第9話 等身大の実像が知られない世界について

「養護施設は、そこに住む子どもたちにとっての「家」」

「もう一つの「家庭」」

「同じ釜の飯を食った「仲間」」

「養護施設の子たちは「兄弟姉妹」」

「養護施設の職員は、子どもたちの「お父さん」、「お母さん」・・・」

 

 滅多に報道されるわけでもないが、マスコミは、そういう論調の記事が好きである。そうでなければ、何か事件が起きたときにセンセーショナルに報道するぐらい。

 養護施設という場所が社会でどれだけ理解されているかというと、正直なところ、その両極端な面をマスコミなどから見聞きさせられて、へえ、そんなところなのか、と思われる程度のこと。

 年配の人なら、今なお「孤児院」という表現を使う人さえいる。


 児童養護施設という名称になったのは、1990年代後半。それまでは、単に「養護施設」と呼ばれていた。

 「孤児院」などと言われた時代には生まれてもいなかった昭和30~40年代生まれの人たちが子どもの頃は、「養護施設」と呼ばれていた。関係者間では高齢者(老人)向けの施設と区別するために「児童」という言葉を「養護施設」の前に加えることが多くなってきたのか、1997年の児童福祉法の法令改正をもって、晴れてこの手の施設は正式名称を「児童養護施設」とされた。

 だが21世紀になった今なお「養護施設」という言葉を使う人も、その年代の人に限らず、一定数いないわけではない。


 彼(彼女)らが子どもだった昭和40~50年代のアニメ作品は、今どきと違って、貧しい家庭や養護施設のような環境で育つ子たちが描かれることもままあった。

 時にランドセルを児童養護施設に寄付するなどしてマスコミに登場する「タイガーマスク」を名乗り仮面をかぶって登場する人物がいるが、そのもととなったアニメ「タイガーマスク」の主人公は、昭和の養護施設出身者でプロレスラーという設定であった。オープニングの華々しい歌と裏腹に、エンディングの切なく染み入る自らを「みなしご」と述べるあの歌を覚えているのは、今や50代以上の人だろう。

 そんたアニメを幼少期に見た人たちが大学を出た後、土曜日の夜に華々しく登場して一世を風靡した女児向けアニメ「セーラームーン」のように、東京23区内の都心部(麻布十番)に住む比較的裕福な家庭の娘たちばかりが主人公というアニメが、今や主流である。その流れをくむプリキュアのシリーズに至っては、あり得ない程の大金持ちの娘が主人公になることはあっても、あまりの貧困家庭の娘が主人公になるようなことはない。まして、児童養護施設で過ごす少女がプリキュアの一角を占めるなどということは、今のところ見られていない。

 

 アニメのことはいいとして、現実世界に話を戻そう。


 たまたま自分の住んでいる地域に児童養護施設がある場合とか、かつての養護施設出身者や、現に児童養護施設に在籍している子どもと接触がある場合には、それなりの情報も入ってくる確率は高くなるが、それとても、その施設の現在の正確な情報が必ずしも得られるわけではない。まして全国的な児童福祉の置かれている状況を事細かに知っている人など、関係者でさえ殆んどいない。

 これが老人福祉の世界であれば、政治家も高齢者本人とその家族ら支持者の票が動くから、何党であれ力を入れる。有権者にしても、老親がいればもとより、そうでなくても自らの行く末を考えれば、そういうことに意識を向けざるを得ない。


 だが児童福祉の場合は、そのようなこともない。

 そもそも、そこに住む子どもたちには選挙権もなく、その親や親せきといっても、政治に関心のある人がいる率は格段に低い。そんな施設で育ったことなど、言って得することはほとんどない。それ故、差障りなければ語らないままの人も多い。それなりの立場になったとしても、今さら、そんなことに意識を向けてどうこうせねばと思う人も、そうそういるわけじゃない。

 

 きれいごと。例えば、大きな家族とか、同じ釜の飯とか、何とか・・・

 曲がった(曲げられた?)情報。

 例えば、毎日が学校の研修旅行みたいな場所とか。

 悪印象。例えば、不良を尽くした少年の行く少年院のような場所?


・・・・・・


 児童養護施設と呼ばれる場所に関わる情報としては、おおむねそういったものが、ほんのときどき世上に乱れ飛び交うことがあるだけ。その飛び交う情報の絶対量すら、お世辞にも多くはない。

 時にドラマなどで扱われることもないではないが、それが終わればのど元過ぎたとばかりに忘れ去られてしまってオシマイ。

 何か問題が起きても、識者やタレントと称される人物らがテレビあたりできれいごとを並べてハイさようなら。そんな調子であるから、社会全体にその過不足なき実態が知られないままになっている世界である。


 幼少期同じ場所で過ごした彼等にとって、ここで取上げられている宮木正男はもはや、過去に接触があった人物の一人。よつ葉園の元園児でもない、D青年のような学校の同級生や近い学年の元生徒たちにしても同じこと。

 宮木正男のよつ葉園時代の同級生には、大学まで進んだ者が2人いる。高3までいたZと、津島町から移転するとき小6で叔父に引取られた米河清治。彼らの居場所を知っていたとしても、宮木は行きようがないだろう。彼らと同級生で、このよつ葉園の当時の雰囲気になじんでなかった彼らに小学生の頃ちょっかいをかけていた宮木など、彼らが相手にするはずもない。

 中学、高校と学年が進むにつれ、さすがにそういうことはなくなったが、子どもの頃のことは、彼等にとっては思い出したくもない黒歴史以外の何物でもない。

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