第28話 仕事は仕事、ゲームはゲーム

私はアイドル衣装を着込み、楽屋で自分の顔が映る鏡を見続ける。見慣れたアイドル姿の私が映っていて、化粧で見栄えをさらに可愛くした顔なのになんの感情も抱くことがなかった。


「リアルはリアルで面倒くさいなぁ」


化粧台にうつ伏せて何もかも頭を空っぽにしてゆっくりと目を閉じる。


「こーら。折角の化粧が台無しになるぞ」


私はうつ伏せながら顔を横に向ける。つり目に赤いメガネをかけて、男勝りな雰囲気のポニーテールの女性が鏡に映る。


「疲れてるんです。少しくらい休ませてください、マネージャー」


マネージャーはため息をついて、ズレたメガネをくいっと上げた。


「疲れてるんだったら化粧台でうつ伏せになんな」


「布団ないんですもん」


「衣装に皺とか埃がついたらまずいからな。置いてないのは当然だ」


「じゃあ脱ぐんで布団敷いてください」


「下着で寝るアイドルって斬新な。マスコミとかが飛びつきそうなネタなのは間違いない」


「どうせ見つからなきゃバレないんです。この前のケーキだって、マネージャーとばったり会わなければバレなかったんです」


マネージャーは手に持っていたタブレットをスライドさせて羅列に並ぶ文章に目を通して、口を開く。


「体重は規定内だから別に文句はない。多少増えたことには目をつぶる」


「マネージャーが甘いものでも食べてリラックスしなさいって言ったから食べたんです」


「根に持つな。あれはちょっとした冗談のつもりだったんだが」


「冗談ならもっとマシなものにしてください」


「じゃあ、今後のスケジュール予定を倍に増やすがいいか?」


「死にます。やめてくださいお願いします」


「冗談なんだが」


「マネージャーの冗談は全然冗談に聞こえないんです」


「それはすまないな。私の冗談は上司も本気にしちまうから困ったもんだ」


「自覚あるんだったら二度としないでください」


私は上半身を起こし、眉をひそめて肩頬を膨らます。マネージャーは近くにあった椅子に手をかけて近くに引き寄せて座る。


「さてと。ここに来たのは次の打ち合わせの件で少し話があってな」


「顔合わせとかそういうのでしょう。どうせ私がいなくてもマネージャーが話を通してくれますよね」


「えらく不機嫌だな。またあの時の事件がぶり返ったか?」


「してません。もう過去のことです」


「ならなんだっての? 言っとくが言葉にしなきゃ伝わらないことだってあるからな」


「気にしなくていいです。些細なことですから」


「まぁ仕事に影響しないなら別に気にしないが」


マネージャーはタブレットを綾香に渡して話を続ける。


「今回の共演する出演者の顔と名前だ。覚えておいて損はないから見ておけ」


私はタブレットをスライドしてじっーと眺める。


「覚えておかないと次に共演した時に影響するでしょう」


「否定はしない。まぁとりあえず笹川のできる範囲で覚えていけ。あ、それと前にやったゲーム会社の広報から依頼がきてる。笹川はこれっぽちもそれに興味ないだろうが、内容くらい確認しとけよ」


マネージャーは手を振って「そろそろリハだから準備しなよ」と一言いって出ていった。

私はタブレットを操作してスケジュールを見る。


「うわぁ、これしばらくログイン無理じゃん」


早くても二週間……いや、頑張れば隙間時間の合間にできそうだけど、あのゲーム機を持ってきて、バレたら後々面倒になりそうだ。まぁそもそも撮影やら取材やらライブやらで家に帰ること自体しばらく出来ないので、持ってくるのは無理なのだけど。


「FFO、公式っと」


私は自分のスマホでFFOの公式サイトを調べる。白と黒を基調に見やすいUIと幼狐のキャラがFFOのページを彩る。イベントと書かれたUIを押して、Newとついた告知に目を通した。


「え、クランイベント開催って……」


ゆっくりと顔から血の気が引いて綾香はスマホを見つめる。画面をスクロールさせて何かないかと探し続けるが、一向に顔に血色が戻らない。


「残り6日で終了……?」


間に合わない。

どんなに頑張ってもイベントに参加できない。

どうすることも出来ない現状に私はスマホを握りしめて俯いた。


「ゲームだから遊べなくても別に問題ないよね」


そうあれはゲーム。リアルとは違う遊びの世界。だから遊ばなくても何らリアルに影響はない。そう、たとえリンゴ達とイベントを遊んだ思い出さえなくてもリアルに影響はないのだから。


「……そろそろ、行こう」


チクッと胸が痛みながらもスマホを鞄にしまい、タブレットを持って楽屋を立ち去った。



◆◆◆◆



「カット! 笹川さん、もう少し自然な笑顔でポーズしてください!」


カメラマンが苦笑いを浮かべて私に近づいてくる。


「笹川さん、もっとこんな感じで笑っていただければ」


カメラマンは人差し指で口元を釣り上げて全力の笑顔を作る。しかし、カメラマンの笑顔は性犯罪者一歩手前のおじさんが作る不気味な笑顔そのものだった。


「何度もリテイクすみません」


「いえいえ、時間はまだありますので気負わず表情筋を柔らかして自然体をつくってください」


私はスタジオに飾られた時計の針をチラッと見て、ニコッと笑顔を取り繕う。


「はい。全力で頑張らせていただきます」


それから何十回とリテイクが続いて結局いい絵が取れることはなく、どんどんと時間が過ぎていって、終わった頃にはカメラマンは渋い顔をして出ていったのを頭から離れなかった。





私度々時計を何度も見ても一分ようやく過ぎたと場面が多くなった。休憩中はスマホを触ってため息をついては閉じて開いての繰り返し。そのうちスマホが壊れても文句はいえない。


「あと32時間……」


祈っても変わらないというのに無意味に手を握り続ける。


「こーら。スマホ弄りすぎだぞ」


突然肩を叩かれて肩がビクッと跳ね上がった。視線を後ろに移すといつものマネージャーがムスッとした顔で私を見ていた。


「そろそろ休憩終わるぞ」


「……はい」


私は鞄にスマホをしまって、とぼとぼとスタジオ歩いていく。


「笹川、ちょい待ちな」


「なんですか?」


「疲れてないか?」


「別になんとも。こんなの慣れっこです」


「そう。ならいいんだが」


「…………」


私は何も言えずスタジオで繕った笑顔で本番を迎えた。





あれから何時間が過ぎたのか。スマホも時計も見ていないからはっきりと分からない。

スケジュールで何となく分かるけど、気にしなくなっていた。


「これでよしっと」


いつもの日常が戻ってきた。

人を元気づけるアイドルとしての日常。これが私にとっての普通の一日。


「笹川、今日の予定だが」


マネージャーが紙袋をぶら下げて楽屋に入ってくる。


「はい! 伊藤貴裕いとうたかひろさん、夏川真樹なつかわまきさん、加藤陸かとうりくさん、大町晴人おおまちはるひとさん、七瀬透ななせとおるさん、古谷怜央ふるたにれおさん、河野光輝こうのこうきさんと打ち上げですね!」


「……おい、笹川」


「なんですか? マネージャー」


笑顔を作る綾香にマネージャーは顔をしかめて声のトーンを低く口にする。


「お前、無理してるだろ」


「……どうしてそう思うんですか?」


「ここ六日間、時計やスマホを見てはため息ついて今日に限ってはやたら愛想よく振舞って、しかも私の言うことを文句一つ言わずに聞く。はっきりいって悪寒がしてこっちは調子狂ってるんだ」


綾香は目を丸くしてマネージャーを視界から外した。


「まさか。いつも通りです」


「本当にそう思うなら鏡見てみろ」


私は言われるまま鏡を見るとそこに映っていたのは目が笑っていない精巧に作られた人形のようだった。


「どうし……て」


マネージャーは両肩を優しく掴んで鏡の私を見つめる。


「お前は努力家だし、思いやりがあるし、何事にも熱心になれるし、それに才能もある。だが、そんな人間ほど自分の気持ちを押し殺すことが多い」


何も言えなくなって黙っているとマネージャーはトンと肩を叩いて扉の方に向かう。


「言葉にせず行動しないなら何も変わらないと思え」


背中を向けて手を振ってマネージャーは楽屋から出ていった。


「私は…………」


スミレとリンゴを仲を取り持つことは私には無理だ。

……違う。ゲームだから、遊びだから、リアルとは全然違う世界だから、そんなの気にしなくていい。スミレを不快にしたことだってリアルに影響ないんだ。


「……違う、私は」


そう、最初はFFOでストレス発散するためにやっていた。でもリンゴ達と会ってから変わった。可愛い服と武器でモンスターと戦って、リンゴとスキル巡りをして、PvPイベントは少し目立っちゃったけど、あれはあれで良かったし、少し前だったら家探しして、一緒にクランを立てて、リンゴとイノンとFFOのことを話し合って僅かな時間しか遊んでなかったけど……楽しかったんだ。


「…………やりたい」


リンゴ、カヤック、スミレ、イノンと楽しく馬鹿らしく好きに暴れて一緒にイベントを遊びたい。折角クランを立ててクラマスになったんだからイベントに参加しないクラマスってどうなんだ。

時計を確認すると22時18分で、私は扉を壊す勢いで開けて大声で叫ぶ。


「マネージャー!!」


遠くにいた彼女は足を止めて、こちらに振り返り戻ってくる。


「なんだ」


私は言葉に詰まる。でも言いたいことを言わなきゃ何も変わらない。あの時からマネージャーが口にしていた言葉だ。


「マネージャー、私、私……」


マネージャーはポンと頭に手を乗せて綾香を優しく撫でる。


「笹川が話すまで待つ」


私は目元が綻んでいつも厳しいマネージャーの印象が頼りのあるお姉さんに移り変わる。


「と言いたいが出来ればあと五分で頼む」


「……」


前言撤回、マネージャーは時間に厳しい鬼教官でした。


「かっこいいと思ってたのに」


「私はそういうのもう遠慮してるんでな。で、お前は何が言いたいんだ?」


「実は…………やりたいことがあって今日の予定を全部キャンセルしたいんです」


「ふーん、それはお前にとってどれくらい重要だ?」


「仕事より重大じゃないのは確かです。でも……やりたいって思っていて、やれなかったら後悔するかもしれません」


マネージャーは眉を寄せて鋭い目つきで私を見る。


「残念だがキャンセルは無理だ」


「…………」


分かっていた。でも言わないよりはずっといい。綾香はぎゅっと手を握りしめて視線を落とした。


「キャンセルは無理だが先延ばしにはできる」


「……! それって」


マネージャーは紙袋を投げて、綾香は危なげなくキャッチする。


「それ着て地下駐車場に来な」


私は紙袋の中身を取り出すと背中に虎の刺繍が編み込まれたジャージが出てきた。


「……マネージャー、これなんですか」


「私の可愛い後輩が丹精込めて作ってくれたジャージだ。それを着て寝ると寝つきがよくなるんだ」


「……高校の制服に着替えていいですか?」


「半分冗談だ」


「半分本気なことに驚きです」


「ははは、やっぱりこっちの綾香の方がしっくりくる」


マネージャーは小さく微笑んで私は虎柄のジャージを着て地下駐車場に向かった。

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