行き倒れ 前編 ~ 日本海側の或る街にて
第2話 縁もゆかりもない地からの電話
1995(平成7)年10月下旬 よつ葉園事務室+兵庫県警豊岡中央署近辺
秋も盛りのある日の昼過ぎ。
岡山市内の郊外にある養護施設・よつ葉園に、一本の電話がかかってきた。
「はい、よつ葉園でございます」
「お忙しいところ申し訳ありません。わたくし、兵庫県警豊岡中央警察署の高田と申しますが、養護施設のよつ葉園さんですね」
「そうですが、あの、どういったご用件でしょうか?」
電話をとったのは、若い女性事務員であった。
「一つお尋ねしますが、10年ほど前におられた山崎先生という方、今もよつ葉園さんに在籍しておられるようでしたら、ひとつ、お話したいことがありまして・・・」
「あ、はい、山崎でしたら男性の児童指導員の山崎良三という者が昭和60年から当園に勤務しております。その間、他に山崎という職員は在籍しておりませんので、山崎良三でしたら本日出勤しておりますが、何か山崎に関わることで事件でも?」
この時期はまだ現在ほど個人情報がどうこうということを声高に言われていなかった時期であり、先方も、警察署名をきちんと名乗っている。不審な問合せでもなさそうであったため、彼女はその点について戸惑いながらも正直に回答した。
「実はですね、事件というほどのものではありませんけれども、よつ葉園さんの卒園生といいますか、10年ほど前におられた元児童の方の件で、ちょっと、山崎先生にお尋ねしたいことがありまして。実はその方、今朝からうちの署に来ておりましてね、いえいえ、何かやらかして逮捕されたってわけじゃないのですが・・・」
「そうですか、少々お待ちください」
彼女は、電話を保留にした。
電話口の保留音は、よつ葉園の園歌。明るさの中に切なさ、その切なさの中にいささかの希望も感じさせる歌声とピアノの音が、警察署の電話口に流れる。ベテラン刑事は、その音楽の醸し出す何とも言えない雰囲気を味わうともなく味わっているが、聞くほどに何か寂しさのようなものが感じられてならない。
「山崎先生、兵庫県の警察の方からお電話がかかっています」
山崎良三指導員は、事務室にいた。
警察署から電話がかかってくることは、入所児童である子どもやその保護者絡みなどで、まったくないこともない。時期によっては特定の署の特定の警察官より頻繁にかかってくることもあった。
当時の大槻和男園長が非行少年の受入にも力を入れていた時期でもあり、そうなればどうしても警察関係者からの連絡が増えるのは、必然的に致し方ないところもあった。とはいえそれは、あくまでも地元かそこらの話。
そこにきて何故、隣県の兵庫県警の警察官が、岡山県の養護施設に電話などかけてくるのか?
特に思い当たる節もない。
他の都道府県からの警察署から電話がかかってくることは、よつ葉園でも以前勤めていたくすのき学園でもなかった。それでもあえてあるとするなら、修学旅行に行った先で他県の学校の生徒と喧嘩でもしたとか、そう言うことでもあればあるかもしれないが、今、修学旅行に行っている児童はいないし、岡山界隈で兵庫県北部のそれも豊岡あたりに修学旅行や研修などに行く学校は特にない。
仕方ない。とりあえず電話に出てみよう。
山崎指導員は、受話器を取って保留になったボタンを押して回線をつなげた。
「はい、お電話代わりました。山崎と申します」
「お忙しいところ誠に申し訳ありません。私は、兵庫県警豊岡中央警察署地域生活課の高田正三と申します。実はですね、山崎先生、今日の今日、今現在の話ですけど、そちらのご出身の宮木正男さんという若い方が、うちに来られていましてね・・・」
山崎指導員は、何が起きているのかを把握しきれない。
ただ一つ言えることは、自分がいささかでも関ったことのある元よつ葉園児童の消息が判明したということで、それが、宮木正男だということ。
くだんの宮木正男は、確かに元よつ葉園児童であった。
高2になってすぐの春先、住込みで散髪屋の仕事に就くと言って高校を中退し、幼少期を過ごしたよつ葉園を去った。就職したとは言うが、ホトボリが冷めた頃には、彼はその「職場」を「辞めて」いた。
散髪屋の息子である友人と、よつ葉園から「出ていく」ために示し合せて仕掛けたという話もある。確かに、入所児童の施設外の知己の人物が施設から出て暮らせるよう「措置解除」という手段を用いて合法的に行政に掛け合って施設から他所に引取られるとか、そういう例も古今東西我が国の福祉行政においては割によくあった話。
そのままうまくいく例も多くあるが、そうでない例もある。
宮木青年の場合、残念ながらお世辞にも前者の例とは言えなかった。
彼はその後、4歳上で元よつ葉園児の姉を頼りに関西圏に出て身を寄せた。彼の母親は若くして病死していた。父だけでは面倒を見切れないため、彼が2歳、姉が6歳の頃から、岡山県の児童相談所を通して幼い兄弟そろってよつ葉園に措置、すなわち「施設に」預けられ、そこで幼少期を送った。
父としては娘と息子に負い目があったが、息子のあまりの不義理には、いくら父親とはいえかばいきれなくなっていた。
かくして宮木正男は天涯孤独の身となり、あちこちを転々としていた。
その日彼は、最終列車に乗って豊岡駅まで来て、街中をふらふらして、適当な雨宿りぐらいできそうな場所に横になって夜を明かした。
所持金もさしてない。何か食べてと言っても、肝心の体自体に食物を受付けるだけの体力も、気持ちのゆとりもない。かくして彼は、それまで縁もゆかりもなかった兵後県北の豊岡で、ついに力尽きたのである。
「ありゃあ・・・、若いのが何か、道端に倒れて寝とるで。今やからまだええけど、もう3か月も遅かってみぃ、あんた、死んでもうテモ、おかしないな、これ」
まだ携帯電話もさほど普及していなかった頃のこと。
その日の朝、彼を発見した地元の年配の男性は、近くの公衆電話から、とりあえず手持ちの10円玉を小銭入れから出して電話口に入れ、110番した。
電話した後、その10円玉は返却口にチャリンと戻ってきた。
10分も経たないうちに、兵庫県警のパトカーがやってきた。
駆けつけたのは、その男性の知人の警察官だった。
「神戸の街中あたりならまだしも、こんな田舎街で、行き倒れですわぁ・・・」
「ホンマなあ、高田さん、こんなところで行き倒れなんか、初めてヤデぇ・・・」
「あなたより二回りぐらいはまだ若いですけど、私だって、警察に入って30年以上やって、この年で初めてですわ、こんなん。県南ならともかく、県北ではねぇ」
パトカーを運転して一緒に駆けつけた若い制服の警察官が、彼の親ほどの年齢の私服の警察官の指示に従って、彼から事情を聴取していた。
状況は、おおむね把握できた。
「えらいお手数かけました。おおきに。あとは、うちで何とかしますわ」
私服の警察官が発見者の男性に礼を述べ、彼の身柄を引継いだ。宮木青年は豊岡中央警察署に連れて行かれた。まずは、警察医によって健康診断が行われた。彼の健康には、特に異常はなかった。
さしあたり、彼には飲食物が与えられることになった。
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