第3話

 観光バスツアーは予想外に楽しい。二階建てバスの一階部分は備品などが置かれ乗客用のスペースではないようで、屋根のない二階席に座ると陽射しを浴びる反面、マルセルの言う通り風が強く、パーカーがありがたかった。乗り場でチケットを買う時に音声ガイドをレンタルできたのだけど、意外なことに日本語もあったので迷わず借りることにした。音声を聴きながら街を眺めていると、建国の歴史解説が始まり、伝説なのか事実なのかわからないが、わりと残酷な表現が多くて驚いた。遠くアジアから来た人々が建国したらしく、ほんのり親近感を覚えた。川を中心として西側と東側で名前が分かれているとか、橋が何本架かっていて、今後さらに作るようEUから指示されているとか、歴史だけではなく最近の社会事情も知ることができて勉強になる。バスツアーを満喫した後、降車場の近くを散策して老舗のカフェで休憩しているとはっきりとした日本語で名前を呼ばれた。

「ジュン?」

「あ……、コウキ」

入り口からこちらに向かって男女が歩いてくる。

「なんだ帰国したんじゃなかったのか」

店員に合図をすると、コウキとパートナーのエニコが僕のテーブルに座った。

「いや、まあ、うん」

エニコが僕にハグしてチークキスをしてくる。僕はこれが苦手なのでどう返していいかわからない。とりあえず笑顔を返しておいた。

「やっぱり連絡間違いだったみたいで、当初の帰国日程になったんだよ」

「なんだよ、だったらうちに戻ってきてくれたらよかったじゃないか。あ……、ごめん英語でいい?」

エニコの方をちらりと見る。

「あら、私のことは気にしなくていいわよ。コウキいつも日本語話す相手がいないからって寂しがってたじゃない」

「いや、せっかく三人で居るんだから皆がわかる言葉にしよう」

「そう? ジュンは親切ね。ありがとう」

ウェイターに二人が注文をする間、自分が変な汗をかいているのに気づいた。

「で、どこに泊まってんの?」

ホテルの名前を告げても、コウキはピンと来ないようだったが、場所を伝えるとエニコはわかったらしい。

「私の友達がマネージャーで働いてるの」

道の名前や近くのスーパーを挙げてコウキに説明する。

「ああ、あそこか! 結構不便だろ。なんで市街地のホテルにしなかったんだ?」

理由はこうやってこの二人に遭遇することを避けるため、だったのだがついさっきまで自分でも忘れて観光をしていた。衝動的な行動は喉元すぎれば理由すら忘れてしまうものだと学べた気がする。

「まあ、落ち着いてていいよ。自然があって、川があって」

「川は市街地にも流れてるだろ」

「そりゃそうだけど……」

エニコがコウキの膝に手を置いて、僕の方に笑顔を向けた。

「私もあの辺り好きよ。たまに鳥を見に行くの。市街地の整備された川沿いも好きだけど、土が見えて草が生えてて、対岸に森が広がっている川も素敵よね」

二人が注文したコーヒーと紅茶が運ばれてくる。

「ところで、お前のそのパーカー、どうしたの?」

「え?」

あらためて自分が着ているパーカーに目をやる。ネイビーの少し厚手の生地で、身頃に大きく単語が刺繍されている。

「それ大学のパーカーだろ? 俺の職場がその大学と同じ敷地にあるんだよ」

「あ、これ大学の名前なんだ」

「知らなくて着てたのか」

「うん、これ借り物だから」

「え……、借り物って、誰に? お前、俺の他にこの街に知り合い居たっけ?」

「あー、ホテルのレストランのスタッフの人が貸してくれたんだよ」

「あら、ホテルのスタッフが? やっぱりジュンは親切だから人に好かれるのね」

「いや、親切だからってパーカー貸すのは距離詰めすぎじゃないか?」

「そうかしら、寒そうにしてる人がいたら私も貸すかもしれないわよ」

「そんなもんかなあ……、それにしてもジュン、残りの日程、ホテルキャンセルしてうちに来てもいいんだぞ?」

「いや、あと二日だし、キャンセル料とられるから大丈夫だよ」

エニコが僕の目をじっと見つめる。逸らすことはできなかった。

「そう、残念。せっかくコウキの親友が訪ねてくれるって聞いてたからおもてなししたかったんだけど……、そうだわ、今日の夕食一緒にどう? このあとレストランを予約してあるの」

「いいな、そうしようぜ、せっかく来たのに一人飯じゃつまんないだろ?」

「あ、えーと」

「じゃあ、私レストランに電話するわね」

「あー、その」

エニコは立ち上がって通路の方へ行ってしまった。コウキが少し身を乗り出してくる。

「……なあ、うちに来ない理由、もしエニコが居るからだったら、彼女は本当にお前に会うの楽しみにしてたから気使わなくていいんだぞ?」

「別にそういうわけじゃないよ……」

「だったら何の理由なんだよ」

返事をする代わりにぬるくなったコーヒーを口に含む。にこやかにサムズアップしながら歩いてくるエニコに僕も笑顔を返したが、あることに気づいてスマホを取り出しメッセージを打つ。

『マルセル、バイトは何時に終わるんだっけ?』

送り終えてスマホをしまうと二人の視線を感じた。

「どうした、急に真剣な顔でスマホいじりだして。何かあったか?」

「いや、友達と夜出かける約束してたから、バイト何時に終わるか訊いただけだよ」

「あら、友達と出かける予定だったの? だったらそっちを優先しなくちゃ」

「ていうかお前、友達が居るのか? この街に?」

「ほら、このパーカー貸してくれた人」

「それレストランのスタッフだって言ってたろ」

「まあ、いろいろあってパーカー借りる友達になったんだよ」

「お前、そんなに社交的なやつだっけ……?」

パーカーのポケットから振動を感じてスマホを取り出す。

『終わるのは七時なんだ、一緒に出かけられるのは八時くらいになりそうだけど大丈夫?』

すぐに返事をする。

『うん、全然問題ないよ、また終わったら連絡して』

スマホをしまう。

「マルセルは八時くらいにバイトが終わるらしいから、二人と夕食一緒に食べられそうだよ」

エニコは胸に手を当てて安堵した様子だ。

「友達、ていうかそのパーカーの持ち主マルセルっていうんだな」

「あ、えーと、うん、そう」

「あら、マルセル……、あのホテルのレストランで働いててマルセルって名前だと、ひょっとしたらあの子かしら、ねえコウキ。あなたの会社でインターンしてた子」

しばらく考える素振りを見せたコウキだったが、思い出すのを諦めたのか首を横に振る。

「いや、覚えてない。インターンは毎年十数人くるからな」

「まあいいわ。ジュン、レストランはここからそんなに遠くないの。もしよければ散歩しながら向かわない?」

「いいね」

会計を済ませて店を出ると、夕日に照らされた街並みが黄金色に輝いて、川沿いに続く街灯がうっすら光を放っていた。しばらく歩くとやや街の雰囲気が変わる。なんとなくだが、東京だと青山とかあの辺りに似た感じ。到着したレストランはモダンな建物で内装もシックだった。料理はコースで、全体的においしかったが魚もしくはかぼちゃの二種類から選ぶスープで魚を選んだら、ちょっと食べられないくらい生臭くて、申し訳ないが残してしまった。そういえばこの国は海に面してないということにその時気づいた。ただワインは絶品で、僕は知らなかったのだがこの国にはワイナリーがたくさんあって一大産地なのだそうだ。

「私もコウキも観光関係の仕事をしているから、そのパーティーで出会ったのよ」

デザートのチョコレートケーキを食べながら二人の馴れ初めを訊いている。食事の最後にいまさら、という感じだが、もう他に話題がなくなったから僕から質問した。

「俺は民間の旅行代理店で、エニコは政府関連の機関だからまったく同じ仕事ってわけじゃないけど、そのくらい専門分野が離れてるほうがうまくいくもんだよ」

「そうね、あまり近いとよくないかもしれない」

エニコの持つフォークがスッとケーキに沈み込み、カチンと音を立てて皿にぶつかった。僕は少しワインを飲みすぎたのか、なぜかとても喉が乾いてグラスの水を飲み干したが、やっぱり硬水は乾きを癒してくれない。

「ジュン、鳴ってるわよ」

エニコの視線の先をたどると、ソファ席の上でスマホが振動していた。いつの間にかパーカーのポケットから滑り落ちていたみたいだ。危ない。画面を見るとマルセルからの着信だった。

「やあ、ジュンの番号であってるよね? バイトが終わって今から合流できると思うんだけど、どこにいる?」

「えーっと……、レストランなんだけど……、ここどこだっけ」

二人に助けをもとめるとエニコが微笑んで手を差し伸べてくれた、スマホを渡す。

「こんばんは、マルセル、私はジュンの友人のエニコよ」

聞き取れたのはそこまでで、現地語に切り替わってからは何を話しているのかわからない。コウキはおそらく聞き取れているのか電話が終わるまでじっと黙っていた。

「タクシーでここに迎えに来るって言ってたわ。少し待ちましょう」

「ありがとう、エニコ」

お礼を言ってスマホを受け取る。エニコは水を一口飲むと、ちょっとだけはしゃいだ様子でコウキの方を向く。

「やっぱりあのマルセルだったわ。偶然ってあるものね」

「どのマルセルだ?」

「あなたの職場のインターンの子たちも招いて、学生コンペティションをやったことがあったでしょう? あの時に東アジアからの観光客をターゲットにしたプレゼンをして銅賞を取った子よ」

コウキの眉がピクリと動く。

「ああ、あいつかー……、思い出した。隣の部署でインターンやってたな。でもあいつ」

そこまで言って周囲を見回した。

「……、あいつ、ゲイだろ? やばくないか?」

コウキが確認するような視線をエニコに投げかけると、彼女は口をぎゅっと横に結んで、そして開いた。

「私は彼のセクシュアリティについて聞いたことはないけれど、ゲイだったとしても何の問題もないじゃない」

「いや俺だって問題だなんて思っちゃいないさ。ただ、ジュン、気をつけろよ」

エニコに賛同を得られなかったからか僕に視線を移してきた。

「気をつけるって、何をだよ」

「わかるだろ、お前昔から男に気に入られやすいとこあったんだから」

エニコが露骨に顔を歪めた。今日はずっと穏やかに笑みをたたえていた分、こんな表情ができたのが不思議に思えるくらい別人のようだった。ふとエルビラがランチの時に謝ってきた表情が思い出される。この街の人達は感情を明確に外に向けて発信するんだなと思った。

「もうやめましょう、コウキ。あなたに悪気はないのかもしれないけれど、ゲイの人は身近にだっているものよ。このレストランにだっているかもしれない」

それまで二人を交互に見ていた僕は、急にエニコと視線が交わるのを避けたくなって、チョコレートケーキに目を移した。添えられた生クリームが溶けてしまっている。気まずい沈黙が続いた。

「あ、エニコ。マルセルはどのくらいで到着するって言ってた?」

いくらか表情がやわらかくなったエニコが自分の腕時計に目をやる。

「そろそろ着くころじゃないかしら。あ、ほらあれじゃない?」

小走りでレストランの前を入り口に向かって横切る人影があった。マルセルだ。エントランスでスタッフに話しかけると同時に、僕と目があった。手が挙がる。

「じゃあ、行きましょうか」

エニコが立ち上がってマルセルのところへ向かった。コウキはスタッフにクレジットカードを渡している。

「あ、俺払うから」

財布を取り出そうとするとコウキに手を掴まれた。

「いいよ、食事くらいごちそうさせてくれよ。ほら、友達が待ってるぜ」

エントランスに行くと、マルセルが少しそわそわしていた。タクシーを待たせているらしい。

「それにしてもマルセル、また会えるなんて奇遇ね。私達のこと覚えてる?」

「ええ、もちろんです。インターンもコンペティションもすごく勉強になりました」

「あなた優秀だから、卒業するときはうちへの就職もぜひ検討してみてね」

コウキが手配したタクシーがまもなく到着して、マルセルとエニコが前を歩き、コウキと僕が続く。

「ジュン、気をつけてな。あ、いやそういう意味じゃなくて」

慌てるコウキを見て、つい笑ってしまった。

「わかってるよ」

「なんか、悪かったな、いろいろ」

「何のことだよ」

肩を軽く叩かれて、僕たちはそれぞれタクシーに乗った。

「ところでどこに向かうの?」

マルセルに訊ねると、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべて

「廃墟だよ」

と返ってきた。

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