し、もう一度握手会の詳細を隅々まで見直した。

よく見るとMHV&BOOKSのレジにて販売中と小さく記載があった。

これはしっかり確認していなかった僕が悪いなと反省せざる負えない。


だが少し言い訳させてもらうと最初にスタッフが言った「HMVスターバックスはご入館できます」という言い方は田舎者には特に分かりずらかったのではないだろうか。


MHVとスターバックスを離さずに言っていたし、渋谷ならではのお洒落なスターバックスがあるものだと勘違いしてしまったではないか。


「せめてMHVとスターバックスの2つはオープンです」という言い方をしてくれれば恥ずかしい思いをせずにいられたのになと愚痴をこぼしたくもなる。


その後、MODIの入り口に戻り、先ほど抜けた元ライバルたちの横を通り、MODIの中へ列を振り返る事なく、入店した。


6階、MHV&BOOKSに着き、もしかしたらもうなくなってしまっているかもしれないと思いながらレジに向かった。


「カレンダーまだありますか?」店員に確認をすると朝一から当日券を買いに来たのはまだ誰もいないとの事だった。


冷静に考えれば、ちゃんとしたファンは当日券を焦って買わずに、前売り券を買うに決まっている。僕のような中途半端にファンになったような人間だけが当日に焦って買いに来るのだ。

僕は何とかカレンダーと握手会の当日券を手に入れる事に成功した。


外に出て、まだ並んでいる元ライバルたちを見て、

みっこさんを知らなかった事、ツッコミを入れてしまった事に心の中で深くお辞儀をした。



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