第5話 丸投げの連鎖
宮木正男からの電話があることを知った大槻和男園長が、事務室に入ってきた。
「申し訳ないが高田さん、少し待っていただけますか?」
山崎指導員はいったん電話を保留にした。
「園長、宮木正男が兵庫県の豊岡市で行き倒れになって地元の警察に保護された、言うてますわ。それで私を指名して、身元引受人になってやってくれんかと」
大槻園長には、これがどんな用件なのかをすでに予測できていた。
宮木青年の姉からその年初めに年賀状を受取っていて、そこに添え書きで、弟のことが少しばかり書かれていた。
正直、お世辞にもいい情報とは言えないものであった。
なんせ、その葉書上には姉の夫である人物が彼を「義絶」すると述べたことが書かれていたのだから。
大槻氏が園長に就任したのは1982(昭和57)年4月。その頃のよつ葉園はまだ、旧態依然とした養護施設の空気が払しょくし切れていなかった。確かに、その前年に津島町から郊外の丘の上に移転して初めての正月を迎え、大舎制から中舎制に切替えた効果も幾分出ていたものの、尾沢康男指導員の発案である「縦割り」の寮編成にしたことによる弊害も幾分出ていた。
そこでその年の夏に「横割り」の体制に変更したが、それによって職員と児童はお互い幾分やりやすくなった。しかしこの問題を根本的な視点から考察してみるならば、個々の職員らの力量や能力の問題ばかりではなく、養護施設という組織そのものが宿命的に抱えていた問題点や、このよつ葉園が先駆的な取組をしてきたがゆえに発生していた問題もあった。彼は、そんな時期の「卒園生」である。
「その件は、山崎君に任せる」
大槻園長は、この案件をすべて山崎指導員に一任した。本件受任者の児童指導員は数分間にわたって保留にしていた電話をつなげ、電話口の高田警部補に告げた。
お待たせしました。うちとしましては、10年前の卒園生で、しかも卒園した経緯にしても、うちの責任でどうこうといえる話ではなかったわけですから、よつ葉園としては、今の彼に対して責任を負える立場ではありませんとしか、申し上げようがないです。申し訳ない限りですけど、私自身も、現在家族がありますし、彼の身元まで引受けるだけの義理もあるとは言えませんから、身元引受の件は御勘弁いただきたい。重ね重ね申し訳ありませんが、そちらで善処願います。
山崎氏が元園児の身元引受を断わるのも無理はない。当時40歳を超えたばかりで、子どもたちはまだ小学生。
これからが大変になってくる時期に、そんなことまで責任の負いようもない。
もっとも高田警部補にしても、このような回答が帰ってくることは、既に予見できていた。そして、おおむねそのとおりの回答を受けた次第である。
彼は、電話の向こうの山崎指導員の回答を受けて、こう述べた。
そうですか、わかりました。
そちらさんに無理も言えないのは、私どもも予期しておりましたけれど、仕方ないですわなぁ。こちらのほうで、何とかします。お忙しいところ、お時間とらせて誠に申し訳ありませんでした。それでは、失礼いたします。
それだけ述べて、彼は、電話を切った。
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